登山家

緑と紅のコントラストが魅了する飯豊山(2105m・個人山行)=関本誠一 

日時:2014年9月下旬  晴れ時々曇り

コース:【二日目】大日杉小屋~地蔵岳~切合小屋~本山小屋~飯豊山 (往復:10時間)


『山行』
 南麓(川入)からの山行を計画していたが、昨年7月の集中豪雨で川入に通じる道路が寸断、『開通見込みない』とのこと。

 今年(2014年)はなかば諦めていたが、東麓から登るルート(中津川口)が車利用で可能なことに気づいた。
 まず最寄り駅からのタクシーを考えたが、駅がローカル線で東京から乗り継ぎ不便なのと、タクシー代が約1万円と高額なので諦めた。
 今回は山形新幹線・米沢駅でレンタカーを借りて、3時間かけて登山口がある大日杉小屋まで入る。
 町営の山小屋だが、鉄筋高床式で隅々まで清掃されて、まるで新築のようだ。

 素泊り(,500)のみで、8月迄のシーズン中は管理人も駐在し、女性も安心の山小屋だ。毎夕、見回りの管理人から尾根上の山小屋の情報入手し、翌日に備え、早めに就寝する。

【二日目】

 4時に起床する。朝食後、5時に出発した。今日は尾根にある小屋で泊まる予定なので、シュラフ・コンロ・コッフェル・食料など自炊装備を背負っての長丁場だ。
 登山口からほどなく、ザンゲ坂の急登が待ち受ける。
 鎖はないが、土が滑りやすいので、慎重に行登っていく。このコースは地蔵岳までの急登をどう乗り切るかが、キーポイントになる。
 途中『だまし地蔵』と呼ばれるピークあたりで、疲れもピークに達する。最近は、軽量装備で山頂往復という登山に慣れているせいか、今回のフル装備は一段と辛い。

 8時に地蔵岳に到着、ようやく谷を挟んで、飯豊山の全容を見ることができる。なんと立派な山だろう。これを見たら、誰でも感動する素晴らしい景色だ。
 地蔵岳から、ダケカンバの休憩ポイントまでは、アップダウンを繰り返しつつ、緩やかな下りだ。
 最低鞍部からは、飯豊山、切合小屋、種蒔山に至る稜線が、間近に見え気分も、ハイテンション。残り僅かになった秋のお花が元気を与えてくれる。

 切合小屋の手前にやぶ漕ぎ道があるが、左側から初夏の雪渓跡?を避けていけば、問題なく切合小屋に出る。
 ここからは、飯豊の醍醐味である。この時期は紅葉前線のなか稜線を本山に向う。
 快晴の空、緑と紅のコントラストが素晴らしい。草履塚、姥権現、御秘所と緩やかなアップダウンを繰り返す。御前坂の標柱まで標高を下げ、そこから本山小屋へ最後の急登だ。
 小屋前ベンチに荷物デポ、山頂へは平坦な道を約20分。山頂からは梅花皮方面の眺めも一段と素晴らしい景色だ。


 時間的に早かったので、山小屋には泊まらず、日帰りにすることに決定する。下りは登ってきたコースを逆に辿る。
 飯豊山はアクセスもルートも長く遠い存在だったが、今回ようやく山頂を踏むことができた。
 天気も待ちに待った晴天である。登りのきついということも忘れてしまうほど、なんと景色の素晴らしいことか…。
 しかし、飯豊の魅力のほんの一端しか触れてないと思う。それでも、すでに飯豊のとりこになってしまいそう。
 まさに『飯豊はイイデ~!』(笑)という皆さんの言葉通りの山です。ぜひ出かけてみてはいかがでしょうか。

(草履塚から望む飯豊本山)

  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№189から転載 

名もなきキノコの群生地、山梨県・倉見山(1256.2m)=佐治ひろみ

日時…2014年10月7日(火) 

