ジャーナリスト

著名な作曲家・演奏家がなぜ無料コンサートを開催?=音楽の原点の発見(下)

 くれなゐ楽団は、後輩指導にも、大きな主眼をおいている。
若い音楽家は芸大を出ても、高度な演奏技術を持っていても、実戦で活躍の場がない。演奏会の場数を踏むほどに、実力が増していくものだが、その勉強できる場が少ないという。
「若手の尺八演奏者が無理して、あえて公演をやれば、古典の尺八の曲になってしまいます」
 なぜか。それは新曲とか、編曲とか、観客が知っている歌謡曲とかを織り込みたいと思えば、譜面を作成するためのお金がかかってしまうからだ。

 くれなゐ楽団のメンバーならば、尺八演奏者には発表の場があり、作曲家の菊地さんからボランティア(無料)で譜面がもらえる。
 尺八にはベートーベンの曲はない。しかし、菊地さんはそれを編曲してしまう。
「指使いは大変でしょうけど、『運命』を尺八で演奏すれば、演者も、観客も楽しいものです」
 舞台のみならず、若手演奏家には楽屋における人間関係のつながり、必要なマナーなど音楽家にとって大切な学びの場となっている。
「くれなゐ楽団は、音楽家の後輩を育ていく良い場になっているとおもいますわよ」
 そう強調した酒井さんは、みずから歩んできた姿と経験から語っているとおもえた。

          *

 入場無料でも、当然ながら付帯費用がかかる。チラシ製作費、会場費、音響係、照明係の費用は発生する。節約に節約しても、当日の電気代もメーターを量って取られる。それら経費は平均して18万円くらいかかるようだ。
 チラシはデザインが高いから、手づくりで入稿して印刷してもらう。
「くれなゐ楽団の後援として老友新聞がいます。酒井さんが月一回のコラムを掲載している新聞社です。そこからの支援があり、助かっている面があります」
 酒井さんの人脈のつながりに負う面が強いと、菊地さんは語る。
 
「入場無料でも、観客を集めることは大変だな、若い人は意外と来ないものだなとおもいます」
 くれなゐ楽団の観客は見渡しても年齢層は高い。菊池さんの作曲、選曲は観客の齢層に合わせているという。
「入場無料でも、その日の天気とか、気分とかによりますしね。チケットを買っていると、人間は勿体ないからと、来ますけれどね」
 例年の観客は140人くらい。
 
 今年の足立区の公演は「のこぎりキング下田」さんとジョイントでしたから、約180人と多かったと話す。
「10~30代、勤め人とか、若い年齢層はなぜか来ないですね。3回目の公演くらいで、若いひと向きの選曲は外した方が良い、とわかってきました」
 演奏そのものは簡単で、3回のリハーサルで充分。演奏者は交通費もボランティアで自費だから、出向いてくる回数も配慮した作曲を心がけている、と菊池さんは語る。


「音で笑える。クレージーキャッツ、ザ・ドリフターズは、観客が乗っていますよね。くれなゐ楽団でも笑えるところがあっても良い。それを狙っています。突如として、妙な音が鳴ったために笑う」
 楽しめる作曲も組み込んでいる。

 雇われた音楽公演となると、遊び心を組みこめば、主催者から『お金を払ってやるんだから、ちゃんとやれ』という態度がみえ隠れするようだ。
「コンクールみたいな堅苦しい音楽会は、つまらないですよね。ボランティアですから、わたしたちも舞台で愉しむし、お客さんも愉しんでもらっています」
「酒井さんから、親しみやすく、どういう曲が受けるのかと知恵を貰っています」
「第一回目のファンもいらっしゃいますから、ありがたいです」
「多くの観客は酒井さんのお客さんです。他のメンバーはそういう人脈は持ってないし、皆には集めてよ、と言っているけれど、難しいですよね。日ごろの人脈作り、友だち作りはむずかしい」
 菊地は朴訥とした口調で語る。かれも決して上手とは思えないけれど。

