富士登山は1合目から、7月1日~3日間。修験者の道案内人として
知人が6月23日から、沖縄にいってきた。3日間は快晴だったし、復路の旅客機の機内から、雲か突き出た富士山が見えたといい、写真を見せてくれた。
山頂には雪がずいぶん残っている。7月1日からの富士登山の装備には、ピッケル、アイゼンが必要だ。梅雨の盛りだし、悪天候はある程度覚悟しなければならない。
「風雨と、雪で、3日間か」
と気持ちを引き締めながら、つぶやいた。
富士山の航空写真を見させてもらった同日、登山リーダーの畠堀操八さんから、『08年富士山完登日程表』が届いた。登山計画書の片隅に、「念のために、ピッケルを持参してください」と記載されていた。
今回の登山の特徴は、京都・聖護院の修験者(僧侶)と信者の道案内である。畠堀操八さんがトップで、私がラストの役目。ラストは落ちてくる登山者を拾う役を担う。
畠堀操八さん(登山家)は、富士山および周辺の史跡研究家でもある。4、5年前に、静岡県側から平安時代から富士信仰で登れていた「村山古道」を発見した。メディアにも、ずいぶん紹介されてきた。古道復活が、村おこしになると、富士宮市も力を入れていた。
一方で、昨(07)年、林野庁が青森奥入瀬の裁判で、敗訴になった。遊歩道を歩いていた女性が、高さ約10メートルから落下した、倒木で重態となった。国に瑕疵(かし)責任あり、と認められたのだ。つまり、国が負けた。
林野庁は、こうした裁判を怖がり、全国のあらゆる国有林の立入りの厳しい制限をはじめた。山小屋などは悲鳴を上げている。たぶんにもれず、村山古道も対象になった。林野庁静岡の課長から口頭で、「立入禁止」が伝えられたのだ。(書類を出さないところが、役人根性だけれど)。
私は、昨年七月に、林野庁の規制について、PJニュースで取り上げていた。「大地震で山は脆いぞ。落石・倒木で死んだら、だれの責任?(上)」の3回連載だ。親友の畠堀操八さんから、『SOS。なにか打開策はないか』と相談を受けた。それは昨年の9月だった。
富士山の古道は、むかしから信仰の道だ。「林野庁にあれこれ言わさないで、突破するなら、宗教を巻き込んだら良い。宗教と国家の対立関係を作ったら」とアドバイスしておいた。
富士山は信仰の山だ。これは日本人がよく知るところ。「争っても、国民には、富士山の古道を使った、宗教登山の理解が得られるはずだよ」と、つけ加えておいた。
畠堀操八さんが精力的に、京都の聖護院に働きかけたものである。京都の聖護院は、古来から富士登山信仰の要だった。しかし、明治時代の廃仏毀釈から、実質的に撤退している。(現在の富士登山は浅間神社の下にある)。
今回は、聖護院による登山は百数十年ぶりの富士登山となる。
私は信仰心など皆無だ。他方で、俗にいう「言い出しぺい」である。今回の7月1日からの富士登山のサポートを頼まれたことから、宗教に関係ないところで応じた。どこまでも、登山者として。
一昨年は海から山頂までのコースを踏破している。海から富士山頂へ。百年前の古登山道が復活!(上)で、4日間コースを紹介した。今回は私のみが1日短縮した、1合目の村山ジャンボから合流することに決めた。
富士山の山小屋はまだ6合目しか開いていない。計画のなかに、ご来光が予定されている、これは強行軍だ。
真夜中の0時に山小屋発。標高3,776mの雪が積もった山頂へ。そこから下山してきて、同日に、東京まで帰ってくるのだから。