メンバー … L武部実、飯田慎之輔、石村宏昭、大久保多世子、中野清子、佐治ひろみ、関本誠一

コース … 富士急行線・東桂駅 9:30 ~ 山頂12:30 ~ 堂尾山公園 ~ 寿駅15:00


『山行』

 台風で中止になった甲斐駒ケ岳の代案で倉見山に登って来ました。

 東桂駅に9:30に集合する。駅前から南に20分ほど歩くと、長泉院というお寺の墓地に着く。ここが倉見山の登山口になっていて、案内板も出ていた。なんだか変な感じだが、墓地の中からスタートすると、まもなくお堂が出てくる。

 そのまま進むと、道はだんだんと急になり、息も弾んでくる。両側はアカマツの林で、立派な木の根元には松茸が、…あるわけはないが、名前も知らないキノコが大小はえていて、見つけながら登ると面白い。

 鉄塔の所で、おやつ休憩の後、更に急坂を登る。
 道は相変わらず林の中の登り一辺倒だが、たまに木々の切れ間から三ツ峠方面や、下の町並みがきれいだ。

 そのうちに登山道には、トリカブトの花が目立つようになり、下山するまであちこちに咲いていて目を楽しませてくれた。

 それよりも楽しかったのは…、突然大きなナラの木? の根元に何か発見し、一同ざわめきが起こる。それはナメコの形をしたキノコの大株である。あちこちに生えていて、食べられるかは疑問だったが、誰か地元の人に聞くとして、みんなでビニール袋に2つも取ってしまった。

 それを担いで、更に登ったり下ったりすること30分。最後の急坂を登り切ると、頂上に到着する。

        倉見山山頂にて

 目の前に富士山が見えるはずだが、残念ながら今日は雲の中である。
 さっきのキノコを手に持ち記念撮影し、少し先のベンチで、昼食を取ることにした。富士山は見えないけど、6人で秋の果物などつまみながら、楽しいランチタイムだった。

 約30分の休憩後、寿駅に向けて出発する。登りもそうだったが、ここもイノシシが掘り返したのか、登山道はフカフカに耕されて、足には気持ち良い。登りルートに比べると、傾斜も緩やかで、回りも開けた感じだ。

 下りながら、杓子山や富士吉田方面の眺めを味わう。ススキの穂がいかにも秋の山行らしい。
 途中の堂尾山公園の東屋は屋根が壊れていたが、ここまで来ると、もう下界の音もチラホラ聞こえる。
 腰ほどある草をかき分けて下ると、ほどなく車道が見えてきて、14時40分本日の山行も無事に終了する。

 あとは寿駅への車道歩き。道々、地元の人に、先ほどのキノコを見せるが、はっきりとした回答は得られず、大月の観光案内所で紹介された定食屋のおばちゃんに聞く事なる。

 15:13発の電車で大月に戻り、定食屋で≪大≫反省会をして締めくくる。
 
 台風で甲斐駒には行けませんでしたが、武部さんの計らいで一日楽しい山行ができました。秋の味覚のキノコのその後は、中野料理長に聞いてみましょう。

 皆様お疲れ様でした。

     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№182から転載

積雪期の魅力・奥多摩・御岳山(929m)=武部実

登山日: 平成30年1月28日(日) 

参加メンバー : L上村信太郎、武部実、大久保多世子、中野清子、佐藤京子、開田守の計6人

コース : 滝本~ビジターセンター ~ 御岳山 ~ 奥ノ院(1077m) ~ ケーブルカーで滝本


         奥ノ院への急登

【山行】

 10:00に滝本を出発する。ケーブルカーは使わず、樹齢が数百年の杉並木の大木が両側に鬱蒼(うっそう)と繁っている道を歩く。

 御嶽神社の参道だが、今日は寒いせいか、登山客や観光客も少なく、われわれ以外は数人しか歩いていなかった。参道は、山に住んでいる人たちの生活道路でもあり、舗装してあるので山登りという雰囲気はあまり無い。

 1時間10分ほどでビジターセンターに着く。休憩を兼ねて久々に中を覗く。職員に尋ねると、最近は外国人観光客が増えて対応が大変らしい。
 そういえば、パンフレット類も英語表記が多いようだ。私は、少しでも名前を覚えようと、鳥と花のパンフを貰う。これからの山登りに活かせたらいいのだけれど。


