登山家

【読書の秋・推薦図書】 山の不思議 事件簿=上村信太郎 

 山は不可思議な現象が起きる。登山中に体力を使いきると、幻覚、幻聴に襲われたりする。しかし、数多くの登山者が、そうとばかり言えない奇異な経験するようだ。

 上村信太郎著「山の不思議 事件簿」山と渓谷社・900円+税では、ミステリアスな事件が国内外で、こうもあるのか、とおどろかされる。作者・上村さんも、類似的な経験をしている。

 実は、私にも2度ある。それを先に紹介しておこう。一度は奥多摩・川苔山だった。滝の寄り道しようと予定外のルートに入った。「道に迷ったかな」と疑心暗鬼になった。

 さっきから、後に誰かついてきているな、と思っていた。こちらは不確かなルートになっているし、私の後ろに付いてきても迷ってしまうぞ、と教えたい気持ちだった。
 ふり返ると女性だった。単独行か。わずか数分後、足音の気配が消えた。えっと思ってふり返ったが、そこには誰もいなかった。
「幻覚だったのか」
 そう自分に言い聞かせても、不気味だった。この付近に女性死体が埋まっているのかな、と考えると、早くその場から立ち去りたくなり、滝の探索は止めてしまった。

 南アルプスでの体験は、私が40歳くらいで単独行だ。いまでも鮮明だ。登山ブームも去り、3日間の強い雨のなかの縦走で、ほとんど人に会わなかった。まして、雨続きだと、稜線から日ましに登山者がいなくなった。やっと雨が上がった。
 農鳥岳(標高3,026 m)から下山を開始した。岩稜から森林地帯に入った。誰も会わない。森はうす暗く、私にしては妙な冷気を感じていた。下りが得意なのでハイスピードだった。「重力に逆らわなければ、スピードが出る」。それがモットーだから、転倒しないためにも、足もと(一歩ずつ)から目を離せない。

 ふいに前方にひとの気配を感じた。視線をあげると、30歳前後の女性が登ってくる。すれ違う距離感を捉えてから、ふたたび視線を足もとに落した。「豪雨のあと、こんなにも早くに登れって来れたの? 女性が一人で。軽装すぎる登山服だな」とふしぎに思い、早めに眼をあげると、無人だった。えっと、おどろいた。

 山腹の山小屋から標高差100mくらい上部だ。女性が殺されて埋められているのかな、と思うと、さすがにぞっとした。山小屋を横目で見て、見透しのよい川原に降りた。
 ここで気持ちを落ち着かせないと、事故ると判断した私は、コーヒーを沸かして飲んで気持を落ち着かせた。バス停まで、不気味だった。いまでも、女性の年恰好はことばにできる。だが、幻覚だろうと、殆どはなしたことはない。

 「山の不思議 事件簿」の紹介に入ろう。新聞で目にしたふしぎな事件も数多くある。北海道・大雪山に残されたS0S文字の謎である。平成元年、遭難者をさがすへリーが、湿地帯で、巨大なS0Sを見つけたのだ。男性の遺品に、助けてくれ、というテープが入っていた。白骨体は女性だった。
 
 世界一遭難者の多い、谷川岳の一ノ倉で、著名登山者がテントを張っていたら、深夜に雪を踏みしめて近づく足音がある。テントのまえでぴたり止まる。

 昭和13年に、黒部渓谷で、第3発電所の建設現場で、作業員の宿舎の3-4階が深夜跡形もなく消えていた。100人あまりの作業員もいなくなかった。雪崩だろう。しかし、2人の遺体しか見つからなかった。

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仙丈岳と甲斐駒岳に登った男たちと、山頂に登らない奴の物語り。(下)

