登山家

100年、数100年後を見据えた壮大な計画だった、明治神宮の杜=市田淳子

 お正月の参拝者数は全国一といわれるのが明治神宮です。原宿駅の真横にあり、交通の便も抜群。表参道という若者の街も至近距離にある、この地に神様の杜があります。

 古代の神社には社殿がありませんでした。動植物を神霊としたり、森そのものを神社と考えていたりしたようです。
 神社をモリと読ませ、社(モリ)は杜(モリ)の同義語だったというのも、うなずけることです。


 明治神宮の杜は明治天皇崩御のあと、国民の間で、ご神霊をおまつりしたいとの熱い願いが湧き上がりました。
 1915年(大正4年)から1920年(大正9年)にかけて、当時、畑や田圃、アカマツが生える代々木御料地に、全国からの献木によって明治神宮がつくられました。


 その杜で2016年1月24日に、日本山岳会・自然保護委員会が主催する自然観察会が行われました。樹木に詳しい森林インストラクターが、明治神宮の樹木の見方などを、丁寧に解説してくださいました。

 雑木林だと、冬は木々が落葉して明るくなるのですが、明治神宮は違います。そのうえ、神社によくある杉並木もありません。

 明治神宮の杜づくりを計画したのは、本多静六、本郷高徳をはじめとする当時の林学・農学・造林の第一線の学者たちです。
 敷地脇を機関車が走ったり、西新宿方面には工場があったりという立地でした。将来は大気汚染も予想していたのでしょう。さらに、乾燥した土地だったので、それら条件をも加味しながら、最終的にカシ類、シイ類、クスノキ類などの常緑樹の杜をつくることでした。
 このように百年、数百年後を見据えた壮大な計画だったのです。


 私たちがいつも登る山の自然環境とは違い、自然界では絶対に隣り合っているはずのない木が、明治神宮では、いっしょに元気に生きています。
 つくられた杜とはいえ、それなりの生態系が出来上がっています。そんな杜は、登山を趣味とする私たちのとてもよい勉強の場となっています。

 もともと私は、ピークハントのために登山をする気は全くなく、山に登る途中、その地に生きる樹木や昆虫や鳥獣類に出会えることこそが、登山の一番の愉しみであり目的です。
 このような観察会に参加することは、登山の愉しみが増え、山に対する気持ちを新たにしてくれる大切なことだと思いました。
 自然が存在するには、必ず意味があります。それは長い間の自然界の変化だったり、人間の影響だったりします。この世に意味のないことはなく、ただ私たちには計り知れないだけだと思います。

 百年後を見据えて杜をつくった英知は、今後、国立公園などの自然保護にも受け継がれるべきです。これから先、ずっと日本の山が破壊されることなく、自然を大切にする心を持って登山を愉しむ、こうした文化が続いて行くことを願います。(森林インストラクター)


    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№197から転載

瀬戸内しまなみ海道サイクリング = 飯田慎之輔  

 2015年7月2日(木)自転車で、「しまなみ海道」を走ってきました。

 しまなみ海道は尾道から四国の今治まで、橋と島で結ばれた道です。約70キロ、一番長い橋は来島大橋で、長さは4.105キロ、高さは80メートルくらいあります。橋は全部で7本あります。

 こんかい私の友人と、北山さんの次男隼地(はやくに)君と、私の3人で走ってきました。隼地君はすにいかあ倶楽部のホームページを作成してくれた人です。

 私の友人とは東京駅の新幹線で、隼地君とは福山駅で11時頃に集合しました。

 1日目は福山から川沿いに18キロぐらい鞆の浦へ向いました。そこは古い家並みの残る小さな潮待ちの港です。自転車だと30分走ると全部です。
 レストランを探してうろうろ。一日10食限定のランチを食べて、3人は元気になり尾道を目指して走りました。

 60㌔くらい走って、4時過ぎにホテルに到着し、シャワーを浴びてビールです。一休みして尾道の街にくり出し、夜ご飯です。

 2日目は8時に出発し、まずは尾道港から向島まで渡船で渡りました。1.5㌔100円です。自転車代が10円です。
 島の道路には、しまなみ海道沿いにブルーのラインが引いてあり、それに沿って走れば今治まで走れます。