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 夏1回の本公演とは、別に有志で演奏活動もやっている。
「年に何度か、神社の奉納演奏もおこなっていますのよ。わたしがクルーズの琴演奏とか、別の仕事と重なり、参加できず、男性だけの華のない演奏会でも、やる? と訊きましても、当然やります、という返事です」
「神社奉納演奏といっても、ボランティアです」
 和太鼓の関根まことさんは、りっぱな防音スタジアムを持っており、太鼓チームがあり、EXILE(エグザイル)のバックもやっているし、海外公演も多い。100人の弟子がいる。たとえば、こんかいの神社演奏は、和太鼓はダメなんだというと、関根さんはプスッとしていますよ。それほど、5人はボランティアデも、くれなゐ楽団での演奏が大好きなのだろう。

「靖国神社の奉納演奏は大雨でしたから、ひとは誰もいなかった。ご祭神に対しての演奏でした。神さまは音楽が大好きですからね」
 酒井さんは屈託なく明るく話す。


 くれなゐ楽団とはなにか。

 従来のプロ音楽家の常識をくつがえしている。発想の転換、新しいスタイルの音楽活動である。
 主催者任せの音楽会でなく、すべてがかれらの手作り。公演の企画から、編曲、選曲、そして真摯に区役所に頼みにいくことからはじまる。そして、ネット時代における無料化に挑む。
 
 原始、古代には貨幣経済などなかった。音感の優れた人が竹、石、革などを使う楽器演者として、集落のひとや神々を愉しませたに違いない。

 くれなゐ楽団のメンバーは欲得、お金、利益などを超越していた。かれらには一流という驕(おご)りはなく、斬新さと同時に、音楽の原点に立ち返った姿がある。結成から7年経った今、さらなる音楽の発展と、将来のあり方が視野に入っているはずだ。
 やがては、プロ音楽のネット化革命につながると期待したい。

                    【了】

著名な作曲家・演奏家がなぜ無料コンサートを開催?=音楽の原点の発見(中)

 くれなゐ楽団が無料の演奏会を開く、という考え方を思いついた理由はなんですか。作曲家の菊地慶太さん、琴の名演奏家の酒井悦子さん、両名に訊いた。

「パソコンの無料ソフトがありますよね。グーグルだって、無料ですし。それがヒントで、そこから始まったのです」(笑い)。
「当初のマイクロソフトのワードはずいぶん高かったけれど、いまは無料ソフトが多く出回り、多くが無料ワードを使って人気です。くれなゐ楽団は無料ソフトとおなじ入場料はもらわない方向性で臨んだのです」
 菊地さんの説明には、妙に現代性を感じた。

「そうです。音楽会も無料の方が、無料ソフトと同じく、宣伝効果は高く、人気が出るのじゃないかしら、10年間はやってみましょう、という考え方で始めましたのよ。とかくありがちな、メンバー間の分担金でもめる破たんは少なくとも10年間はありませんしね」
 酒井さんが補足した。

 無料だから良くない演奏だとか、アマチュアだとか、そんな先入観が世間にはある。アマ・バンドが勝手に演奏会を開いている、と思われない対策もくれなゐ楽団は講じている。
 公共の会場を借りると同時に、公的な地域性、福祉性を前面に出すために、区役所、区長の後援を受ける策をとっている。
「その交渉の段階で、くれなゐ楽団は営利を目的としていない。この無料が決め手になるのです」
 第1回目が墨田区、第2回が例外的な佐野市、第3回が東京にもどってきて荒川区、江戸川区、江東区、葛飾区、そして7回目が今回の足立とつづいてきた。
「区によって、対応がまちまちですのよ。会場費はちがうし、区の広報に載せてくださるところ、それもまったくないないところ。ずいぶん違いますのよ」
 行政の対応のバラバラ加減は、それなりに理解できた。
        