 黙々と登る。ひたすら登る。これしか道はない。

 青い空に、地球の美を感じる。雄大な心にもなれる。

 でもさ、イジケルのもいる。

 「ぼく、疲れたんだもの」

 だれも背負ってくれない。

 それが山里の厳しさだ。


 
 まだ、あんなに遠くにあるの、きょうの目標は。

 泣き言をいっても、距離は縮まらない。

 ひたすら歩くのみ。

 笑顔で歩く者もいれば、うつむいて、うな垂れて、ただ歩く者もいる。
 

 「えっ、うそっ。ここはまだ頂上じゃないの」

 山は偽のピークがたくさんあるのさ。

 蝶々にも、心する。

 ゆとりが欲しいね。

 甲斐駒ヶ岳は快晴だった。


 仙丈岳は、寒かったな。

 ともかく、2座を登れた。

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仙丈岳と甲斐駒岳に登った男たちと、山頂に登らない奴の物語り。(中)

 山岳で遭難しない、最大のコツはなにか。それは「ムリしない」ことである。なにをもって無理だ、無謀だと判断するか。これがむずかしいね。

「ムリに山頂に登ろうとしない」。これが安全登山の一つ指針だ。『山頂まで登らない訓練』が、いま開発ちゅうだという。

 隠忍自重の精神を養う。それが安全登山教育だ

 集団登山でありながら、最初から単独行だから、被写体がいない。「モデルになってくれますか」と声がけすれば、快く応じてくれた。

 東北大学・山岳部の部員だった。

 将来の日本山岳会のメンバーかもね。

 

  

 9月12日(土)10時の広河原行きのバスが集合だった。
 早朝。東京に強い地震があった。JR電車、私鉄、高速バスの交通機関はガタガタに狂ってしまう。もう、ここから7人のパーティーはずっこけていた。

 甲府からの臨時バスはガラガラで、乗客は5人ていどだった。それでも、女車掌が美声で、ずっとガイドしてくれる。いまどき定時バスにガイドとは驚きだったな。

 年季が入っていたね、その内容には。

「よし。帰りは甲府城と信玄堤に立ち寄って帰えろっ」と気持はもはや下山後になっていた。

 

 登山基地の北沢峠についた。

 3日後の帰路のバスの時間を確かめる。平日と祝日は違う。季節によっても違う。それをAとBで表示するから、妙に解りにくい。

 あげくの果てに、いいや、下山してからでも、そんな時間は、となってしまう。


 最初から、仙丈岳と甲斐駒岳をめざす男たちと、頭から、山頂に登らない奴がひとりいた。


 交通費と3泊の山小屋の費用(ビール代を入れると、30000円強)、かなりのコストをかけてきて、頭から山頂をめざさない。これには精神力がかなり要求される。

「これからの登山には、山頂に登らない訓練が必要である。遭難しないためには、自制心を養う必要がある」
 ものは言いようだね。高所登山には体力が追い付かない。そんなことはおくびにも出さないし。

「体力に見合った登山も、自制心だよ」というならば、勝手にどうぞ、と若者は見下すのみである。


 古代から江戸中期まで、修験者たちは山腹の洞窟で念仏修行したり、滝に打たれたりしたものだ。日本人が競って山頂を目指すようになったのは、元禄時代の円空上人あたりからだ。山頂に祠をおいて開山・開闢(かいびゃく)するようになった。

 西洋登山は信仰よりも、貴族のスポーツとして、ひたすら険しい登攀(とうはん)をおこなっていた。やがて、それがエベレストなど、ヒマラヤ登山に結びついた。


 日本でも、江戸時代初期に、谷川岳の一ノ倉の大岩壁に仏像を奉納されているから、技量的な面では、たいしたものだと思う。

 決して、日本の岩登りの技術が劣っていたわけではない。それなのに、明治時代から、西洋式の貴族アルピニズムに支配されてしまった。

 劣るとすれば、技量でなく、装備だった。日本はワラジ・金剛杖、片や西洋はピッケル・アイゼンだった。つまり、お金持ちでなければ、山に登れなかった。


 孤独のなかで撮影する。これは芸術的な美の表現か、小学生でも撮影できる写真か。観る人によって評価がちがうはずだ。

 その実、著名写真家の撮影だといえば、すごい、というし。ずぶの素人が撮ったといえば、なんだ、こんな写真となる。

 人間の価値観って、そんなものだよな。写真展、絵画展に行けば、そんな人だらけだったな。

 9月13日(日)お昼時に、全員が会いましたね。小仙丈岳の手前だった。

 仙丈岳の山頂は、「寒かったな。風が強くて。とても長くいられなかった」という感想からしても、懸命に登ったのだろう。アルピニズムで。

 あと2か月もすれば、凍死していたかもね。この季節でよかったね。


 森林を舞台に、一つ余興でもやるか。動画で撮るほどの演技でもなかった。

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仙丈岳と甲斐駒岳に登った男たちと、山頂に登らない奴の物語り。(上)