 御嶽神社に着いて目に付いたのは、イヌ年に関係あるのか、犬にご利益があるのか、それは知らないが、犬連れが多かったことだ。

 ペットブームだそうだが、ここにもその影響がおよんでいるのですね。神社の奥に御嶽山の山頂の石碑があり、ここが正真正銘の925m地点である。
 石段を登った正面にある拝殿だけで満足せずに、必ずここまで行くべし。


 12:40、奥ノ院に向けて出発。10分ほどで、ロックガーデン等の分岐の長尾平に着く。ここに登山家・長谷川恒男の顕彰碑が設置されてあった。
 大きな石に長谷川恒男の字、石碑にアルプス三大北壁単独登攀などの略歴が彫られてあった。2011年に没後20周年を記念して建立されたものだ。

 奥ノ院の登山口にあたるところの鳥居をくぐり、少し先の浄水場あたりから雪が積もっている山道となり、アイゼンを装着する。
 初アイゼンの人もいて少し手間取ったが、全員が揃って出発する。急登は無く緩やかな登りは快適だ。われわれの他に登山客は、数人のみの静かな登りであった。途中、一か所クサリ場があるが、慎重に歩けば危険なところではない。

 14:10奥ノ院の祠が設置してある所に着いた。ここから山頂までは5分ほどだが、見通しはあまり無い。大岳山や西方向が少し見えるくらいだ。
 登った道を下り、ケーブルカーの御岳山駅に着いた。(15:40)、丁度タイミングよく発車寸前に飛び乗ることが出来た。

 一週間前に降った雪がまだまだ残っていて、アイゼンの練習には程よい積雪であり、楽しく登れて良かったと思う。やはり、この時期にはアイゼンは必携だ。

  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№221から転載

紙幣の原料ミツマタ由来のミツバ岳 = 武部実

平成29年3月29日(水) 

参加メンバー:L武部実、栃金正一、佐治ひろみ、中野清子の計4人

コース : 新松田駅 ~ バスで ~ 浅瀬入口 ~ 滝壺橋 ~ ミツバ岳 ~ 権現山(1019m) ~ 二本杉峠 ~ 細川橋 ~ バスで ~ 谷峨駅 ~ 松田駅

 8:25発のバスに乗車し、約50分で浅瀬入口に到着。トンネルを抜けて歩くこと約30分、滝壺橋に着く。ここが登山口だ。

 10:00に出発。杉林を登り始めて40分、樹種が原生林へ変る。このあたりからミツマタがちらほらと見え始めてくる。
 登りなので見上げると花は黄色一色だ。
 しかし登り過ぎて見下ろすと、真っ白な花になるのが面白い。

 歩くこと1時間強で、山頂直下のミツマタの大群生が現れてくる。ミツマタ林の中をくぐり、甘いかぐわしい匂いにうっとりしながら歩くと、標高834mの山頂に着く(11:00)。
 天気が良ければ、ミツマタと富士山の2ショットが撮れるはずだった。だが、残念ながら富士山は雲の中。それでも平日なのに登山者はミツマタを求めて、ツアー客等も含めて4~50人の大賑わいだ。
 丹沢で、人気の山だということがよくわかる。


 ところで、ミツバ岳という山名だが、正しくは大出山(おおだやま)だ。紙幣の原料として植えられたミツマタが、その後は使われないまま成長して、ミツマタ畑(ばたけ)がミツバ岳に変化し、一般化されたということらしい。

 昼食を摂って、11:35権現山に向けて出発。登山道は2~30人の行列で、抜いたり追い抜かれたりの有様である。
 ミツバ岳では残雪少々だったが、途中からは10㎝位の積雪で滑らないように慎重に登る。権現山とは180mの標高差なのに随分と違うものだ。(12:30着)


 12:40に、権現山を出発する。急な下りなので、全員アイゼン装着することにする。私も今年初めてのアイゼンだ。
 こちらのコースは、トレースはついていたが、降りる登山者は少なく我々のパーティー以外は数人だけ。ミツバ岳往復のパーティーが多いようだった。
 30分ほど降ると、ようやく雪がなくなり、アイゼンをはずす。