 くれなゐ楽団のメンバーは雇われている意識は皆無です、とふたりは口をそろえる。

「メンバーは、自分のバンドという意識で、みずから役割を見つけて、積極的に動いています。会場で重い荷物を運ぶひと、お弁当を買いだしに行くひと、餅屋は餅屋、そういう分担で自主的に動いています。酒井さんは顔が広いし、集客とかをやってくれています。ぼくは譜面しか書けない」
「譜面がなければ、演奏ができないでしょう」ふたりの呼吸は合っている。
「演奏会が終っても、費用のかかる打ち揚げなどはしない。いつの間にか、楽屋からだれもいなくなっています」
 メンバーは自分のバンドとして役割を果たすと、分担金の問題もないし、反省会も必要なく、演奏努力にたいする満足感と快さを感じながら、会場から去っているのだろう。

 くれなゐ楽団は、年一度の演奏会を夏場に限定している。音楽家は文化の秋が忙しいので、その期間は外している。
「くれなゐ楽団のコンサートを秋に入れたとすれば、かれらの仕事が秋にきたとき、『この無料演奏会さえなければ』と思うはずです。それは気の毒です。そんな負担をかけたら、みんなに悪い。また、くれなゐ楽団がつづきません。音楽家はお盆が暇なのです。夏の演奏会は10年間継続できる条件のひとつです」
「くれなゐ楽団は夏の風物詩ですもの」酒井が笑みを浮かべた。

 全員がプロです、『ぼくは嫌です』と言われたら、去るものは追わず、それまで、と割り切っている。

「現在のところ『嫌です』という立候補者がいないから、五人編成は続いています。お金はあげてないし、やりたいから来ているのでしょう。リハーサル(練習)の電車賃だけは自前で、あとの負担はない。7年間で、わずか1人が入れ替わっただけです。そのかれとは他で一緒に演奏をともにしています」
 人間にはそれぞれ考え方や意見がある。
 5人が持続可能となると、難しい局面が生じる。その都度、気持を確かめながら、前に進んでいるという。

                   【つづく】

著名な作曲家・演奏家がなぜ無料コンサートを開催?=音楽の原点の発見(上)

「のこぎりキング下田&くれなゐ楽団」のコンサートが、2018年8月19日に東京・足立区の梅田地域学習センターホールで開催された。琴、和太鼓、尺八、キーボード、ハーブなど、いずれも一流の演奏家たちである。
 チラシには『入場無料・申込不要、どなたでもご入場できます』と謳っている。満席に近い観客だった。

 ブロの演奏家が2時間のぶっ続けの公演は見事であった。
 選曲は日本人になじみ深いものばかり、観客が酔いしれている。演奏がわ、観客がわの一体感肌で感じとれた。まぎれもなく超一流の演奏家の「くれなゐ楽団」が、なぜ無料で演奏会を開催するのか。聴くほどに疑問が高まるばかりだった。

 一般にプロとは、どの分野においても卓越した技術で、お客を楽しませ、満足を与え、独特のこだわりがある、そして、お金を稼げるひとだ。お客は期待通りだと、次回もリピーターになる。反面、その期待が裏切られると、次回からは遠ざかっていく。プロの活動家は、その厳しさを常に感じて、お客と真剣に向かいあっている。

        *

 くれなゐ楽団はなぜ入場無料なのか。その考え方、狙いが知りたくて、作曲家(当日はハープとキーボードを演奏)の菊地慶太さん、琴の名演奏者の酒井悦子さんに取材を申し込んだ。

 新宿で、ふたりから話しを聞くことができた。

 菊地慶太さん(49歳)は作曲は小学生の頃からはじめており、音楽大学の作曲学科を卒業し、さらに国立の学芸大学・大学院へと進んでいる。そして、プロの作曲家活動を展開している。
 27年間にわたり『猫勧進』として活動をやってきた。
 7年前、2011年には「自由で、実験的な別働隊をつくろうよ」と作曲家の菊地さんと、「年に一回はやりましょうね」と人脈の多い琴演奏家の酒井さんと呼吸が合い、『くれなゐ楽団』を起ち上げた。紅(くれない)に対して『ゐ』をつかうのはイメージだという。
 5人編成で、菊地さんが4楽器の編曲を一手におこなう。