 こうして威張っていなければ、山男じゃないよね。「その実、なんど音をあげそうになったか」という登攀(とうはん)ちゅうなど微塵(みじん)も、見せない。気づかせない。ほほ被り。
 山は達成感だよね。

 ここにも、一人いたよ。良い顔しているね。「双児山」って知っている? 知らないって。「長谷村」ってわかる? まったく聞いたことがないって。そんなこと言うと、村民の選挙でえらばれた、村長さんが怒るぞ。
 ともかく、山頂の達成感はたっぷりだよね。

 9月14日から、3泊4日の豪華な超ゆとりのある登山だった。
 だれだ、こんな山小屋を選んだのは、と登る前から、グチが出る始末だ。なにしろ、北沢峠のバス停から、まずは下るのだから。
「ふつうは登山口から登るよな」
 ぼやくこと、ぼやくこと。

 樹林帯の登山道は、森林浴だと言い、喜ぶ奴もいれば、こんなコースは選ぶなよな、もっと景観のよいところにしろよな、とふてくされる奴がいる。
 この性格の差だけは、親の代から引き継ぐから、治しようもない。



 ならば、視界の良いところに出ましょう。
 いいね。とても、好いね。この砂礫(されき)の白い山は……。
 前を視るか、後を見るか。山は自由がいっぱいだね。
 都会生活から、解放させるよね。おい、おい、田舎生活だって、悩みが多いんだべ。


 こんな貴重な写真は、生涯に2度と撮れないかもしれない。

 左を写す女性、右を写す男性、さらには足下を写すひと。この3人を撮った当事者がいるのだから、合計4人はまったくバラバラだ。

 登山はチームワークが一番大切だ。そんな山岳技術書を世に出した人も、このなかにいるくらいだ。書くこととやることは違う。
 これまた貴重な存在だよね。

 ともかく、とても良いシャッターチャンスだな。

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山は危険。淑徳大学・公開講座『初心者のためにの安全登山教室』

 淑徳大学・公開講座(池袋)で、安全登山の講座を開いてくださいと要望された。山は危険と背中合わせである。命を守る。登山学科として体形的に教えてほしい、と。
 登山はどこまでも自己責任である。わが身は自分の技量と知識で守らなければならない。その趣旨から、淑徳大学・公開講座『初心者のためにの安全登山教室』を開催します。10/29~12月24日(各木曜日)、5回シリーズでおこなう。受講料は10000円。

【なぜ、座学だけの登山教室なのか】


 山登りをはじめると、もう少し高い山に登りたい。山は危険だが、美しい雪山にも登ってみたい。ただ、死にたくはない。では、どうしたらよいか。まず山岳基礎知識を「学科」としてしっかり学ぶことである。

 運転免許にも学科試験があるのとおなじ。教習所のコース、仮免で一般道を走った、それだけで日常運転をつづければ、いつかは事故が起きるだろう。

 現在の登山で、安全登山の基礎知識(学科)を学ばずして、山に登っている。だから、知識・技量・能力はバラバラ。突然の危険・危機に対して、有能なリーダーの下だといわれても、ある者は助かり、ある者は死んでしまう。
 
 優れた山岳リーダーすらも、登攀(とうはん)中に、新人に地図の見方・読み方、天気図の見方、天候異変の対応など、まずおしえない。
 いまだに体育系の登山の伝統で、登りながら覚えろ式である。それは江戸時代の職人「技術は盗んで覚えろ」のやり方とおなじである。

 北アルプスの積雪期は無風で晴れていれば、ハイキング感覚で登れる。技量の差などさほど出ない。体力的なものだけだ。しかし、ひとたび荒れると、1時間にして、生と死に別れてくる。

