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東京五輪をどうみるか。下田尚嶽「七言絶句」の作品から(3/3)

 フランスの教育学者クーベルタン男爵の提唱により、1896年に第1回オリンピックがギリシャ王国のアテネで開催された。
「スポーツによる青少年教育の振興と、世界平和実現のために、古代オリンピックを復興しよう」という呼びかけから開催におよんだ。オリンピック憲章には「アマチュア選手のみが参加できる」という規定があった。

 日本には昭和15(1940)年の「まぼろしのオリンピック大会」があった。
 国際連盟が1932年に日本の傀儡((かいらい)政権の「満州国の不承認」を決議し、世界のなかで日本が孤立し、日中戦争が激化するほどに欧米からの批判が高まった。オリンピック不参加国が多数予測された。日本も中国大陸での軍事費がぼう大になった。
 日本は昭和13年(1938)年7月に開催権を返上した。開催都市がみずから大会を返上した史上唯一のケースとして知られている。

 やがて戦後の安定期に入ると、昭和39(1964)年に「第十六回東京オリンピック大会」が開催された。日本が高度成長期に乗りかけた勢いのあるときだ。このときはアマチュア選手のみで行われていた。
 当時は早稲田大学の学生であった下田尚獄さんは、「超人的なパワーをさく裂し、日本のみならず、世界中が歓喜したものです。日本が誇らしく思えました」と語る。

 第21回(1976年)モントリオール・オリンピック大会から「アマチュア」という言葉が削除された。1988年のソウルオリンピックからはプロ選手も参加できるようになった。

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 第三十二回の東京大会は、パンデミックのために史上初めて1年延期して開催された。205の国と地域、1万1092人が参加し、実質19日間において3競技339種目がおこなわれた。 日本の金メダルは最多の27個だった。

 近代オリンピックの目的は、「人間の生き方を高め、人類の平和や人間の尊厳を実現することであり、スポーツはそれのための手段である」という理念がある。それゆえに、戦争の当事国が、オリンピック期間に限定した休戦が行われたりもする。

 いまや、アマチュアよりもプロの選手が活躍し、ビジネスの色合いが強くなった。すると、スポーツを食い物にする連中(政治家・大会運営者)があらわれてきた。東京オリンピックでスポンサー契約を巡る汚職事件が発覚した。

 日本人がオリンピック精神を踏みにじった罪は大きい。こんなことをすれば、オリンピックの開催期間中の休戦協定など反故にされてしまう。今年(2024)はパリオリンピック大会が開催されたが、ウクライナ戦争、イスラエル・ガザ戦争の一時休戦の声すら上がらなくなった。それにも悪影響を及ぼしているかもしれない。

 汚点をのこした第三十二回東京オリンピックだったが、下田尚獄さんの七言絶句は純朴にスポーツ讃える。スポーツ選手の精神はいつも清らかだ。まわりが汚してはならないという教訓をあらためて知る。
           
               下田尚獄作「祝 第32回 東京五輪」 

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     新冠瘟疫五輪開   熱戦広繰味快哉
    
     日本燦然飛躍讃   万邦団節一初催

 多様性と調和を理念に掲げた東京オリンピックをコロナのパンデミックの真っ只中ににひらいた。

 熱戦をくり広げ、胸がスカッとした爽快感を味わう。

 日本選手のきらきらと輝く最多メダルの獲得を称賛するべし。

 オリンピックにより世界が団結し、コロナの世界的な大流行がはじまって以来、

 世界205か国が初めて一つになって催せた。

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