「なぜ一流のアーチストが無料で、演奏会を催すのですか」と単刀直入に訊いてみた。

「ボランティアによる音楽活動が、社会的に認められるか、どうか。音楽の実験です」
 具体的に、どんな実験ですか。
「観客からお金を貰いますと、分配の面で不平、不満がでてきます。誰がいちばん働いているとか、もめ事のタネになります。入場無料で、観客からの収益がないわけですから、メンバーはボランティア出演になります。争いの回避が継続性につながります」

「逆ですと、最悪は一回ぽっきりの演奏会で終わってしまいますからね」
 酒井悦子さんも、おなじ考え方を述べた。

「くれなゐ楽団は出演料もなければ、自己負担もなく、舞台で演奏ができるのです。各自、楽器を自前で会場に運んできます。それ以上の持ちだし、吐きだしがあれば、くれなゐ楽団の持続性に難がでてきますから」
 作曲家の菊地慶太さんは、持続性を強調した。

 プロはどれだけ稼げるか、という尺度もありますが、最初から、音楽家の皆さんは入場無料に賛成でしたか、と質問をむけてみた。
「くれなゐ楽団を立ち上げる前、それぞれの演奏家に面接して、なぜ、ボランティアなのか、趣旨を説明しました。演奏会は1年に1回だし。練習は3回のみ。ただし、交通費は自分で払う。現在のメンバーは理解してくれました」

 菊地さんがボランティアの音楽活動に、三つのメリットをあげてくれた。
① 演奏する私たちは、舞台に立って演奏していて、とても愉しい。

② 第三者に雇われているのではない。(主催者の思惑)ここはこうしてください、という強い要求・難題もない。媚びる必要はない。自分たちが楽しく演奏ができる。

③ 演奏者の楽しさは、会場のお客さんに伝わっている。

 自由演奏活動が、つまり音楽実験という趣旨のようだ。

「プロアーチストは、チケットを売るのが努力といいますか、その精神的な負担がとても大きいのですよ。演奏会の無料ですと、その労苦から解放されます。くれなゐ楽団はチケット売る努力がないのです。演奏会は無料だから来てね、とお誘いしやすいですしね」
 酒井さんがことばを添えた。

「無料だと、入場者が来るかこないか、観客席の埋まり方がまったく予測できない。ここらが実に不透明です」
「入場者がいらっしゃらなくても、5人は演奏をやれるわけですからね、ストレスはないのです」
 酒井さんが明るく話す。

      【つづく】

第2回 大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018 = 地元高校・2校の生徒らも参加・活躍

『第2回 大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018』が、広島県・大崎上島において、平成30年8月11日(土・祝日) 午前10時から午後3時30分に開催された。

 主催者は大崎上島地域協議会、後援は全国山の日協議会、幕末芸州広島藩研究会。会場は大崎上島開発総合センターの大会議室である。

 今年から島内の学生らも参加型で実施された。「山と海の恩恵に感謝する」をテーマにしたパネルディスカッションである。


 7月の集中豪雨被害で、広島県は甚大な被害を出した。離島の大崎上島も、山崩れは数か所あり、道路通行止め、懸命の作業で幹線道路は復旧したが、片側通行の場所もある。

 その悪条件下でも、第2回目が開催された。ただ、神峰山の登山道はがけ崩れが発生し、登頂は不可能になった。「お地蔵さんを洗う、磨く、祈る」は、山麓の会場で、参加者のこころのなかで、行ってもらった。


 先んじて、ポスターは広島市内15枚、チラシ100枚、島内にはポスターは40枚、行政機関等など窓口、フェリー乗り場、定期船の発着場(回漕店)に掲示された。

 なお、チラシは島内に4,000枚全戸配布、残りは関係機関の各窓口で配布された。
 
 同フォーラムの当日は島内の有線放送で開催をアナウンスされた。


 世界初の山の日がナショナルホリデーになった。国民の祝日「山の日」は超党派議員で成立したもの。同メンバーだった地元選出の衆議院議員・寺田実代議士も参列してくださった。

