A030-登山家

北アルプス・裏銀座縦走 ①

 7月6日から11日まで、小田編集長(ライブドア・PJニュース)とふたりで裏銀座を縦走した。山小屋の方々と親交が重ねられた。私の過去の北アルプス登山はテント露営がほとんどで、山小屋の実態を知らなかった。

 他方で、小田さんが裏銀座の山小屋の人たちと、ことのほか親しく、家族のようだった。

 今回はいっさい記事を書かず、登山だけを楽しむ。つまり、下界を忘れたい、一念だった。小田さんから紹介された山小屋の人たちとおもいのほか交流が深められた。
 山小屋の主人たちから、深刻な悩みを打ち明けられた。山小屋がおかれている現在の窮地。それを、ジャーナリストとして、世の中に発信して欲しいと強い要請を受けた。
「穂高さん、書いてあげなさいよ」と小田さんから薦められた。
 私は記事を書く約束をした。
 社会的に影響ある記事なので、PJニュースの記事掲載などと平行して、裏銀座の山行を紹介していく。

 7月6日の正午、調布駅前のロータリーで、小田さんの車に拾ってもらった。過去には軽自動車だったが、普通乗用車に買い換えていた。「親戚から買った、中古ですよ」という話を聴きながら、中央高速で信濃大町に向かった。
 車中のふたりの話題は、山の話題が中心だった。ただ、小田さんは最近購入した、バッテリーが8時間ほど持つ、超軽量のパソコンを持参してきたという。山小屋で、生の声をジャスト・イン・タイムで記事にしたいと語る。
 私の場合は『ふだんの生活から離れたい』という気持ちから、今回の山行は記事にしないと決めていた。
 信濃大町に着くと、西友で夕食の食材を仕入れてから、登山口の七倉に向かった。ここからは携帯電話が通じない。メールの最終確認だけはしておく。


 葛温泉で、露天風呂に入った。心地よい高温の湯だった。私は大学時代に、川辺で天然の温泉に入ったことがある。そうした情景を思い浮かべた。
 七倉には夕暮れ前に着いた。小田さんと2人してベンチでささやかな宴会。七倉山荘の親父さんが歩み寄ってきて、この4月に起きた水晶岳のヘリコプター墜落事故とか、稜線の山の状態を語る。さらに、七倉から高瀬ダムまで道路規制で、徒歩か、タクシー。一般車は通行できない。タクシーは朝六時半に七倉にくるという情報を得た。

 ふたりは車中でシラフを使った睡眠。翌朝は五時前に起きた。朝食を済ませると五時半。高瀬ダムまで徒歩だと小1時間だから、タクシーと同タイムになる。予備運動のつもりでふたりはザックを背負って歩きはじめた。長いトンネルを抜けると、高瀬ダムがみえてきた。他方で、タクシーに追い抜かれた。
九十九折にダム堤を登った先のダム湖の風景はよかった。


 しかし、一つ小さなトンネルを抜けると、山肌の崩落が目に飛び込んできた。不快感が募った。【ダムを作れば、山が崩壊する。(写真)】で、紹介。

 北アルプスの三大急登野〈ブナ立尾根〉を登る。小田さんの足は軽い。半年前、ふたりして鳳凰三山に登ったときに比べ、脚力が違う。かれは毎日、自転車に乗り、ライブドア・六本木とか、講師を受け持つ東大・本郷とかにも通っているという。ペースが良いうえ、休止する時間がショートだ。こちらのアゴが上がりそうだ。

 烏帽子山荘(2551メートル)に着いた。小田さんが顔見知りの母娘がお茶とか、お菓子とか、最上の接待をしてくれる。私はひとりラーメン(1000円)を食べた。茶菓子などの豊富な歓待があっただけに、妙に割安に感じた。
 烏帽子岳から稜線を行く。残雪がまだらにある。眼下の烏帽子池の湖面には霧が漂う。三ツ岳(2844)は高山植物の宝庫だ。原色の花が咲き誇る。シャッターチャンスは次々にやってくる。小田さんは何度も一眼レフで広角に狙っていた。

 
 雲のかかった稜線を進むほどに、ヘリの飛来の音のみが聞こえてくる。何度も、往復しているようだ。水晶小屋の新築工事の資材の荷揚げのようだ。小田さんは、墜落へリーが現場に残っていれば、それも取材したようだ。


 小田さんの脚力は衰えず、私はあごが上がってやや遅れがちになってしまった。都度、地図で、残る距離と高度さを計算する。そして、足と相談し、ペースを決めていた。
「野口五郎小屋まで500メートルですよ」と前方から、教えてくれた。
(よくわかったな)
 私には地図から残る距離がわかっていただけに、感心した。岩には白ペンキで表示されていたのだ。400メートル、300メールと判りやすい。
 
 北アルプスで九番目に高い野口五郎小屋に着いた。主の上条盛親さんは北アルプス随一の酒豪だ。すぐさま酒を勧められた。夕飯の料理は奥さんの手作りの特別料理だ。息子の文靖さんが山小屋を継ぐことに決まっている。好青年だ。

 小田さんは、雲ノ平山荘、この野口五郎小屋で2日間ずつ、山小屋の手伝いをする予定。私とは帰路が別になるが、明日までは同じ行動。
 野口五郎小屋のHPぽいネットに、営業開始が7月下旬とか、7月10日とか、書き込まれている。それを教えてあげた。上条さん家族はまったく知らなかった。6月末から営業しているのに。
※2日後に、知り合った尾張一宮から来た単独行の青年も、野口五郎小屋を利用したかったけれど、7月10日だったから、外したという。
 上条さん家族が気の毒だ。【野口ごろ小屋の人たち】とPJニュースで書いてあげたい気持ちになった。

 翌朝は快晴で、山岳写真の最高の場を提供してくれた。数日前、池袋・ビックカメラのタイムサービスで買ってきた、22000円のデジカメで撮る。
 今回の山行は撮影技量アップを目指し、オートフォーカスに頼らない写真を心がけていた。

山小屋の上条さんたち一同と記念写真を撮ってから、出発した。野口五郎岳に着くと、槍ヶ岳がくっきり浮かぶ。私には日本で一番好きな山岳だ。親友に久々に会えたような感動を覚えた。


 今回チャンスがあれば、槍ヶ岳に登ってみようか。ただ、日程の余裕がないから、無理かもしれない。

                                  つづく

「登山家」トップへ戻る

ジャーナリスト
小説家
カメラマン
登山家
「幕末藝州広島藩研究会」広報室だより
歴史の旅・真実とロマンをもとめて
元気100教室 エッセイ・オピニオン
寄稿・みんなの作品
かつしかPPクラブ
インフォメーション
フクシマ(小説)・浜通り取材ノート
3.11(小説)取材ノート
東京下町の情緒100景
TOKYO美人と、東京100ストーリー
ランナー
リンク集