 有能なリーダーがいるパーティーでも、安全登山のレクチャーなどしてくれない。教えてくれない。そう見ておいた方がよい。

 著名な登山家が、記者会見で詫びている姿は、多くの人が眼にしているだろう。しょせんは「おれについてこい」方式なのだ。
 死と向いあわせると、人間ならば恐怖からパニックに陥る。そこまで心象心理を読まずして、「このくらいはまだ大丈夫だ」と突き進んでいった結果が、リーダーは助かるが、仲間は死ぬ。
 仲間が山で死んでも、リーダーはどんなに泣こうが、法的な罪は問われない。最終的には、死んだ登山者の自己責任だから。
 安全登山の基礎知識を学んで山に入る。それは山岳保険なみ、それ以上に価値があるものなのです。
 


「関連情報」

 問い合わせ先 淑徳大学池袋サテライト・キャンパス 03-5979-7061

 『初心者のためにの安全登山教室』ネットはこちらをクリックしてください

これが有名な丹沢のヒルか 丹沢山麓・自然観察=佐治ひろみ

 丹沢山麓・自然観察=佐治ひろみ                         

 期日…10月25日(土)  晴れ

 メンバー…(L)市田淳子、後藤美代子、栃金正一、脇野瑞枝、佐治ひろみ

 コース…秦野8:35→蓑毛大日堂9:00~蓑毛自然観察の森「緑水庵」9:35~石庄庵11:30/12:50~実朝首塚・ふるさと公園14:30~くずはの森14:55/15:45→渋沢駅16:30

 久しぶりの丹沢である。お天気も晴れて、気分も上々だった。

 秦野駅に8:30に集合だったが、ダイヤの乱れで、35分発の蓑毛行きバスに乗れない人もいたので、最初の見学地の大日堂で待つことにした。

 大日堂は、下車したバス停から2分もかからない所にあり、仁王門に2体の木造仁王様が鎮座している。奥の大日堂には、平安時代後期の大日如来が扉越しに見られる。
 今まで大山から蓑毛に下山することも多々あったが、まったく知らなかったので、きょう立ち寄ることが出来て良かった。

 大日堂の庭でジョウビタキの観察をしていると、次のバスが到着し、全員が揃って次の自然観察の森「緑風庵」に出発した。


 緑風庵はバス通りを少し下がった水車小屋が目印だった。かつて車中から眺めてはいたが、同庵に入るのは初めてだった。
 この森はクヌギやコナラや杉林の傾斜地になっていて、野草や鳥たちが見られるそうだ。茅葺の古民家で少し休んでから、山の中を歩きはじめた。リーダーの説明で、秋の草花や実等を見て回る。

 奥の探鳥の森に向かって、じめじめした枯葉の斜面を歩いていた時、足に違和感があった。…ズボンの裾をまくり上げると、ナント、ヒルが2匹吸いついて、1匹は靴下の中に潜り込もうとしていた。
 エ~ッ、これが有名な丹沢のヒルか! たまたまGさんが塩を持っていて、パラパラかけてみると、コロッと落ちてしまった。
 とにかく森の出口まで戻り、それぞれ足の点検をしたが、それ以外はいなかった。まさに自然の体験ができて良かった。
 
 そんなことから、緑風庵は早めに切り上げ、昼食の「石庄庵」に向かう。地元のそば粉を使った蕎麦は美味だった。私達の頼んだ蕎麦会席で、お腹は一杯になり、後半のふるさと公園へと歩く。

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勘違いが事故につながる 飯縄山(飯綱山)=藪亀 徹

飯縄山(飯綱山・1917m)=藪亀徹
                                   
登山日:215年5月23(土)~24日(日)

メンバー:L佐治ひろみ、市田淳子、渡辺典子、中野清子、脇野瑞枝、藪亀徹(6名)

コース:長野駅(バス)~飯綱登山口バス停~南登山道~天狗の硯石~西登山道分岐~飯縄山~西登山道分岐(西登山道)~林道~戸隠神社中社~ペンション・タンネ~戸隠森林植物園~
鏡池~奥社~ペンション・タンネ~森林植物園越水ロッジ入口バス停~長野駅

