A030-登山家

男体山で、幹部研修の登山(下)=同行レポート

 男体山はもともと「空海」に関係した僧侶(仏教徒)が登攀し、開山している。二荒山神社の社務所で、ルールとして500円/一人払うと、「お札」とともに概略登山図が手渡された。

『男体山は二荒山神社の御神体山であり、古来より、山岳信仰の御山として多くの崇拝を集める、関東第一の霊峯であります。山頂には当神社の奥宮がありますので、諸願をこめて御参拝ください』
と明記している。

 仏教徒の開山を伏せたうえ、さも神教の神官が開いた男体山のように見せかけている。歴史をごまかしたうえ、登山者から金をとっていると思えた。むろん、神社側の釈明など聞かず、登山道に入ったから、相手側の言い分などわからない。

 他のメンバーは安全登山のために、胸元にお札をぶら下げていた。「白紙も信心しだい」「鰯の頭も信心から」という諺もあるし、信仰は自由だ。私は神社に対する腹立たしさなど口にせず、自分だけのものとした。

 降りつづく雨で、紅葉を楽しめる男体山ではなかった。雨具のヤッケを身に着けると、一合目、二合目としだいに足が上がらず、体が重い。登攀には時間がかかる。ヤッケはやめた。

 登山は思いもかけない予想外のことが起きる。転倒、骨折、強風でテントが飛ばされる、凍傷など……。それをどう対処できるか。それが登山者の経験と力量でもある。

 わが5人パーティーは4合目あたりで、小さなアクシデントがあった。

 若山さんが高校時代に使ったきりの登山靴の裏底が剥がれてしまったのだ。かれは靴紐の劣化を想定し、紐2本だけは買ってきていた。
 それで結び、創意工夫しながら登る。都度、剥がれてしまう。理系の4人が、強度とか、補強とか、それぞれ知恵を出し合う。それでも、体重が靴底に集まる強度には対応できなかった。
『メンバーにアクシデントが生じれば、無理に山頂は狙わない』。それは山の鉄則である。8合目で「おでん昼食」を楽もう。全員が気持ちを切り替えた。

 私はかつて毎週、単独行で山に登っていた。奥多摩など低山、あるいは無積雪期は安物で軽い980円のスニーカーを好んで使っていた。あるとき靴裏のゴムが剥がれてしまった。おなじ経験があるけれど、いっさい口を挟まなかった。

 4人の役員たちは真剣に気持ちを一つにし、靴裏の対処を考えている。心が一つになっていたからだ。

 靴裏が剥がれれば、その都度、全員が立ち止まり、応急処置をする。『山では焦りは禁物だ』。日没の気配があっても、下山のスピードは上げなかった。慎重に、薄暗く滑りやすい足元に神経を使っていく。3合目からはヘッドランプを使う。

 周辺がすっかり真っ暗な5時半に、二荒山神社前バス停に着いた。温泉で汗を流したかった。登山者が中禅寺湖の温泉旅館、ホテルを利用できるのは4時ごろまで。それもあきらめてバスに乗った。

 天候が悪くて、男体山から眼下の中禅寺湖畔の紅葉などまったく楽しめなかった。一方で、ITコンサルタント会社「インフォ・ラウンジ」の幹部研修としては、役員の心が一つになれた、精神的な結束、という目的が達成された登山だったと思う。

 肥田野さん、若山さんはともに近々、巣鴨の登山靴専門店「ゴロ」に出向き、オーダーメイドの登山靴を作りますよ、と笑顔で語る。
 来年の若葉のころ、男体山か、奥白根山に登ることを決めた。

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