A030-登山家

春の大嵐で、八ヶ岳の春山登山が、「高尾山」の取材ハイクに

 今年2月、小田編集長(PJニュース)から、「3月にでも、八ヶ岳に登りましょう」と誘われた。2人は山の呼吸を良く知る。承諾した。私は日本ペンクラブ主催「世界フォーラム」の記事で、予想外に時間がとられた。そんな背景から4月8、9日に決まった。他方で、「八ヶ岳の積雪期ならば、天狗岳も良いですね」と意見を出しておいた。
 小田さんから、硫黄岳の提案があった。


 私の脳裏には、昨年のアクシデントが横切った。07年4月4日。八ヶ岳・硫黄岳の噴火口に約200メートル滑落し、九死に一生を得た。
「あんな噴火口に転落して、生きていた人がいるんですか」
 と赤岳山荘の元従業員に言われたくらいだ。切り立つ雪の斜面で、ピッケルで制動できたが、もし岩盤の突起などがあれば、叩きつけられて死んでいたと思う。
 
(昨年のアクシデントと同じ硫黄岳で、時期も数日違いだ。因縁めいているな)
 そう思ったが、それは断る理由でもなかった。今年は滑落に十二分に対処する、と心構えを作った。

 4月に入ってから、小田さんから「出発を半日早めて、北アルプス・燕岳はどうですか。テントを持って」と再提案があった。
(縁起を担ぐわけではないが、硫黄岳よりも、燕岳のほうが安心だ)

 私は内心、ある種の安堵を覚えたものだ。
 しかし、私の都合で、7日は深夜発にしか対応できなかった。となると、今年の残雪は深いし、時間的にムリだと小田さんがそう判断した。燕岳は流れて、八ヶ岳・硫黄岳にもどった。

 8日、9日には残雪の八ヶ岳・硫黄岳に登る。当然ながら、週間天気予報や天気図などを気にしていた。7日から8日にかけて雨台風並みの大荒れとなった。8日の登山は断念した。
 そうなると、日帰り登山か、ハイクだった。小田さんから「高尾山」にしましょうと、提案があった。

 かえりみれば、硫黄岳、燕岳、硫黄岳、そして最も低い高尾山。この二転三転には、昨年からの奇妙な因縁を感じた。

 
 小田さんは07年12月に朝日新書から『パブリック・ジャーナリスト宣言』を出版している。次は【高尾山の紹介】(仮題)を執筆したいという。ついては、周辺ルートの紹介で、1日、高尾山周辺の長い距離を歩く計画が示された。

 高尾山ロープウェー清滝駅の広場では、ミット・テロ対策訓練(警視庁)と防災訓練(東京消防庁)の合同訓練がおこなわれていた。私はそれを記事にした。

 小田さんはザックの中に、パソコンを持参していた。『今回の目的は、auがこのほど発売したデータ通信カードが山の中でも利用可能かどうかをテストする』という。草戸山、三沢峠、中沢山、大垂水峠、城山。小田さん3か所でauの原稿入力・アップの実験をおこなった。『災害時には、現場から記事をリアルタイムで送り、掲載する』。この実験には成功したようだ。

 桜がまだ咲いていない城山から、裏高尾に下山した。旧甲州街道に沿った民家の庭先では、つつじと桜が咲きほこっていた。高尾駅までは楽しめた。

関連情報

山の中でPJニュースの編集は可能か=東京・高尾山周辺(小田編集長)

山頂でもPJニュースの編集は可能だった=東京・高尾山周辺(小田編集長)

サミットのテロは、東京がターゲットか?(穂高健一)

「登山家」トップへ戻る

ジャーナリスト
小説家
カメラマン
登山家
「幕末藝州広島藩研究会」広報室だより
歴史の旅・真実とロマンをもとめて
元気100教室 エッセイ・オピニオン
寄稿・みんなの作品
かつしかPPクラブ
インフォメーション
フクシマ(小説)・浜通り取材ノート
3.11(小説)取材ノート
東京下町の情緒100景
TOKYO美人と、東京100ストーリー
ランナー
リンク集