【第1部・午前の部】

 開会挨拶  NPOかみじまの風 代表理事 横本正樹(よこもと まさき)さん

 司会進行 松島勇雄さんである。


① 山を奏でるコンサート 「ラテン・コンサート」

   三須磨大成(たいせい)さん・利香(りか)さん デビット・松井さん


 山の鎮魂歌。なぜ、鎮魂なのか。神峰山には多くの地蔵さんがある。それぞれの石仏に悲哀がある。それを慰めるものである。


② 大崎上島・神峰山物語シリーズ朗読会

穂高健一原作・書き下ろし「紙芝居と海軍大尉」


 朗読・「朗読ボランティア・しおさい」

 読み語り 川本恵里さん、 福本まゆみさん


③ 大崎海星高校生による大学生神峰山案内成果報告

  3学年 梶村莉子(かじむら りこ)さん,神紀美香(じん きみか)さん

  同校の高校生が、都会の大学生を招いて、神峰山に案内する学校行事が行われている。その活動を紹介するもの。パワーポイントとレザーポインター使用して行われた。

「神峰山」に関する問題など、ユニークなものも含まれていた。

 協力者にお茶付き弁当用意が用意された。昼食を通しても、40人が山の話題を行っていた。
 高校生たちが寺田実代議士(前列・中央)、穂高健一と記念撮影に収まった。

 
【第2部・午後の部】

④ 来賓あいさつ、
    衆議院議員  寺田 稔(てらだ みのる)さん
    広島県議会議員  森川 家忠(もりかわ いえただ)さん
    大崎上島町長  高田 幸典(たかた ゆきのり)さん

④ 基調講演 穂高健一氏が著書「広島藩の志士」を語る。江戸時代の地元・広島藩の歴史を学ぼう 
          
⑤ フォーラム対談「神峰山の魅力を語る・山と海の恩恵に感謝する」

 作家・穂高健一と、広島商船高専・大崎海星高校学生の有志たち。

 フォーラム参加学生
 広島商船高専
   横山 夏樹(よこやま なつき)さん、
   宇郷 佳暉(うごう よしき)さん
   森岡 芽生(もりおか めい)さん
           
 大崎海星高校 

   梶村莉子さん
   川本麻美さん
   神紀美香さん
   菅翔稀さん
   竹内繭さん
   三村桃花さん
   大藤薫乃さん

 大崎上島には、「農林漁業、伝統文化、生活自然、景観」などの有形・無形の資源が豊富にある。9人の高校生が、将来志向で、その活用方法を考える。


   

    9人の高校生らは、高田幸典・町長と記念撮影

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「大雨特別警報」その2 = 東広島市自然研究会より

 このたびの「平成30 年7 月豪雨」(気象庁)で発生した斜面崩壊地点を、広島大学平成30年7月豪雨災害調査団(地理学グループ)の皆さんが、国土地理院の空中写真を判読された。

「平成30年7月豪雨による広島県の斜面崩壊分布図。

2018年7月24日」と題されて、日本地理学会に第3報として報告されている図です。


 市町村別の発生件数、土石流や崖崩れといった種類別数、花崗岩などの地質的な考察など第1報(7/14)、第2報(7/16)に比して精度、内容など詳しくなっています。


 その地理院地図より広島国際大学前(真ん中上部の四角)の巨大な土石流。尾根の右下側に中畑市原の集落です。
 斜面に縦横無尽に残された土石流はまるで巨大な獣の爪の跡のようです。

 過日、県道334号線の町境の土石流2か所を撮影しました。

 地理院の空中写真では、他と比較してそんなに大きく写っていませんが、現地での迫力は凄いものでした。
 頂上付近から谷底まで数段の田を乗り越え、樹木を巻き込んで猛スピードで流れ下ったであろうことが推測されました。

 不思議なことに一本の樹木が残っていました。何の樹でしょうか?