 二本杉峠からは、普通の整備された登山道を降って、14:30に予定通り細川橋に到着した。
 ここで、地元の人がミツマタの皮を剥いで、和紙の原料作りをしているところを見学することができた。
 ミツマタの皮を綺麗にして、苛性ソーダを入れた鍋で煮込むと、和紙を漉く原料になるということだ。山北町ではミツマタで町おこしをする一環として、和紙漉きをしているとのこと。

 体験したい方は山北町に申し込めばできるらしいので、どなたかやってみてはいかがでしょうか。


     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№213から転載

花咲く芸術的な火打山は、霧のなか = 市田淳子 

期日:2017年7月8日~9日 晴れ

参加メンバー:L武部実、岩淵美枝子、大久保多世子、開田守、市田淳子

コース:上越妙高 → 池の平いもり池 → 笹ヶ峰 → 黒沢池ヒュッテ(泊)→高谷池 → 火打山
→ 高谷池 → 笹ヶ峰 → 妙高高原駅

 梅雨末期の蒸し暑い東京を抜け出して、涼しい山に、と思ったのは大間違いで、登っても登っても蒸し暑く、久々の高い山にはちょっと閉口した。
 バスの運転手さんが、冬の深い雪の話をしてくれて、笹ヶ峰までは登山ではなく観光に来た気分だった。
 登山口から入ると、行けども行けども木の階段が続いた。
 階段の脇に咲く可愛い花や、見た目は爽やかな(しかし、実際は蒸し暑い)ブナ林を眺めながら歩き、途中で昼食にした。キンラン、ササバギンラン、タニウツギ、ギンリョウソウが生えた、いわゆる低山の趣だ。

 しかし、十二曲がりを過ぎて標高1800mほどになると、残雪が現れた。アイゼンをつけるほどではないが、歩きにくい。しかも、ブヨのような小さな虫が顔の周りを飛び回っている。

 この頃になると、深山の植物から高山植物に変わる。サンカヨウ、キヌガサソウ、ハクサンチドリ、ミネザクラなど、蒸し暑いながらも、花に出会う度、一休みして、黒沢池ヒュッテに近づいたのは、17時を少し過ぎていた。
 広い雪渓から靄が立っていた。
 最後にハクサンコザクラが出迎えてくれて、ヒュッテに到着。まもなく夕食となった。ヒュッテの従業員はユニークだ。
 カナダ人、ネパール人に日本人の大学生。夕食のメニューはネパールカレーだった。消灯は20時。ユニークなドーム型の山小屋で、階段を登ってドームの頂上で就寝。夜中にトイレには絶対に行きたくない構造だ。


 次の日の朝食は5時ということで、席に着くと、メニューは厚めのクレープだった。
「クレープは無限に焼けるよ。」
 と言う。
 小麦粉大好きな私にとっては最高の朝食! 朝食を済ませ、出発の準備ができたのは、6時少し前。すぐに出発することにした。

 高谷池ヒュッテを通り、天狗の庭に出ると、ミズバショウ、イワイチョウが咲いていた。ハクサンコザクラの群落は見事だったし、火打山と雪のコントラストが天狗の庭の池塘に映って、芸術的だった。
 いよいよ、火打山に登る。雪が多く残っているにもかかわらず、蒸し暑いのはなぜ?と思いながら、登った。
 アルプスほど高い山ではないのに、私にとっては結構、大変だった。しかし、ところどころで見せてくれる花たちが、私にとっては最大の救い。これがなかったら、登れないだろう。

 私が火打山の山頂(2462m)に着いた時、360度霧で何も見えなかった。

 少し前は日本海まで見えたという。残念ではあるけれど、山はこんなものだ。人が自然をコントロールするとはできない。むしろ、しない方が自然なこと。もし、パノラマを見たければ、もう一度来ればいいのだ。
 こうして、来た道をひたすら歩いて戻った。登山口にはライチョウ調査のアンケートが待っていた。実は知り合いだということに驚いた。友達の輪が嬉しい。


   ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№215から転載

アメリカ合衆国大統領と山 = 上村信太郎

 日本の首相の名前が付けられた山というのは聞いたことがないが、アメリカ大統領の名前が付いた山がカナダや南極にもあることはあまり知られてないようだ。

 まずは北アメリカ大陸の最高峰から。正式な山名が「デナリ」になったのは平成27年(2015)8月31日から。それまでの旧名がマッキンリー。あまりに有名だが山名の由来まで知る人は意外に少ない。

 明治30年(1897) 1月、探鉱師W・ディッキーがニューヨークの新聞に「アラスカの最高峰(標高6194m)に、大統領候補(当時の)でオハイオ州知事(後に第25代大統領)の名マッキンリーと命名する。」という記事を発表。これがきっかけで山名になったとされる。

 次はジョージ・ワシントン。初代大統領を記念して名付けられた標高1917mのワシントン山がニューハンプシャー州にある。天明4年(1784)にM・カットラーという人物によって命名されたとされる。コロラド州にはリンカーン(第16代大統領)という名の標高4354mの山もある。当時はアメリカ最高峰と考えられていたそうだ。


 アメリカ以外の国では、カナダのセント・イライアス山脈に標高4237mのケネディ(第35代大統領)峰が知られている。J・F・ケネディ暗殺後、カナダ政府が故人の功績を称えて命名したもので、昭和40年(1965)3月に、アメリカの登山家たちの支援を受けた大統領の実弟ロバート・ケネディ上院議員一行が初登頂を果たしている。

  また、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州にはF・ルーズヴェルト(第32代大統領)に因むと思われる名の2896mの山がある。この山と隣接する二つの峰の名を知ればだれもがびっくり。なんと、チャーチル山とスターリン山なのだ。どうやらヤルタ会談を記念して命名されたようである。アメリカ大陸から遠く離れた南極大陸には第7代アメリカ大統領名が付いた山がある。標高4190mのアンドリュウ・ジャクソン山である。


 以上は歴代アメリカ大統領の名が山名になったケースだが、山名だけにとどまらない。
 たとえばアラスカを除いてアメリカで一番有名な山といえば、アメリカ本土最高峰でカリフォルニア州セコイア国立公園にある4418mのホイットニー山と思いがちだが、実際にはサウスダゴダ州のラシュモア山のほうが知られている。わずか標高1707mの花崗岩のこの山には歴代大統領4人の巨大な顔が彫られているからだ。ワシントン、リンカーン、T・ジェファーソン(第3代大統領)、T・ルーズヴェルト(第26代大統領)の顔である。

 このほかに、アフリカ最高峰、標高5895mのキリマンジャロ峰に登頂したジミー・カーター(第39代大統領)は平成6年(1994)に来日してロザリン夫人と富士山に登り、「富士山は神聖で美しい山」と語っている。

 こうしてみると、アメリカ大統領と山とのかかわりの多さに改めて驚く。調べればまだありそうだし、もしかすると将来「トランプ峰」が誕生する日がくるかもしれない。

写真:Google写真・フリー「マッキンリー」より

  ※ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№63から転載

南アルプスの雄峰は花盛り・北岳の山行記=市田淳子

北岳(3193m) 山行記=市田淳子

期日 :2017年8月4日夜~7日 

コース:芦安駐車場(泊)→広河原→八本歯のコル→北岳山荘(泊)→北岳山頂→右俣コース→白根御池小屋(泊)→広河原→芦安駐車場

『山行』

 北岳は、想像した通りではなく、想像を超えた素晴らしい山だった。

 ちょうど1年ほど前、インストラクターの友達がSNSで北岳の様子をアップしていた。そこには100種類以上の花を見た、とあった。
 この日私は、「来年は北岳に登るぞ!」と心に決めた。

