乾徳山の登山と日本山岳会・101会
9月9日。101会が主催する「乾徳山の登山」に参加した。ITコンサルタントの肥田野さんを誘った。
相乗りタクシーを降りた先の登山口で、リーダーから簡略に全員の紹介があった。参加者は15名(ビジターは、肥田野さんを含めた2人)。「たがいに2メートルの間隔をとれば、先頭と最後尾は30メートル。伝達できる範囲」とリーダーはいう。
全員が経験豊富な登山家ばかりで、往路、復路とも脚力にも余裕がある歩き方だった。多くは学生山岳部、社会人山岳部などでリーダーだった登山家たち。登りから、下山するまで、しっかり等間隔で保たれていた。これは見事だと思った。
パーティーのなかで、自分の行動を熟知している。各人が一歩ずつの歩幅やスピードがからだ全体でわかっているのだ。
途中で、2人が体調不良に陥った。リーダーが付き添い、残る12人はサブリーダーが取り仕切る。リーダーの役割。それら判断がまさしく基本に徹していた。
午前は晴天で大汗だ。午後は曇り空で、山頂の展望は期待ほどではなかった。帰路のススキの野原では、雲の間から、申し訳ていどに富士山が見えていた。
<山行の詳細はPJニュースに掲載する>
下山後に塩山駅につくと、タクシーで銭湯(400円)に入りに行った。4人だけで、他のメンバーは酒盛りに直行だ。汗を流したあと、塩山駅前でメンバーを探し当てた。
こちらが生ビールを一口、二口つけたときに、『穂高健一ワールド・登山家』に記載した101会の関連記事が猛反発を受けた。こちらが銭湯に行っている間に、きっと記事が話題となり、鬱積していたのだろう。
(文責を持つ身。遠慮なくいってもらいたい)
そんな気持ちで対応した。
「101会の規約などの批判は、ネット書くべきではない。言いたいことがあれば、例会にきて話すべきだ」
「われわれは同好会だ。日本山岳会のオフィシャルな活動でない。内輪の話をネットで記すべきではない」
「同好会の内部に入ってきて、(ジャーナリストとして)記事にして、金儲けなどに利用しないでくれ」
8月のネパール・トレッキングに出かける前の、私の発現が問題になった。101会の6人を含めた19人は内部分裂があるだろう、と予測していた。「分裂、分解などはまったくなかった。19人は見識と良識があるメンバーばかりだったからだ」という。
「呑み会での学歴の話題に対する批判は、不愉快な記載だ。そもそも大学(山岳部)の話を持ち出したのは、そっちではないか」
「ジャーナリストとして影響の強い人だから、慎重にことを運んで欲しい」
「あの記事は、会を辞める人間が最後に書く内容だ。入会後にいきなり書く記事ではない」
複数のメンバーが同一内容を語っていたので、要約し、列記して掲載した。
その場で、一部謝罪もおこなった。だが、言論人として妥協できない面も多かった。反論をさせてもらったが、記載はいっさい差し控える。
理由としては、101会にはHPがないし、メンバーは60代、70代で、大半がブログをもっていないから、書き込みの反論ができない。
穂高健一のコメントに対して、さらなる不都合を覚えても、記録文の反論・反撃ができないとなると、穂高健一から一方通行になり、アンフェアーになるおそれがあるからだ。
日本山岳会に入って年会費2万円で、年一度の総会参加だけでは寂しい。「山に登る」「山仲間を作る」という趣旨から、101会とも仲良く付き合っていきたい。それゆえに、 次回は10月21日の『……富士山と草野延考氏と名物うどん』には参加したい。肥田野さんにも声をかけておいた。
草野延考さんとはここ数年会っていない。私の小説のなかで、草野さんには丹沢の環境問題やボッカマラソンの創設者として、実名で登場してもらった。それが文学賞作品となった。
その後も、山小屋を訪ねると、朝の客を送り出したあと、ふたりで黒部渓谷の歴史などでも、語り合ったものだ。いまから草野さんの再会が楽しみだ。