「近代史」戦後の日本人は、政府の都合の良いプロパガンダにのせられている
戦前および戦後を通して、日本人がとかく政府のつごよいプロパガンダに乗せられているのはなぜだろうか。近現代史に無知で、政治・経済において無菌状態だからである。
学校で小・中学でならう歴史は古代から明治時代まで。大正時代、昭和時代、太平洋戦争・戦後の世界はまったくもって教わっていない。
私たち大人は、おおむね20世紀に生まれている。太平洋戦争の政治・経済・軍事などは、祖父母、あるいは両親から断片的に聞いている。
ポツダム宣言、日本国憲法、サンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約ということばは知っている。ただ、学校の歴史として習っていない。
政府のいうから概(おおむ)ね、正しいのだろう、と信じ込んでくれる国民性だ。為政者には、これがとても都合がよく、プロパガンダで利用しやすいのです。
「ポツダム宣言は13カ条の条件付き降伏である」にもかかわらず、戦後の政府は「ポツダム宣言は無条件降伏だった」と信じ込ませてきた。
「憲法はOHQの押し付けだ」というと、そうかな、と思ってしまう。
「天皇制を残したのはマッカーサー元帥だ」という。マッカーサーと天皇にツーショット写真から、そうかな、と思う。
終戦後の日本の内閣は瓦解(がかい)したけれども、曲りなりにも内閣総理大臣が選出された。その苦労は並大抵ではない。国民は飢え死に寸前である。住まいは廃墟で建物がない。この復興にたいする政府予算はない。中国大陸や東南アジアから大勢の復員兵を受け入れる、と同時に、失業者の群れだ。
それに対応するには、急激に政治システム・社会システムの変革がともなった。そこで考えたのが、「マッカーサーの命令だ」という金科玉条のプロパガンダである。
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天皇ヒロヒトは第二次世界大戦の主役である。米軍の元帥の立場で、国体(天皇制)を残すなどと、決められるはずがない。アメリカ政府である。ところが、日本政府は、水戸黄門の印籠よろしく、「天皇を存続させたのはマッカーサーの絶大なる権力なり」と日本政府は演出したのである。アメリカには国王がいない。
1945(昭和20年)年8月30日にマッカーサー連合国軍最高司令官が厚木にやってきた。9月17日頃に東京に行くまで、横浜市の山手にいた。それから10日のちに9月27日の昭和天皇と面談した。
そんな短時間に独断で、天皇ヒロヒトの地位と身分は決められるはずがない。軍人の元帥一人の思惑でなく、米国政府の判断である。
アメリカ政府が終戦前から、トルーマン内閣で7000万人の日本統治を考え抜いていた。天皇を残す。この裏には、ドイツ・ポツダムで、イギリスのチャーチル首相が絡んでいる。
イギリス王室は「君臨すれども統治せず」である。日本の皇室は存在するものの政治権力は持っていない。戦争責任は日本政府(the Government of Japan)にして、その上に君臨する天皇・宮様は処分の対象にならず。よって、昭和天皇のみならず、皇室の宮家は軍人階級トップにいたが、だれひとり戦争責任を問われていない。
イギリス流の発想である。
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「マッカーサーの命令だった」と現代までも、その神話が脈々と生きているのだ。
明治以降の政治家は、隠す。ごまかす。政府の都合のよいプロパガンダで国民を戦争国家に導いてきた。「日本は神の国だ。神風が吹く。いちども負けたことはない」と。あらゆる儀式、場面で、玉砕するときも、「天皇陛下バンザイ」である。
挙句の果てに、太平洋戦争で、日本列島の都市部は焼け野原になり廃墟になった。たいせつな人命も、財産も失った。
その昭和天皇が昭和二十一年の元旦に、神聖にして犯すべからず、という立場から降りてきて、「人間宣言」された。
そうなると「マッカーサー神話である」。マッカーサーは神の声である。絶対の権限を持っている、と国民を信じ込ませた。
あらゆる政府の決め事が、マッカーサーの鶴の一声で決まったような演出である。日本人は、この世で、一番強いものだと思い込んでいた。
アメリカのハリー・S・トルーマン大統領は、1951年4月11日ニダグラス極東軍司令官の職から解任しました。
朝鮮戦争(1950-1953)の最中、トルーマン大統領は限定戦争の方針だった。ところがマッカーサーが中国本土への爆撃や台湾の国民党軍との連携を提案してきた。トルーマンはシビリアン・コントロール(文民統制)で、マッカーサーを解任させたのだ。
これには日本人のすべてがおどろいた。
「トルーマンが最高司令長官を解任する権限を持っていた」
「いかなる軍人でも、民間選出の大統領の命令には逆らえない」
戦前・戦中において日本の軍部の政治介入が強かった。このマッカーサーの解任によって、「国民が選んだ政府が、軍人よりも上にいる」と学んだ点は大きかった。
「マッカーサーの絶対・君臨」がほころびる。すると、かっての天皇の絶対的君臨の存在から、象徴天皇へと国民の意識が変わっていった。