 1週間前には、8月5日から7日は雨の予報だった。「ああ、神様!ありがとうございます!」どうやら、山に行くことを許してもらえたようだった。

 メンバーは自然保護活動をする仲間だ。ゆっくりお花と景色を眺めながら登りたい、という共通の想いがあり、コースタイムの2倍の時間で計画を立てた。

 広河原には、多摩地域でも見られるような植物が多かった。それも澄んだ空気と豊かな水溢れる環境で、ずっとずっと元気に見えた。
 登るにつれて、植物相はどんどん変わるのがわかる。雪渓が見え始めると、ミヤマハナシノブという絶滅危惧種Ⅱ類に指定されている群落が現れた。何と美しい色、何と爽やかな光景、絶滅危惧種とは思えない群落だった。
 ここまで来ただけでも、花の種類が多く、少し息が上がっても、足元に可愛い花が見えて、頑張る気持ちにさせてくれる。


 やがて、雪渓の脇を登り、やはり南アルプスだと思い知らされる厳しい道が続いた。だんだん、お天気も怪しくなるが、もう引き返すことはできない。
 そろそろ、梯子の連続だと思う頃には、岩場となり、高山植物があちこちに見えてきた。私の好きなチシマギキョウも咲いている。梯子の辺りで雨が降って来て、滑らないように慎重に歩いた。
 厳しい環境でも、夏を謳歌するように咲いている高山植物に癒されながら、登り切った。

 そこは新たなお花畑で、尾根伝いに無数の花が咲いていた。努力が報われた瞬間だ。
 山荘を目の前にして、お母さんと6羽の幼いライチョウに出逢った。再度、神様に感謝した。南アルプスでは少ないといわれているライチョウが、目の前にこんなにもたくさんいるとはおどろきだ。
 目の上が赤い幼鳥は雄だろうか。
 みんな無事に大きくなってほしい。


 次の朝は、噓のように晴れていて、雲の上に頭を出した富士山と、その左側の山から登る朝日とを拝んだ。山荘を出発すると、またしても、ライチョウの親子に出逢った。昨日と違う場所、足環の色も違うから、別の個体だろう。朝から幸先がいい。

 北岳山頂までの道は、花また花がつづく。花の名前を紙面に書いていたら、1ページがそれだけで終わりそうだ。ミヤマ~、タカネ~、シコタン~、ハクサン~…名前にこんな冠がついただけで、途端に高貴に見えてくるのは気のせいだろうか。
 山頂から下ると、また、植物が変わって来る。下界が少し近づくのを感じながら、白根御池小屋へ。

 そして次の日、広河原の駐車場へと向かう。途中で、今まで誰も見たことのない植物が現れ、話題になった。これも楽しい思い出になるだろう。
 後日、それがセリバシオガマだと判明した。こんなに贅沢に時間を使った山行であり、東京に戻っても、なおも花談議が続いている。
                  (森林インストラクター)

   ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№217から転載

春蝉鳴く倉岳山、富士は雲にそっと隠れ = 開田守

倉岳山(990m)=開田守

平成29年5月28日 (日) 晴れ

参加メンバー : L原田一孝、武部実、金子直美、開田守の計4人:

コース : 鳥沢駅~小篠貯水地~分岐・石仏~高畑山~穴路峠~倉岳山~立野峠~梁川駅


『山行』

 高畑山・倉岳山は大月市平成4年公布の、秀麗富獄十二景の9番山頂です。 集合は鳥沢駅9時。
4人 そろったのでさっそく出発した。
 線路沿いを歩いて行くと、行き止まり。おっと、最初が肝心。駅に戻って甲州街道を東へ、古い家並みを歩いて行くと、季節がらツバメが飛び交う。ヒナのいる巣 もちらほら。

 中央本線のガ-ドをくぐって、桂川を虹吹橋で渡り小篠集落に。やがて、ゲ-トのある所 に、ここが登山口である。
 ゆっくりしたペースで、山道を行くと、小篠貯水地があった。このあたりの水源になっていると聞く。池の左手をたどると広い道はすぐに終わり、植林の中のうす暗い山道となった。

