日本山岳会(森武昭・24代会長)の恒例となった晩餐会が、12月6日(土)6時から京王プラザホテルで、開催された。皇太子殿下をはじめとした会員510人が参列した。
ことしの新入会員は一気に増えて211人で、そのうち同晩餐会に45人が参加した。最近の山ブームを反映し、若手が増えた。
かつて日本山岳会は伝統を重んじ、入会条件が厳しかった。ある意味でプロフェッショナルクライマーでなければ、手の届かない山岳会だった。しかし、会員の高齢化が進み、若返りが求められている。
いまや若手の登山愛好者が増えている。「山ガール」が流行語になっている時節である。同山岳会は入会条件を大幅に引き下げた。その結果として、見た目には30-50代の男女が増えた。
女性の着物姿も過去になく目立った。
森会長が冒頭に挨拶に立った。
「ことし(2014年)は、御嶽山の噴火事故で、大勢の登山者が犠牲になってしまった。57人の亡くなった人の冥福を祈り、6人の行方不明者の早期発見を祈ります」と、自然災害の痛ましさを語った。
明るい話題としては、5月23日、祝日「山の日」が制定された。16番目の祝日である。これは6年まえに、日本山岳会の当時の宮下会長が提言したもの。山岳5団体と国会議員連盟で実現した。
「こんなに早く実現するとは思わなかった。今後どうするか、まだ十分な準備ができていない。国民が意味ある1日にしていたい。若者、子どもらが山に親しめる環境づくりをしたい」と方向性を示した。
祝日「山の日」を推し進めた成川隆顕さん(元毎日新聞)が、会長特別表彰を受けた。
第16回秩父宮記念山岳賞は、大澤正彦さん(東京大学・教授)の『湿潤アジア山岳の垂直分布帯の成立と保全に関する生態学的研究』に決まった。
森会長から、「記念講演を拝聴したけれど、難しくて、わからなかった」と一言添えられた。大澤さんは賞状を授与されながら、そんなに難しかったですかね、わかり易く説明したつもりですけどね、と苦笑していた。
新入会員代表は、小島誠さん(四国支部)だった。同山岳会の初代会長・小島烏水のお孫さんだと紹介されると、会場がどよめいていた。
鏡開きの後は、乾杯、開宴と続いた。日本を代表するアルペン・クライマー谷口けいさんは和服姿で、皇太子殿下となごやかに歓談していた。殿下は一般会員であり、公務でない。鏡開き以外は、壇上のスピーチもないし、終始、笑顔でリラックスされているようだった。
私は上村信太郎さん、関本誠一さんと同じテーブルだった。
上村さんは今年の正月に発行された『富士山』(山と渓谷社刊)を紹介していた。同テーブルの人から、「1冊だけなの、10冊ぐらい持ってこないと買えないでしょ」と言われていた。
関本さんとは、ことし9月の登った剣岳のエピソードを語り合った。3連休にぶつかり、山小屋が思うように取れず、パーティーが分散してしまったという話題だ。
同テーブルで隣り合うのが、酒井忠基さん(静岡大学・教授)だった。同席の馴染みで話しが弾んだ。私が祝「山の日」にからんだ、天保時代のテーマ「山の恩恵」の取材・執筆をしていると紹介した。
「ぜひ、山岳信仰を書いてくださいよ」と要望された。
江戸時代の初期には酒井老中がいた。その子孫だと聞いて、驚いた。私はいま下書き段階だが、宝暦時代の群上一揆(ぐんじょう・いっき)を取り上げている。田村意次が台頭することになった、農民一揆の裁判で、評定所の吟味に酒井忠寄という老中だ。
臨席する酒井さんは、老中と名前がなんと一文字違いだった。
現代の酒井さんからもっと話しを聞けば、江戸時代前期の譜代大名で、第4代将軍徳川家綱のときに大老となった酒井忠清(さかい・ただきよ)の方の子孫だと話す。
大老でも、一文字違いだった。
江戸時代だと、畏(お)れ多くて会えない大名だろうな。