 東京駅発6:28(5人)~大宮駅(1人)合流~長野駅に到着8:08。

 私にとって長野駅に降りたのは40年ぶりである。善光寺が7年に一度の御開帳と重なり、駅前は賑わっていた。
 8:30、駅前のバス停にはすでに多くの人が列をなしていた。心配していた座席の確保が、3台バスが来たので安心した。約1時間余りで、飯縄登山口バス停に到着した。

 9:45に、南登山道を出発した。緩やかな森林の登山道で、さっそく小鳥の鳴き声や花が迎えてくれた。
 一の鳥居から登る登山道は、現世、来世の道標として十三体の石仏が安置されていて、それぞれに標高が表示されていた。標識代わりになり、良い道しるべになった。

 11:10頃、最初の休憩予定の場所に着く、その寸前に事件が発生した。複数人の行動につきものの、1人見当たらないのに気が付く。一番後ろを歩いていた私は、見かけていない。前を歩いていると思うが、なかなか追いつかない。

 11:28、天狗の硯岩で展望が開けた。

 12:24、遠くに北アルプスが見えてきた!

 12:39、西登山道分岐点に到着した、この辺は景色が良い。花や遠くの景色の写真を撮りながらゆっくり登る。

 途中2mの鎖場が一か所あるが、ゆったりとした登山道で、湧水が途中2か所あった。最後の尾根で女性から声がかかり、
「すにいかあ倶楽部の方ですか?」
「そうです」
「連れの方が、山頂で待っています」
 ここで、やっと安心した。もし、山頂にいなかった場合どうしようと、ずっと悩んでいたが、ホッとした。もし、山頂にいない場合の状況を考えたらゾッとした。

 脇野さんは山頂に1時間早く着いたみたいだった。話を聞いたら、前に歩いている人が連れの人と勘違いして、一生懸命追いつこうとひたすら歩いたという。後ろの方は考えなかったそうです。
 山登りは、勘違いが事故に繋がる場合があるので、お互い十分に注意しましょう。

 13:15に山頂、ここまで3時間30分予定より45分オーバーしている。山頂は360度のパノラマが利き、天気も良くて、遠くの北アルプスも見えた。
 山頂での昼食は美味しかった。

 14:00に下山を開始した、下りを始めて20分ほどすると、脚がつり始めてしまい、9か月登らなかったつけが、ここで出てしまった。

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眼下には奥多摩湖の絶景、鹿倉山= 武部 実     

鹿倉山(標高1288m)= 武部 実

登山日:平成27年7月11日(土) 

参加メンバー:L武部実、佐治みろみ、大久保多世子、岩淵美枝子、中野清子、諏訪 (計6人)

コース:奥多摩駅~バス~深山橋~大寺山~大マトイ山~鹿倉山~大丹波峠~丹波村役場~バス~奥多摩駅



 久々の晴れの土曜日とあって、奥多摩駅は登山客で大混雑だった。バス停も長い行列。無事乗れるか心配したが、鴨沢西行の臨時便が出て、我々は定時(8:35発)のバスに乗ることができて一安心。

 9:15、深山橋を出発。橋を渡って、すぐ右側には蕎麦屋の陣屋の屋号が見える。その横が登山口。最初から意外に急登だ。
 30度超えの天気予報であったが、樹林帯の登山は木陰の中を歩くので、少しは楽だ。水分補給をこまめに摂るようにして登る。

 10:40、突然、目の前には真っ白で大きな仏塔が現れる。雲取山や奥多摩の高い山から白い建造物がよく眺められたが、これが噂の大寺山の頂上(982m)だ。なんで、この山の頂上に36mもの高さの仏塔がと思うが、簡単に言うと日本山妙法寺が世界平和を祈って建立したという。初めて見た人はビックリすること間違いなし。

 10:50に出発。途中の標識に、マジックペンで書いたと思われる大マトイ山(1178m)が現れる。地図上では1178mとしか書いいないので、山名が不明だったが、これで納得できた。鹿倉山まで30分の標示。目標がはっきりすると、ガンバローという気になるもんだ。

