寝苦しい夏の夜長に、「会報」をよむ・シリーズ①=日本山岳会
8月の夜は、夕顔が一晩の白い花を咲かせている。夕涼みの情緒として、この上ないものがある。ひとたび、床に入り、クーラーも扇風機も使わないとなると、寝苦しい。
寝つけないときは、強いアルコールを少量だけ口にし、ふたたび寝床に入る。成功すればよいが、身体がかえって火照って寝られず、失敗したな、と思ってしまうこともある。
この夏の真夜中だった。1時間も、2時間も、脳細胞が寝ってくれない。聖書でも読めば、数分で寝られるだろう。信仰心がないので、『般若心経』(はんにゃしんぎょう)も含めて、その類のものは何もない。何を読むかな、と思いを巡らせた。
春から夏場にかけて、所属団体の年会費の支払いがつづく。各総会には極力出席を心がけているが、送られてくる会報はほとんど読まない。あるいは読む時間がないので、積読になっている。会報編集者の努力はわかるだけに、申し訳ないと思う。
会報支払いの、この期間に限っていえば、「万単位の会費を払っているのに、勿体ないな」とも思う。そんな気持ちもあり、
「一度、所属団体の会報を読んでみるかな。一ヶ所、ひとつの会報を」
と寝床から立ち上がり、電気を点け、書斎から目にした会報を持ち込んだ。床に腹ばって、どれから読むかな、と思案した。
日本山岳会は100年の歴史をもった団体である。2011年の通常総会は、東日本大震災の翌3月12日で参加できなかった。6月18日も参加できなかった。
会報『山』7月号には、総会は5時間半の審議を経て、定款変更を承認とあった。会員の質問が多い総会が、例年は2時間ていどだから、5時間半となると、議論はかなり紛糾したな、もめたなと推量できた。
目立った紛糾の一つは、理事の任期についてだ。
質問者の一人は「日本山岳会の理事の任期は、松方三郎会長が6年、三田幸夫会長が5年と続いたあと、今西錦司会長のときに「4年」とした。以来40年間も近くつづいている。今回の定款改定では、こうした歴史と伝統を無視し、(理事は)いつまでできることになる」と噛みついている。
執行部は「定款では一度決めると、なかなか変えられない。細則で柔軟に対応すればよい」と答弁している。「細則で70歳を超えないとしているが、歴代会長も70歳過ぎて、会長になった方も多い。山に登るのではないから、過ぎてもいいと思う」という発言には、私は説得力があるな、と思った。
もうひとつの紛糾が、「自然保護」が「山岳環境の保護・保全」に変更した点である。「47年前、松方三郎会長が自然保護委員会を作り、自ら委員長になった」。日本山岳会から自然保護の推進という名が消えていく。それに対する批判が集中していた。
執行では「自然保護では、湖などを含み、対象が広すぎる。山岳環境に限定した」と答えている。尾上会長は、「総会に上程された原案は変更できない。採決を求めるものだ」と突っぱねている。
会員からは、自然保護は日本山岳会のバックボーンだ、と強く抵抗している。「内閣府の影が見える。原案が訂正できないというならば、なぜ意見を求める」と反発している。
「会費で運営している会なのに、なぜ自由にならないのか。強引にやるのは納得できない」という意見や「いまのやり方は恫喝に近い」「決議を延期する動議に対しても、会長はすべて承る、で終わっている」という強い反発も出ている。
採決は出席者としては、賛成147、反対37だった。委任状の9割は会長に委任だから、みな原案通りで通過していた。
私の親友・上村信太郎さん(日本山岳会・日本ペンクラブ会員)が、同会報に『外国人による登山150年―オールコックからメスナーまで』を連載している。
幕末から、明治、大正、昭和に来日した外国人の登山を紹介している。時系列では面白くなくなるが、テーマを一つずつ据えて、丹念に史料・資料から掘り起こされている。登山歴史研究家の名を一段と高める、すばらしい執筆である。
この連載だけは毎号読んでいる、と補足しておきます。
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