 それにしても、豊栄のオオサンショウウオたちが気になります。お盆後予定の調査が待たれます。何とか凌いでくれていれば良いのですが。


《コメント》

 5歳の娘も、椋梨川のオオサンショウウオどうなったかねえ、と案じております。
 氾濫寸前だった黒瀬川で、災害前と同じように外来種の亀がプカプカと浮き上がったり潜ったりしておるのを、災害一週間後ぐらいに見つけました。近くには流された木の橋が引っかかっていました。
 もっと小さい近所の川では、干潮時にチゴガニがチョキチョキしていて、生き物の方が強くて自由だなと妙に納得しました。
 オオサンショウウオは太古の生き物なので、きっと、泰然自若と椋梨川にいてくれているだろうと思ってます。 -- サチエ  2018-08-08 (水)

 明日午前中、いつものところで、ある団体の観察会が開催されます。関係者が何度も下見をしてくれていますが、オオサンショウウオや他の生き物の姿がありません。初めての事象です。考えさせられます。 -- 小ヌシです  2018-08-08 (水)


【関連情報】
 ヌシとは巣穴を守り子育てをするオスのオオサンショウウオのこと。

 当会の我らがヌシさんとメンバーがメッセージを発信します。

「大雨特別警報」その2 = 東広島市自然研究会

「大雨特別警報」その1 = 東広島市自然研究会より

 7月は豪雨、猛暑、台風12号と自然災害が次々発生し、気が付くと8月になっています。あっという間に1か月が過ぎました。皆さん大丈夫でしょうか?

 小ヌシの集落呉市安浦町原畑は野呂山の東の麓にあり、集落の東端を野呂川が南流しています。野呂川ダムのすぐ下流域にあたります。
 今回の豪雨では大なり小なりの被害が生じました。

 一夜明け、自宅から目視で山は12か所の土石流を確認できます。

 先夜7月6日は大雨特別警報が発令されるなど、テレビの気象情報から目が離せませんでした。また、町中心部や低地部分は一帯が冠水し、かかりつけの病院は床上1m以上浸水したようです。スーパーも7月31日現在閉店したままで、被害の大きさを実感します。

 山超えた中畑市原は壊滅的な被害を被っています。

 集落の外に出る道路は3方向あったのですが、黒瀬、西条方面は中畑市原の多数の土石流で通行止めです。
 町内中心部へは野呂川の洪水のため、家屋、道路が流失して通行止め。呉方面はがけ崩れのため通行止めと、一時陸の孤島状況になりましたが、唯一、旧道1本が通れました。

 現在もその状況は大きく変わりません。大周りをして移動しています。

《コメント》

 一昨日、東広島市災害ボランティアの受付に駆り出されました。平日にもかかわらず94名の参加があり元気をいただきました。遠くは埼玉から5泊6日で5名の会社員グループも。夏休みで中学生も散見。みんな偉いな~!  -- かやネズミ   2018-08-02 (木)

 目がウルウルです。 -- 小ヌシです 2018-08-02

 安浦の状況を聞くたびに、大丈夫かなと思ってましたが、ご無事で何よりです。7日の朝、広の自宅ベランダから見た海は茶色く濁ってて、横を流れる川も水位増していて茶色く濁ってました。でもそれ以外は、みた風景はいつもとかわらないように見えました。

 7月8日の中国新聞朝刊の安浦の写真は衝撃でした。これからどうなるんだろうと不安になったのをよく覚えています。
 自然が猛威を振るっていることを実感する夏ですね。 -- サチエ 2018-08-07 (火)

 自然に対し、ただただ平穏無事を願うだけですね。 -- 小ヌシです 2018-08-07 (火)


【関連情報】
 ヌシとは巣穴を守り子育てをするオスのオオサンショウウオのこと。

 当会の我らがヌシさんとメンバーがメッセージを発信します。

「大雨特別警報」その1 = 東広島市自然研究会

第2回大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018=8月11日に開催

 広島県下は大きな災害を受けた。大崎上島も例外でなく、本州からの水道のパイプラインが切れた。水のない不自由な生活の下でも、『第2回大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018』を成功させよう、と島民は頑張っている。

タイトル:『第2回 大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018』
 
 主催者:大崎上島地域協議会 後援:全国山の日協議会、幕末芸州広島藩研究会

日  時:平成30年8月11日(土・祝日) 午前10時から午後3時まで

会  場:大崎上島開発総合センター 大会議室

問合せ先:NPOかみじまの風 ☎ 0846-67-5530(月~金・10時~15時)

