伝統ある日本山岳会に、13歳の女子中学生が新入会員
日本山岳会は1905(明治38)年に発足し、100年以上の歴史がある。同山岳会は1956(昭和31)年5月9日にマナスル(8163m)初登頂に成功した。日本人がヒマラヤ8000m級の初登頂を成し遂げたと言い、日本中に登山ブームを起こした。
現在でも、同会は日本登山界のリーダーである。一方で、会員の高齢化が進み、若返りが大きな課題となっている。
日本山岳会の晩餐会が12月3日、東京・品川プリンスホテルで開催された。全国から会員が約500人参加した。皇太子殿下も(一般会員として)出席された。
尾上昇会長が挨拶のなかで、「少子化が進んでいる世の中ですが、若返りを含めた、会員の増加への策に取り組んでいきたい。数は力です」と述べた。
11年度の新入会員36人が壇上で紹介された。代表挨拶が中学1年生の三上マリモさん(宮城県、13)だったことから、会場にどよめきが起こった。
三上さんは壇上の代表スピーチで、「5歳の時に、親に連れられて岩木山に登り、山が大好きになりました。オボコンベ(標高約400m・宮城)で岩登りに興味を覚えました。将来は剣岳に登りたいです」と、しっかりした口調で、数々の登山歴と、将来の登山活動への抱負を語った。
彼女はさらに「将来は雪の山にも、キリマンジャロにも、ヒマラヤにも登りたいです、山に関する幅広い知識を学びたいです」と堂々たるスピーチだった。
皇太子殿下もテーブルからにこやかに聞き入っていた。
会長特別表彰として、1943(昭和18)年生まれの實川欣也さんが紹介された。富士登山を1000回を達成し、2011年には1111回の登頂を成し遂げている。4年連続して、1年間200回登頂の偉業をなす。
實川さんは壇上の挨拶のなかで、日本橋からスタートして43時間で富士山頂にたどり着いたという。海岸から村山古道を通り18時間で登るとか、4つのルートを一筆登山をするとか、東海道53次を歩いてきて富士登頂を果たすとか、多彩である。
彼は単なる回数稼ぎの登山ではない。強靭な精神力と意欲的な新チャレンジに対して、出席した登山家たちの誰もが賞賛と驚嘆の声をあげていた。
恒例の『鏡開き』が行われた。皇太子殿下も加わり、大きな声で樽酒のふたが割られた。その美酒が各テーブルに回っていく。
私のテーブル・マスターは、「山の日」制定協議会の成川隆顕さんだった。私はかつて電話で、「山の日を作ろう」をこのHPで紹介するために、資料の引用許可のコンタクトをとったことがある。奇遇だった。
成川さんは元新聞記者で、ヒマラヤ8000メートル級のアタックで、両手の指を凍傷で切断していた。現在も、同会理事として活躍中である。
この晩餐会では、日本ペンクラブ・会員でもある上村信太郎さん、新入会員の関本さんと同席した。この夏に奥穂高にともに登っている、親しい仲間である。「来年は日本で2番目に高い北岳に登りましょう」という約束がごく自然にできた。
同期の諏訪吉晴さん(千葉支部)とは立ち話ていどだったが、「こんど山にお誘いしますよ」と好意的なことばをもらった。