 1本目の橋、因島大橋の取り付け道路で、友人の自転車が車輪同士が接触して、落車した。転車は何ともなかったのですが、本人軽い脳震盪を起しました。40分くらい休んで、友人は元気になり、次の島因島へむかう。


 しまなみ海道からはずれた因島水軍城を見学し、次の島生口島へむかう。景色の良い海岸線をはしってサンセットへ。ここでお昼ご飯を食べて大休止となる。
 多々羅大橋を渡り、大三島友人の知り合いの家に寄ってから、大山祗神社。そして、ミュージアム大三島、伊東豊雄建築ミュージアムを覗いて伯方島へ……。

 次の島大島の友浦港が、今日の宿です。3日目の天気が良くないので、今治まで行くことになり、大変です。
 一番大きな橋来島海峡大橋を渡って、今治のサイクルターミナルには夕方5時に着いて、一休みしてから友浦港の民宿へ。7時に着いて、7時半から食事です。120キロも走ったので、全員が疲労困憊ですぐに就寝です。

 3日目は、朝7時に食事、8時には出発です。ところが、友人の自転車がスローパンクしてやり、パンク修理に手間取り、出発が9時過ぎになりました。
 昼頃から雨が降り出す、との予報で、同じ道を一生懸命走って11時半には尾道に到着した。この間が50キロです。
 尾道駅12時45分発の普通列車に乗って福山へ。新幹線待ちで、ビールを飲んで昼飯を取り、2時50分の新幹線に乗って帰宅。梅雨の晴れ間のサイクリング、くたびれましたが、楽しかったです。


         ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№190から転載

落葉が黄色・黄緑・オレンジ・赤色・緑の絨毯(じゅうたん)だった、鎌倉アルプス=藪亀徹

平成27年12月5日(土) 晴れ

参加メンバー : L武部実、渡辺典子、野上とみ、松本洋子、中野清子、砂田亮子、籔亀徹、他2名

コース : 北鎌倉駅~明月院~大平山~天園~獅子舞~鶴岡八幡宮~鎌倉駅


 北鎌倉駅に9:40集合した。(円覚寺寄り)。予想通り、きょうは土曜日と紅葉の時季が重なり、かなりの人手であった。
 どうにか、全員が揃い、円覚寺前から10時に出発する。武部さんの友人2名を加え、9名の参加でした。

 鎌倉アルプスは約3時間のハイキングコースである。入山は明月院の手前から入り、民家の脇からコースの入り口になる。

 竹やぶの登り道で、やぶ椿も見えた。
 紅葉はどこにも見ることなく、所どころで富士山が見えたり、スカイツリーが見えたりする場所などがあった。人出は多く、気楽な歩きなので、後ろから来る人は先に行かせた。

 ある程度登ると、後は尾根を歩くコースである。11:35には、鎌倉市最高地点(海抜159.2M)の大平山に到着した。

 山頂らしき場所には、小さな看板があるだけだった。その直ぐ下には広場があり、多くの人が休んでいた。真横には、鎌倉カントリークラブがある。このコース途中にはトイレは無く、この広場を過ぎたところに一箇所だけある。

 12:15には広場を離れ、出発する。10分程で、天園峠を通り過ぎる。さらに10分程で、本日のメインである獅子舞の紅葉の場所に到着した。

 ここは大きい木が多くて、色とりどりで…黄色・黄緑・オレンジ・赤色・緑、落葉が黄色の絨毯(じゅうたん)になっていた。
 太陽と空の青が、いっそう色彩を鮮やかにさせていた。ここを後にして……沢を横に見ながら、下山する。
 民家が見え出すと、永福寺跡の整備がされている場所に出る。ここは源頼朝が建てた大寺院跡である。この後、鎌倉宮に出て鶴岡八幡宮へ。大勢の人の中で、結婚式が執り行われていた。 

