A030-登山家

西沢溪谷の一周、10キロ。秘蔵写真の発掘ほどでもないが?

 5月29日の写真がある。このころの西沢溪谷は新緑だった。いまは夏山シーズンに入った7月初旬だ。

 掲載のタイミングを逃せば、まずは見聞に価しないものだ。

 
 しかし、10年来にして、初の20代の女性が加わった。われら登山隊としては歴史的なできごとだ。その写真を封印することはできないぞ。

「さあ、のぼろ。行こう」

 先頭はむろんリーダーだ。


 西沢溪谷の登山口で情報を得ようと、バス停から徒歩5分で、まずは茶屋に入る。

「ほんきかよ。はじめから、ルートくらい情報を持ってこいよ」
 
 ヨモギ持ちを食べ、むヨモギ茶を飲みながら、地図を広げる。

 10年経っても、この登山隊は進歩がないな。



 登山というほど険阻な道でもない。それでも、明瞭な案内図がある。

 遭難事故など起こしそうもないルートだ。

 最悪の事故は、転倒の捻挫ぐらいだろう。

 なめてかかるなよ。
 



 ひとり準備運動に余念がない。


 行動に統一性がないのが、われら登山隊だ。


「個人の意志の尊重」
 と言ってもらいたいな。



 やっと、明るく笑顔で、新鮮な空気を吸いながら、西沢溪谷のルートに入る。

 女性一人はいると、こうも張りきれるものなのか。

 男は正直だよな。


 吊り橋をさっそうと渡る。

「怖くなんて、ないさ」

 渡り終わると、そう言うんだよな。


 集合写真を撮ってもらおう。

 相手は快く引き受けて、笑顔で、シャッターを押してくれる。

 よく見ると、右端には中近東の得体のしれない人物が写っているじゃないか。

 たのむ相手が悪かった。


 あきらめて、 記念写真はこれでがまんしよう。
 
 


 西沢溪谷は、多彩な滝の連続だ。

 これは良いぞ。

 そう思いきや、カメラ目線をむけてくれる。

「あのな。滝を撮りたかったんだ」

 これが見返り美人だったら、いいのにな。



「滝って、渓谷へ下るんじゃないの。なぜ登るんだ」

 そろそろボヤキが出てきたぞ。


 渓流沿いの平たい道にでれば、

「はい、チーズ」

 こんなポーズもできる。


 都会から離れたんだ。

 新鮮な空気だ。

 森林浴だ。

 もっと胸を張って、楽しく行こうぜ。

 野辺の送りじゃないんだから。
 



 滝はスローシャッターで撮るんだよ。

 手ブレをしない。

 脇を固めるか、なにかしら三脚替わりを見つけると良い。

 あれこれ教えるのは簡単。だけれど、やっては見せてくれなかった。

 その調子、その調子だよ。

 飛びこんだら、どんな風になるかな。


 さあ?

 ここは想像力か、飛びこむべきか。


 迷うところだな。


 


 ここでも、全員の集合写真だ。


 これって、遠景過ぎない?

「ひどいな」

 そうおもっても、ありがとう、と謝意を表す。

 内心は腹立たしいのにさ。

 鎖場に囲まれた斜面を登る。

 これが子どもでも登れるルートかよ。


 
 渓谷の道とはいえ、楽には登らせてくれない。

 険しさを強調してあげる。

 カメラ係も楽じゃないな。

 ローアングルで、写真を視る人の目をごまかすなんて……。

 良心が痛むな。
 


「わたし、滝に厭(あ)きがきたから、メダカを撮っているの」


 完ぺきに、滝は見厭きた。

 もう2時だぞ。昼食はまだかいな。



 もっと笑顔で、男女が仲よく食べなよ



 帰路は迷わず、旧トロッコ道だ。

 次なる温泉場の話題ばかりだった。 ひと風呂浴びて、酒を飲んで、語り合う。気持はそっちに走っていく。

 むろん、全員が着替えを持参している。温泉・入浴装備には手抜かりはない。これがわが登山隊だ。

  渓谷のモミジが燃えると、絶景の西沢溪谷になる。

  負け惜しみではないが、秋になると、人の群れが10キロつづくよ。

 「それよりも、7月、8月の真夏の涼味はいかが。溪谷の風は汗ばんだ肌にやさしいよ」

 時節を得た、タイミングの良い西沢溪谷の掲載でしょう。
  

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