「元気100教室・エッセイ」文明のあり様を考えよう 桑田 冨三子
世の中にはたくさんの生き物がいる。宇宙にある無数の星の中で、現在、生き物の存在が判明しているのは地球だけだそうだ。地球には海があり、生き物の祖先となる細胞がそこで生まれた。現存の生物はどれも細胞からできており、皆この先祖細胞から進化してきたとされている。人間もそうである。
人間の特徴は、二足歩行、大きな脳、自由な手、話ができる喉の構造による言葉である。700万年ほど前、ヒトはアフリカの森に暮らしていた。気候が厳しくなり森が縮小し、食べ物集めが苦しくなった。
ヒトは森を出て遠くサバンナまで行くようになった。
そこで果実などを見つけたりすると、ヒトはそれを自分一人で食べずに家族と一緒にと思い、それを手でつかみ、二本の脚で立ち上がり、歩き、離れたところまで、運ぶようになったという。これは他の生き物には見られない素晴らしい能力である。強い共感や想像力、信頼感、それに火を使うようになった人間は、調理をし、きれいな装飾品を造ったりして、豊かな生活を営むようになった。
自然を利用することを知ったヒトは、言葉を用いて皆で協力しあい、農業をはじめた。生活の基本である食べ物を作るための様々な工夫は、食生活を豊かにし、環境を変えた。「農業革命」である。これは人間が持つ能力を生かして生まれた文明といえよう。
他の生き物とは違う生活を始めた人間は、次に「産業革命」を起こす。石炭・石油・天然ガスの化石燃料を使って物を大量生産し、自動車や飛行機で移動する社会を作り始めた。科学によって、人間も含めてすべてを機械と見做し、分析によってその構造と機能を知れば、すべてがわかる、という「機械論」がうまれた。
機械を基本にものを考えると、①効率を上げることがよい。②何にでも正解がある。③すべて数や量できまる。という事になる。速い新幹線は便利だ。洗濯機も電子レンジもありがたい。機械が提供してくれる速さは便利で不可欠である。世のお母さんたちはこどもに「速くしなさい」といつも言う。現代文明は人間を機械として見ている。
しかし、ここで「速い」ということを、ようく考えてみよう。はたして人間は本当に速さを欲し、望む生き物なのであろうか?
人は生まれ生きていく、という事は時間を紡ぐことである。心地よく時を紡いで長い人生を送る。これが、人の人らしい生き方ではないのか。
いまやその人類の、素晴らしい文明が深刻な環境問題を起こしている。工場排ガス、自動車排気ガスなどによる地球温暖化、生態系の崩壊、異常気象、土地の水没、ゴミ問題、海洋汚染、水質汚染、土壌汚染、新型コロナウイルスの感染拡大など、数限りない。
もちろん、文明そのものを否定することはない。ただ、自然に還ろうと言ったのでは人間の人間らしさがなくなってしまう。
現代文明をどのように見直すか。
それが今の我々に与えられたテーマではないだろうか。文明を作り出す能力は人間という生き物だからこそできることなので、それを否定しては意味がない。現代文明だけが文明ではない、という基本を考えるところに我々は置かれている。
文明の有り様を考えなければならない。
(人間とは何か)
と問い続けたエマヌエル・カントという哲学者が、七一歳になって書いた本『永遠の平和のために』にはこうある。
「殺したり殺されたりするための用に人を当てるのは、人間を単なる機械あるいは道具として他人(国家)の手にゆだねることであって,人格にもとづく人間の権利と一致しない」
「地球は球体であって、どこまでも果てしなく広がっているわけではなく、限られた土地の中で人間は互いに我慢しあわなければならない」
「永遠平和は空虚な理念ではなく、我々に課された使命である」
了