 記念撮影をして、いざ鎌倉へ……。鎌倉駅には14:35に着いた。ここまで4時間30分の所要時間だった。
 いちおう解散という事で、男性4人はいざ天狗へ……。ところが、女性も合流して全員で乾杯になりました。17:00前には、気持ち良く電車の中へ。
 こんかいは野上さん、松本さん、砂田さんとは初めての山行でした。

 (鎌倉八幡宮にて)
                 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№197から転載
                           

奥多摩 ロン・ヤス会談の「日の出山荘」 = 松元兵八

期 日 : 2012年4月29日 (日) 晴

メンバー : L松元兵八 上村信太郎 岩淵眞一 西村美智子 松村幸信 

コース : JR武蔵五日市線武蔵増戸駅前 → 網代弁天山(網代弁天洞窟)…武蔵増戸駅前(昼食) 
→ 横沢入里山保全地域…落合バス停 → 日の出山荘 → 武蔵五日市駅前 (歩行 約4時間)

「日の出山荘」掲示のロン・ヤス写真


 10時30分に、武蔵増戸駅前に集合した。
 秋川に架かる網代橋を渡り、貴志嶋神社入口まで1.3kある網代の弁天様といわれるこの神社の奥の院弁天洞窟に入る。

 洞内をヘッドランプで照らしながらいく。財宝・福徳を授ける神 毘沙門天立像(多聞天)は、高さ35センチの大黒天像(伊奈石製)のご尊顔を拝してから、下山する。駅前のベンチで昼食。
 12時10分過ぎに、駅前を出発した。

 北伊奈集落を縫って、西側の広葉樹林の尾根道を20分ほど登りつめると、目ざす横沢入里山保全地域である。ここは野生動植物保護地区に指定されている。


 ルートマップにも載っていない急坂を一気に辷り下りると、下ノ川という谷戸にでる。下ノ川の沢が、横沢入の中央を流れる横沢川に合流する。そこには戦車橋が架かっている。この橋は、横穴に残っていた旧陸軍の大砲などの牽引車の部品を利用したものだという。

 西に進むと、宮田西沢の標識があり、この谷奥には伊奈石の石切り場跡がある。さらに百歩足らず行った右の山腹に入口が急斜面になっている地下壕がある。
 根っこに掴まり、よじ登って壕の中を覗く。戦争末期の昭和20年に旧陸軍によって掘られている壕内に軍需品を保管したという痕跡を辿った。
 壕を掩う軟らかい砂岩が剥がれそうだ。我々はこの遺跡の現状を損なわないように注意しながら、崖を下りた。


 横沢入の拠点ログハウスの斜め前に、横沢川を北側に渡る橋の護岸の石垣に注目した。メンバーの皆が「あっ臼だっ」と声を上げる。
 石垣に茶臼の未成品が、そのまま組み込まれている。

 戦車橋に戻って下ノ川を渡り、横沢入の東側尾根を登る。ロープを伝って急斜面を登ること10分で、中腹となり、一休み。頂上付近からは西の山々の日の出山・御岳山・大岳山等を仰ぎ見る。

 30分位で、保全地域を通り過ぎて、日の出団地の北側のテラスに出る。ここは、伊奈石露頭で、地層が地表に露出している。
 八坂神社の脇をZ字形に下り、落合バス停へ着く。歩くと入館受付に間に合わないので、タクシーを呼んで日の出山荘へ駆けつける。

 15時からは館内見学。1983年、日米首脳会談「ロン・ヤス会談」の舞台となった記念館である。母屋の「青雲堂」中座敷に掲げられた中曽根氏の書「太平洋波静」を見ても当時、いかに日米関係が強固だったかが窺えよう。
 我ら一行は青雲堂を背景に写真撮影する。そして、武蔵五日市駅前で乾杯した。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№53から転載

道迷いでクモの巣とササやススキに難儀、扇山=松本洋子                                  

扇山(1138m)

日時:2012年9月15日(土) 晴れ

メンバー:L関本誠一、渡辺典子、武部実、石村宏昭、松本洋子  

コース:鳥沢駅(バス)⇒梨の木平~扇山(山頂直下:昼食)~君恋温泉~犬目~大田峠~梁川駅

 JR鳥沢駅に8:50に集合した。
 4~11月の土日のみ運行(9時発)のバスで梨の木平登山口へむかう。9時10分に到着する。登山口に「熊に注意!」の看板ありホントにいるのかな~?と言いながら、9時15分から熊鈴をつけて登り始める。
 最初は緩やかな登りで、30分くらいで水場に着く。滔々と湧き出る水を持参のペットボトルに入れてから、また登り続ける。