 途中の斜面からは、さきほど登った大寺山の白い仏塔と、背後のどっしりした御前山、眼下には奥多摩湖の絶景が眺められて満足。しかし、30分たっても頂上は見えず、どうなってるのかと思いながら、ようやく45分かかって12:45に到着した。

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これが足慣らし? 秋の予行登山、岩場が多い乾徳山=山梨県

 東京を起点にした日帰り登山では、乾徳山(山梨市)は最も時間的にタイトな山岳に部類する。標高は2,031mで、山頂の領域には岩場が多い。鎖・ハシゴ、さらには急こう配の長いガレ場がある。
 
 この秋には仙丈岳の登山が計画されいる。

 足ならしだ、予行演習だ。

 この頃は、山岳最寄り駅から、登山者を見込んだバスなど皆無だ。

 5人でタクシーならば、まま、交通費の負担は少ない。単独行となると、きびしいものがある。

 林道は奥まで、車が入れない。平坦な道の長歩きをさせられてしまう。

 登山口で、顎があがる?

 ここから本番なのに。

 待望の水場だ。

 2か所ある。

 冷たい水は美味しいね。あまりの感動に、水場で、ペットボトルを置き忘れてきた。

 夏場の飲料水のない登山なんて、最悪、最低な状況に陥った。


 先頭で、ヘバツタの

 みんな遅いから、地面の虫と対話しながら、待っていたんだよ。

 ものは言いようだよ。頭は使いようだよ。

 富士山よりも、山ガールだよね。

 これが男という者さ。

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優しい風景と荒々しさの谷川岳に挑戦する=大久保多世子

谷川岳(1,977m)=大久保多世子

登山日:2013年9月28日(土)晴れ

参加メンバー:L佐治ひろみ、後藤美代子、栃金正一、武部実、関本誠一、大久保
 
コース:上毛高原駅―天神平―オキノ耳―1の倉岳―茂倉岳―駐車場―湯沢駅 

 JR東京駅に6:20に集合した。6:32発のたにがわ401号に乗り、7:53上毛高原駅に到着。バスは8:00発。ロープウェイで天神平に着いたのは9:10だった。

 身支度をして9:15出発。ナナカマドの真っ赤な実が美しい。10:00、熊穴沢避難小屋の前で水分補給。[土曜日+紅葉の季節]なので登山者も多い。
 
 ここからの登りはかなりハードで、大きな石や大きな段差の連続する。「よいしょ!」と声に出しながら、コンパスの短さを実感しながら登っていく。高度が増すにつれて、登山者の数も増え、ほとんど行列に近い。
 足場の悪い所では、下山する人とのすれ違いにも神経を使う。それでも予定より早く、10:30なオキノ耳に到着した。

 隣のピークまで進んで11:50~12:20は昼食。尾瀬方面の山々や動いて行く雲を見ながらの食事は最高だった。
 一の倉岳に向かって間もなく、ものすごく急な登りが目の前にドーンと現れ、弱音をはいたら、関本さんが、
「こんなの15分もあれば登れる、登れる」
 と励ましてくれた。


 半信半疑で登ったら、20分かからなかったので、人間の足の力を見直した気分になれた。オキノ耳を過ぎたら、出会う人もまばらで歩きやすい。
 好天に恵まれ、快適な空中散歩が続く。
 山頂は紅葉の最盛期だったが、霜でも降りたのか、あまり綺麗ではない。13:00「ノゾキ」という看板があり、恐々下を覗いた。断崖絶壁のものすごい岩場があり、残雪も見られた。
「上村さんや飯田さんは、あの岩場を登ったんだよ、すごいな」
 などと、しばらく岩登りの話で盛り上がる。


 13:30、一の倉岳に到着した。13:55、茂倉岳に到着。大きなドラム缶を置いたのかと思える避難小屋があったので、覗かせてもらった。
 座った状態なら、数人は入れそう。雷や雨の日は、助かるだろう。

 振り返れば、今日歩いてきた道がくっきり見渡せる。肩の小屋が豆粒のように見え、
「こんなに遠くまで歩いて来たんだ!」
 と口々に感嘆の声をあげる。

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