 オシノ沢を渡り返し、何かいい気分にさせてくれた。新緑のうす緑からの木漏れ日が、何とも清々しくて、爽やかで気持ちがいい。まもなく石仏のある分岐にさしかかる。 まっすぐに進むと、穴路峠である。


 あとで合流しますが、右の急登の斜面を行く。やがて尾根に出ると、徐々に傾斜がゆるやかに、そして平らな道になると、小屋跡の小平地に着いた。ナベとか茶碗とかがころがっている。

 それから植林に入ったあたりは、ゆるやかになった。だが、すぐに急登となる。しばらく続きましたが徐々にゆるやかになっていく。そして、明るくひらけた高畑山山頂です。

 早いけれど、日陰で昼食を摂る。

 富士山は雲に隠れて見えません。 穴路峠へ向かい出発する。。滑りそうな急な下りを行く。急坂が終わると、ゆるやかな尾根をアップダウンして穴路峠へむかう。
 先程の分岐からの道と合流した。このあたりには可愛いギンランが、あっちにもこっちにも咲いている。
 峠から松林の尾根を進むと、苦しい急登になる。ヤマツツジがあちらこちらにまだきれいに咲いている。道の傾斜が緩み、倉岳山の山頂に着く。12時45分だった。


 春蝉が何匹か鳴いている、今年ははじめて聴く。山頂南面は立木を刈り払い、眺めはとてもいいが、富士山は雲に隠れて見えずだった。
 ここで15分ほど休み、立野峠へむけて出発する。。固定ロ-プもある急坂を下って行く。何かとても良い匂いがしたけれど、匂いの源は分からずじまい。

 狭い尾根上の立野峠から、折り返すように北西へ下って行く。薄暗い植林のなかを急降下してジグザグに行く。
 小沢を何回か渡り返しするうちに、大きなトチの樹があった。

 梁川駅の時刻が気になりスピードを上げて下って行く。梁川駅には14時45分に着いた。それでも、高尾駅行にはまだ10分ほどありました。この山は、冬に来た方がいいのかなぁ。

 反省会は高尾駅南口で。

           ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№214から転載

高山植物の宝庫の山行なり、四阿山 = 武部実

四阿山(2354m・長野県と群馬県の県境)

山行日:平成29年8月23日(水)
 
参加メンバー:L武部実、栃金正一、佐治ひろみ、中野清子、開田守の計5人

コース:上田駅からタクシー~菅平牧場~根子岳~十ヶ原~四阿山~中四阿~小四阿~菅平牧場~菅平高原ダボスバス停

『山行の記録』

 出発点の菅平牧場の標高はすでに1590m。高原の風は爽やかだ。根子岳に向けて9:00出発。登り始めて直ぐに両側には花が咲き乱れていた。
 ハクサンフウロ、ツリガネニンジン、ヤナギラン、クルマユリ、アキノキリンソウ、ワレモコウ等々。そして田中澄江が花の百名山に記述しているウメバチソウも数輪見かけたが、何といっても今回の高山植物のチャンピオンはマツムシソウだ。

 根子岳から四阿山のいたるところに、うす紫の花が群生していたのである。茎が長く、いまにも倒れそうな姿は、ここだけの品種なのだろうか。

 一時間ほど登ると樹林帯に入った。このあたりから雨がぽつりぽつり、天気予報は晴れだったのになあ、中止になった霞沢岳は逆に晴れるし、どうもこのところの予報ははずれが多い。灌木帯に入ったころころから、大勢の高校生とすれ違う。

 日体大荏原高校の生徒で150人ほどが来てるという。全員に「こんにちは」と声かけられるのはいいが、相手は一人、こちらは全員に返答するので、これだけでくたびれてしまうほどだ。

                  (根子岳山頂にて) 

 11:10、根子岳(2207m)山頂に到着した。広々として気持ちのいい山頂だが、残念ながら眺望は無い。
 四阿山から縦走してきた大学生の集団が着き、とたんに大賑わい。雨が小降りになってきたので昼食を摂り、11:45に出発。