 ふたたび林の中の道をぐんぐん登っていき、急な坂を登り切り、分岐の標識には10時45分に到着した。ここが「大久保のコル」。無理をせずに小休憩をとる。

 右の道へと進路をとり、富士山の絶景が待つ扇山の山頂へとむかう。あともうひと頑張りだ。ここから扇山山頂までは、広くてなだらかな尾根道だった。

 何てことのない道のようだけれども、ただ歩いているだけで、胸の奥からわくわくしてくる。そんな道を快調に歩いていく。やがて林を抜け、突如として広場に出る。11:00に山頂に到着した。

 記念写真を撮る。晴れてはいたが、武部さんが楽しみにしていた富士山は見られずがっかり。

山頂は木陰がないので、もう少しを歩き、山頂から10分ほど下った登山道脇の木陰スペースにシートを敷いた。
地面が少し坂になっていたので、坐っているのにも気を使いながらの昼食だった。
 約30分の昼食休憩をとった後で、出発する。


 犬目に向かって歩いてたはずなのに、君恋温泉に出てしまう。
 不動尊の下にある滝のところは、アルミの階段があり、気をつけて登り、マイナスイオンを浴びながら進み、君恋温泉にたどり着く。
 煙突からわずかばかりの湯気らしきものが昇っていたが、これで温泉かと思うほどだった。

 県道に下山したあと、いったんは犬目(バス停)まで戻り、ゴルフ場の脇をとおり、大田下バス停にたどり着くも、13:33分発のバスには3分程遅かったために乗れず。
 やむなく歩いて20分位とかの近道(?)を行くことにした。

 大田峠を経て梁川駅へと向かう。いつ人が歩いたかわからないくらい、クモの巣とササやススキが生い茂った道なき道を進み、半分くずれている様なところも2、3ヶ所あったが、どうにか14:45に梁川駅へ辿り着く。
 大田峠~駅までのコースタイム20分のところ、40分もかかり、あまりお勧めのコースではない。結局は10分ちょっとの待ち合わせで、14:58発の電車に乗った。立川にて、反省会をしてから家路へと向かう。


       ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№159から転載

純白の富士山には感動、笹子雁ガ腹摺山 = 脇野瑞枝

笹子雁ガ腹摺山(1358m)

2012年5月19日(日)晴れ

メンバー:L佐治ひろみ、石村宏昭、大久保多世子、北山美香子、脇野瑞枝

コース: 初狩駅8:00集合、バス8:45発 → 新中橋9:10着 → 笹子雁ガ腹摺山10:40着 → 米沢山11:55着 ― 昼食 → 御坊山13:15着 → 大鹿山13:55着 → 景徳院15:05着 - バス15:37発 → 甲斐大和駅15:51発 → 帰路

 初狩8:45のバスに乗り、新中橋にて下車した。
 登山口から杉木立の中をしばらく登ると、そびえ立つ鉄塔の下に出る。鉄塔の右側を通り抜け、さらに登りつめて尾根筋に出ると、右手にはこれから登るだろう稜線が続く。
 藪の中、かなり急な登りを頑張ると、笹子雁ガ腹摺山(1357)山頂に着いた。

 まわりには、東国三葉ツツジ? の灌木が目立つ。山頂からの眺めは、続く山々と雪をかぶった美しい富士山とで最高です。
 10:40着。細い道を下って、やせ尾根が続き、三つのピーク、クサリ等を使ってかなりきつい。


