A030-登山家

入梅前の低気温で、沢登りは断念。尾根歩き=川苔山

 6月10日、PJニュース・小田編集長と、二人して奥多摩の本仁田山(1224m)と川苔山(1363m)に登ってきた。
 当初は川苔山の逆川(さかさがわ)の沢登りだった。シャワークライム(頭から水を被る)、泳いで対岸に渡るルートだから、気温が低いと、全身ずぶ濡れになる。冷水では凍えてしまう。
「当日の気温によって決めましょう」という二段構えだった。

 当日は朝から曇り空で、気温の上昇が望めなかった。夕方からは雨の予報だ。
「沢はむずかしいですね」
 ふたりは尾根歩きに変更した。

 奥多摩駅(標高343m)からは町役場の前を通り、本仁山の登山口に着く。山葵(わさび)田が多いから、水はきれいだ。ここから一気に急登。途中、山葵田の農道に迷い込んで、10分ほどロスをした。ジグザグの登山道がどこまでも登っていく。すれ違う登山者は一人もいない。標高差が約800メートルの急登つづきだから、一般には下山ルートとして利用されている。

 小田さんは東大(本郷)、早稲田大の講師もされている。自宅から大学まではサイクリング車で通う。脚力は十二分にある。ふたりはハイペースで登る。多少は息が荒くなっても、PJニュースについて諸々と語り合う。登山者とは山頂まで、ひとりもすれ違わなかった。

 本仁田山(1224m)山頂から、やや下り、川苔山(1363m)の道に入った。奥行きがある山だ。ペースは落ちなかった。空腹が意識させられる。剱岳「点の記」の映画が話題になった。同映画の大道具の責任者は、小田さんの知人でロングランで苦労されたという。私は何度も登った山だから、ルートや特徴を説明した。
「プロムナード的なルートだから、小説のストーリーなどを考えなが歩くには最適。だから、過去には何度も登っています……」
 そんなふうにも、この山の魅力を語った。

 川苔山の山頂に着くと、気温が低くて、ふたりしてヤッケを着込んだ。
「こんな日に沢に登ったら、凍える」
 おなじ話題が何度も出た。沢登りの予定で、荷物は最小限だった。コンビニのおにぎりとイナリずし。ちょっと物足りない感じ。
 IOC招致委員会の取材など、今後の活動について語り合った。

                

 下山道では、山アジサイの『小あじさい』が可憐に咲いていた。小田さんはこれを記事にしたいと折々、デジカメでシャッターを切る。
 どの急斜面にもヒノキの人工林が幾何学に並ぶ。割りに、枝打ちや雑草刈りなど手入れされていた。……戦後の木材不足から、奥多摩の山々に植林をしてきた。現在は国産木材が外国産に押されて、林業が斜陽化。こうした歴史の推移を語り合った。

 豪快な「百尋の滝」に着くと、小田さんがコーヒーを淹れてくれた。一服したあと、ふたたび川苔谷の下山を開始した。渓谷の新緑が目にやさしい。眼下の清流には心が洗われる。頭上を見上げると、天候は下り坂で、雲がずいぶん重くなってきた。

「川苔橋バスで、路線バスに乗れるか、否か。この差は大きいね」
 奥多摩駅から川苔橋バスを経由する路線バスは、朝9時台(平日)は一本もなかった。運がよくなければ、夕方の路線バスに乗れない。
 約4キロは徒歩で駅に出る。そう覚悟はしながらも、それぞれ内心はバスに期待していた。ケイタイは圏外だから、バス時間は調べられない。

 舗装された林道をどこまでも下っていく。ウンザリするほど距離がある。川苔橋バスは遠い。最後の曲がり、あと20メートル。前方にはバスが停まっている。二人はとっさに走り出した。
バスはドアを閉めて走り出した。
「待ってくれ」
 小田さんが大声を出した。
 車掌が気づいてくれた。バスが停まった。
「ラッキーだった。これで、奥多摩の『もえぎの湯』の温泉とビールは最高だね」
 乗り込んだ二人は、運のよさを語り合った。

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