 十ヶ原へ降るころには雨がやみ、正面に四阿山が見えはじめ、写真を撮るなど、まだ元気だった。シラビソ林の登りは、意外と急登で踏ん張りどころだ。
 稜線に出ると(11:25)、あとは緩やかな登りで、菅平牧場への分岐を過ぎ最後の階段を登り終えると四阿山の山頂に着いた。(14:00)。


 山頂は狭く、根子岳の十分の一位。天候が回復し、見晴らしも改善されてきた。南方には浅間山、その左手には、ノコギリのような妙義山がはっきりと眺めることができた。北方は残念ながら雲におおわれている。晴れていれば、北アルプスも眺められたはずだ。

 14:25に出発。登ってきた道を引き返し、鳥居峠への分岐を過ぎ、中四阿への分岐を下る。
 途中、右手に見える根子岳は、形のいい山容を見せていた。中四阿と小四阿を過ぎ菅平牧場登山口に着いたのが、17:30だった。
 靴を洗って出発したが、菅平高原ダボスバス停に着いたのが、最終18:35の5分前だった。雨に降られたが、花がいっぱい見られて、景色も良く、まあまあの山行だった。

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№218から転載

採掘されつづける武甲山(1304m)=武部実 

平成23年10月24日(月) 小雨のち曇り

参加メンバー:L関本誠一、佐治ひろみ、大久保多世子、武部実

コース:西武秩父駅 タクシー~一の鳥居~表参道~山頂(昼食)~長者屋敷の頭~橋立鍾乳洞~浦山口駅~お花畑駅~西武秩父駅          


 初めは22日(土)に計画したが、雨天のために延期となっていた。本日・24日(月)に西武秩父駅に9時に集合した。タクシーで、一ノ鳥居までは20分弱で、到着する。(2600円)。

 9:30に出発。小雨だったが、歩き始めて10分位で雨は止み、気温は高め、上着を脱いでTシャツ一枚の仲間もいた。

 杉木立の山道を一丁目(石柱に表示)から、歩きはじめて20分ほどで十丁目だった。「もう頂上?」違うんですね。
 この丁目は、約109mの距離をあらわしているものだった。頂上までは五十二丁、まだまだ先だ。

 十八丁目の不動の滝には、水飲み場があった。約半分の二十六丁目で軽く休憩をとる。すこし歩いたところで、海抜1000mの大杉に到着した。(10:50)。

 われわれ4人が手をつないで大杉の幹回りは丁度だから、優に6mはありそうだ。

 11:40、五十二丁目の御嶽神社に到着する。ここから少し登ったところが、展望台である。残念ながら、きょうは霧の中で、採掘現場や羊が丘、そして秩父の街並みはまったく見えない。

 武甲山1304mの標識の下には、三角点(?)があり、そこには1336-41+9と表示してある。たしかに計算すれば、1304mになるが、プラス・マイナス の意味は不明である。

 昼食を摂って出発の準備をしている時に、サイレンと発破の音がひびく。頂上は震度2位の揺れがきた。毎日、定時に発破するらしいのだ。

 12:40に出発した。一時間ほど下ると、渓流沿いの道になり、少しあるくと、林道にでる。この林道には落ち葉に混ざって、クルミの実がたくさん落ちていた。さらに、ねこじゃらしによく似たチカラシバが道の両側に群生している。この先を歩けば、橋立鍾乳洞はすぐそばだ。
 ここから20分で、浦山口駅に15:10に到着した。

 予定より早く着いたので、15:23発の電車に乗ることができた。

 お花畑駅から西武秩父駅まで歩き、時刻表を見たら、ちょうど普通列車15:37発の飯能行きの電車があった。それに間に合い、飯能から急行電車に乗り換え池袋駅には17:30頃に到着する。
 池袋では軽く反省会を行い帰途につく。

 今回は3年ぶりだったが、あらためて感じたのは、奥多摩の山々とちがって急登がなく、歩きやすく、変化に富んだ山った。
 石灰の採掘によって何年後かには、山が無くなるか、あるいはもっと無残な姿にされるおそれがあるので、皆さんも今のうちに登ってみてはいかがですか。

           ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№147から転載