 1時間ほどで米沢山(1357)山頂に着いた。昼食を取る。山頂は樹林に囲まれていて展望はありません。

 登り降りを繰り返し、間井沢ノ頭/トクモリ(1412)を過ぎると、西側がパッと開けて展望が良い。しばらく進むと、お坊山山頂に着いた。
 またまた一気に下がって大鹿峠に着く。
 樹林に囲まれ、道も狭く、いよいよ下山になる。目指す景徳院の道がちょっと見つけにくい。暗い樹林の中を一気に下って氷川神社を過ぎ、民家を通り抜けると、立派な山門が目に入る。景徳院です。
 この寺は徳川家康が建立している。二度の火災にあい、山門を残すのみとのこと。手入れが行き届いた庭園を見物した。

 15:37発のバスに乗り、15:51甲斐大和駅発にて帰路に向かう。立川にて反省会。

 全体に道が狭く、樹林の中で、アップダウンが思ったより激しかったように思った。笹子雁ガ腹摺山からの雪をかぶった富士山が素晴らしかったです。

 また、大菩薩山塊には三つの雁が腹摺山にあるが、いずれも雁の飛翔コースにあたるので名づけられたと思われます。
 笹子雁ガ腹摺山は大菩薩連嶺の最南端に位置しています。中央自動車道笹子トンネルはこの山の下を通っているそうです。
 リーダー佐治さん、ありがとうございました。
(なお、トンネルの天井板落下事故が起きたのは、この山行の7ヶ月後です)。

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№159から転載

山岳歴史小説『燃える山脈』・連載150回へ=市民タイムス・特集

 国民の祝日「山の日」制定の記念として、山岳歴史小説「燃える山脈」の新聞連載小説が昨年10月1日から始まり150回になってくる。予定としてはことし5月31日まで約240回である。
 松本市・本社『市民タイムス』において、2月19日に特集号市民タイムス・「燃える山脈」佳境へ熱くが組まれた。

『今年開削200年を迎えた安曇野の「拾ケ堰(じゅうかせぎ)」の開削に取り組んだ人々の姿を生き生きと描いた章から、「湯屋の若女将」、「水の危機」、「伴次郎街道の運命」、「湯屋への危機」へと続き、今後も「飛騨の惨状」、「江戸からきた隠密」へと展開する。

 物語はいよいよ最大の山場へと進んでいき、毎回目が離せない』と紹介してくれている。

「あらすじ・これからの展開」「温知堂の雰囲気 務台さん宅に残る」と紙面を割いている。


 筆者側としては「当時の生活思い描く」(挿絵・中村石浄さん)も顔写真入り。「知ってほしい格差構造」(作者・穂高健一)とつづく。

 トップ写真の槍ヶ岳の写真はとても素晴らしい。山岳写真家なのか、報道写真部なのか。昨年12月撮影と記す。
 

沼津アルプスの最高峰392mなり。甘くみたらダメだよ = 武部実

平成27年 2月 7日(土)

参加メンバー : 佐治ひろみ、渡辺典子、後藤美代子、武部実、石村宏昭、市田淳子、中野清子の計7人

コース : 沼津駅バス~多比~多比口峠(大平山分岐)~鷲頭山~志下山~徳倉山~横山峠~沼津商業高校~香貫小学校~バスで沼津駅


 多比の停留所を9:30出発。

 しばらく舗装路歩きだが、水仙や白梅を眺め、みかんの無人スタンドで買い物したり、と最初はゆったりだ。
 30分で、登山口に入る。寒いと思って着込んできた服を脱ぐことにした。15分で大平山との分岐(多比口峠)に着く。
 今回は、大平山はパスして鷲頭山に向かうことに。ここからが、ウバメガシ(備長炭の原料)の長い群生地を左に眺めながら歩く。

 11:20沼津アルプス最高峰の鷲頭山(392m)に着く。
 往きの電車から眺められた富士山は、この時間になると、愛鷹山先の雲の中で裾野が少しだけ見えるだけだ。
 しかし、駿河湾の景色は抜群。眺望を楽しみながら昼食を摂り、11:55に出発する。

 頂上直下には2日前に降った雪が残っていたし、ぬかるんだ登山路で滑りやすい。平重衡終焉切腹地を過ぎると、すぐが小鷲頭山(330m)だ。

 急な下りだが、ロープが設置されていてありがたい。他の登山者を見ると、何人かはお尻が泥まみれ
になっていた。

 すれちがった登山者がどこかで見た顔だと思ったら、登山家の岩崎元朗さんだ。3人を引き連れての大人の遠足だ(HPに書いてあった)。
 そういえば、岩崎さん選定の新日本百名山に沼津アルプスが選ばれているので納得。

 平重衡が隠れていた洞窟を過ぎ、パノラマ展望台等を通り、12:50に志下山(214m)着。太平洋戦争時の防空壕跡を過ぎると、最後の急な登りだ。
 昇り降りをこれだけ繰り返すと、累計標高はいくらになるのだろうか。400mに満たない山だが、1500m以上の山に登った感覚かもしれない。


 13:40今回の縦走最後の頂である徳倉山(256m)着。富士山は相変わらず雲の中だが、箱根の山々や駿河湾の曲線がきれいだ。
 眼下の沼津市内を望みながら、一服する。

 ここからも急な下り道。ぬかるんだ山道だが、クサリが設置されていてホッとする。30分で横山峠に着き、左に香貫小学校方面に降りようとしたら、なんと木の柵で、通行禁止になっているではないか。
 しかたなしに、右折の沼津商業高校に下る。

 10分で高校に着き、地元の人に尋ねたら、トンネルを抜けて15分位で、香貫小学校の停留所に着くと教えられる。
 予定通りの14:55発のバスに乗車した。駅前のマグロ料理屋で、軽く反省会。暖かくて恰好のハイキング日和の一日であった。

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№186から転載

秀麗富嶽12景5番山頂なり、ビューポイントは1か所。奈良倉山(1349 m)=松村幸信

平成27年9月5日(土)曇り時々晴れ

参加メンバー : L武部実、渡辺典子、大久保多世子、中野清子、松村幸信

コース : 上野原駅~鶴峠~奈良倉山~松姫峠~山沢入りのヌタ~トチノキの巨樹~小菅の湯~上野原駅        

 
 小生は昨年暮れ、低山で下山途中に雪で滑り右膝を捻挫した。それから初の復帰の山行なので、まだ違和感もあり、躊躇(とまど)っての参加であった。
 高尾駅で、1年振りに武部氏の顔を見つけると、躊躇(ちゅうちょ)していたものが、すっと消えてしまう。


8:07 上野原駅に到着した。集合と同時に、8:10発の鶴峠行きのバスに乗車する。

 8月下旬からもずっと雨が続いていた。また明日から天候が崩れるためだろうか、雨の合間をぬった山好きでバスはいっぱいだった。
 乗客のほとんどが、途中のバス停で次々と下車し、終点鶴峠のバス折り返し場に到着したのが9:17で、われわれと6人グループの2組となる。


 登山準備を整えてから、9:25に出発する。この時期はまだ蒸し暑いはず。半袖で歩いていると、木立の中は肌寒さを感じるほどの涼しさである。


 落ち葉が踏み固められた山道は、膝にやさしく歩きやすい。緩やかな上りで、中野さんはきのこ探しをしながらゆっくりと進む。


               
 10:51 奈良倉山(1349 m)に到着した。山頂は大月市と小菅村の境にあり、木々に囲まれ平坦な場所である。眺望は無いが、一箇所は木々を伐採して富士山が見えるビューポイントがある。

 山頂の標識には、秀麗富嶽12景5番山頂と書かれてある。だが、あいにく今日は雲が低く垂れ込め、霞んでいて富士山は見えない。
 しかし、目の前には、雁ヶ腹摺山がはっきり見える。


 この時期まだまだ暑いのに、ススキの穂がたれており、秋の訪れを感じながら山頂でちょっと早めの昼食を摂る。


 11:35 奈良倉山を出発。下り始めて間もなく林道となる。路肩にはツリフネソウ、キバナアキギリ、ソバナ、フシグロセンノウ、ハギなどの花を次々と見つけ、歩行のピッチが一段と遅くなる。

12:27 国道139号線と交わる松姫峠に到着した。信玄の娘・松姫がこの峠を越えて、織田軍勢から逃れたことに由来しているそうだ。
 バス停とトイレがあり、ちょうど1日1本のバスが折り返し待機していた。牛ノ寝・大菩薩峠登山口から再び登山道に入る。
 鶴寝山を上らず、巻き道の二輪草コースを行く。

13:27山沢入りのヌタを通過。


13:36 牛ノ寝通りのトチノキの巨樹がある。推定樹齢は650年らしい。幹囲は5人で手を繫いでも届くかどうかである。
 幹のごつごつとした大きなコブと、真っ直ぐ高く伸びている巨樹は実に堂々として、森の番人のようだ。
 予定時間を大幅に遅れた。


15:07小菅の湯到着。バスを一便遅らせて温泉に浸かることにする。
 この日は土曜日、湯船は芋洗いのごとく人がいっぱいだったが、温泉で汗を流しさっぱりする。

 上野原駅行きのバスまでの時間は喉を潤して待つ。

16:30発の上野原行きバスに乗車する。上野原の町はちょうど祭礼の神輿巡行が行われ、十数基もの神輿が街中に溢れていた。
 
 少々遅れたが、上野原駅に17:55到着する。いつものように立川駅で途中下車し、反省会を以って散会となる。


ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№195から転載

初夏の北ア・唐松岳山行で思ったこと=市田淳子

期日:2015年7月11日~12日

参加メンバー :  L原田一孝、 脇野瑞枝、 市田淳子

 撮影自粛の山行でしたが、見たものは全てしっかり目と脳裏に焼き付けてきました。

 今回、高山植物をたくさん見られたのは感動しました。ただの感動ではないのです。それは・・・「~は高山植物の宝庫」という言葉を、私たちは当たり前のこととしてとらえています。しかし、当たり前ではないと知ってからの山行だったため、その感動はひとしおでした。


 ここからの話は、昨年末、私がある講座で聞いた話。つまり受け売りなのですが、山好きの皆さんにはお伝えしたいのです。
 日本の個性ある山々 ―剣岳、至仏山、富士山、飯豊山、白馬岳、北岳、尾瀬ヶ原等々― これらは、殆どが標高3,000m弱で、富士山でさえ3,776mです。
 この山々にさまざまな高山植物があります。

 しかし、これは不思議なことなのだそうです。

 ヒマラヤ山脈のエベレストは8,848m、アルプス山脈のモンブランは4,810mです。私たちが必死に登っている日本の山は、決して高くないのです。また、ヨーロッパアルプスは北緯46度、日本アルプスは北緯36度にあり、日本アルプスは南に位置しています。
 この緯度の差は、距離で約1,000km、標高で1,000m分に相当するそうです。

 さらに、世界の基準に当てはめると、2,870mぐらいには森林限界があり、3,200mくらいまでハイマツの生育が可能になるはずです。
 ということは、日本の山には高山植物が分布する可能性がないことになります。しかし、実際には日本の森林限界は2,500mくらいに存在しています。
 それはなぜか? 
 世界の気候を考えると、日本の山は3,000m級の山としては、世界一の強風にさらされているのです。強風は「吹きさらし」と「吹き溜まり」を作り、稜線付近の雪は吹き払われ反対側に堆積します。


 針葉樹もハイマツも広く生育できず、そのために、高山植物の生育が可能になるのです。
 ではなぜ、そんなに風が強いかというと、あまりに高いヒマラヤ山脈で分流した気流が日本列島で力を倍増するからです。

 ところで、日本の高山植物に固有種が多いのはなぜでしょう。それは、地質と深い関係があり、また、日本の地質の複雑さは、日本列島の成り立ちと深く関係しているからです。

 まとめると、日本で言う高山は世界的に見たら高くはなく、気候と地質が関係して、世界的には珍しく低い山に高山植物が分布し、しかも固有種が多いということなのです。

 ちなみに、同じ島国の英国とニュージーランドと植物(高山植物を含む)の数を比べると、日本は1800/5300〔固有種/総数〕、英国は160/1623、ニュージーランドは1654/2089となっており、この数からも、日本の植物相の豊かさがわかると思います。

 それは、その上にいる生きものたちの数もおおいことになります。だから、というわけではありませんが、この貴重な自然を大切にしたいと、山に登るたびに思います。(森林インストラクター)


     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№192から転載

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