今年度(2018)祝日「山の日」8月11日には、『第2回 大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018』を実施します。今年から島内の学生らも参加型といたします。高校生たちと作家が「山と海の恩恵に感謝する」をテーマにしたパネルディスカッションで、
「大崎上島は、農林漁業、伝統文化、生活自然、景観などの有形無形の資源が豊富にある。その活用方法を考える。観光客(滞在型生活観光を含む)、定住・移住するひとを増やしていく。将来は「海の日」も連携させた『まち残し』を推進していく」
 と討議しながら、若者たちの「山と海」の自然循環教育を高めていくものです。


第一部
① 山を奏でるコンサート 三須磨大成・恵里「ラテン・コンサート」
② 大崎上島・神峰山物語シリーズ朗読会。
原作・書き下ろし「紙芝居と海軍大尉」、朗読・「朗読ボランティア・しおさい」

  昨年度の朗読小説・穂高健一著「ちょろおしの源さん」(「川」定価1000円)、穂高健一著「初潮のお地蔵様」(1000円)が安価で求められます。2冊で、1500円

③ 基調講演 地元作家・穂高健一氏が著書「広島藩の志士」を語る。
       江戸時代の地元の歴史を学ぼう 
④ フォーラム対談「神峰山の魅力を語る・山と海の恩恵に感謝する」

 パネラー、作家・穂高健一氏と広島商船高専・大崎海星高校学生の有志たち
第二部 神峰山に登り、お地蔵さんの清掃「洗って、磨いて、祈る」をおこなう

2年連続「特選句碑除幕」の快挙=大久保昇さん

 第14回「しずおか句碑の郷まつり句会」が、平成30(2018)年4月8日(日)の午前10時に、静岡県・秘在寺で行われた。こんかいの特選句は、昨年とおなじく、大久保さん(東京・文京区)です。

 昨年度 『安倍川を大きく包み山笑ふ』

 今年度 『樹々の芽に陽のゆき渡る和紙の里』

 2年連続で特選に輝いた句碑が、静岡県の秘在寺の境内に建てられます。


  今年度の除幕式(左)         授賞式(右)    

 静岡県内を流れる安倍川は、全長52キロで、駿河湾にそそぐ急流な河川で、日本でも随一の清水です。その中流に郷島「冷泉山秘在寺」があります。
 
 境内には樹 齢推定1000年の榧(かや)の大木がそびえ、眼前には雄大な安倍川の景色が眺められ、お茶・山葵の産地です。 (主催者のHPより)


【大久保昇さんの句碑として】

 第1句碑は、群馬県・榛名町の上里見公園内

『厩舎より馬の貌出る梅日和』


 第2句碑は、さらしな・おばすて

『帰省して牛の匂ひの中にをり』


 第3句碑は、相模原俳諧浄土寺 正覚寺

  神奈川県俳句連盟会長賞の授賞式 大久保昇さんへ

『心の荷ほどきて歩む春の山』


 第4句碑は、飯山市 明昌寺

『北竜湖水の底まで蝉時雨』


 第5句碑は、静岡県・秘在寺

『安倍川を大きく包み山笑ふ』

 第6句碑は、同・秘在寺

『樹々の芽に陽のゆき渡る和紙の里』


 大久保さんは、歌碑においても、茨城県・行方市「霞ケ浦ふれあいらんど」に建てられている。

「狂歌詠む心のゆとりあるかぎり争い事の芽は育たない』

 大久保さんの句碑、歌碑が各地に建立されている。現在ちょうど50才であり、今後は円熟さをますぼとに、俳人として名を残す活躍が期待できす。


『関連情報』

「穂高健一ワールド」に、大久保昇さんの記事が下記の通りあります。

① 俳句、狂歌、四つ目の石碑が建立 = 大久保昇さん


② 
大久保昇さんが句集『天職へ』を発刊する=後世に残る名句だろう


③ 句集「天職へ」本体2300円+税

 購入先 : 大久保昇

 〒112-0002
 文京区小石川3-25-4-301
 03-3816-3417


 発行所 北溟社(ほくめいしゃ)☎04-2968-5349
 

祝「御手洗が日本遺産(広島県・大崎下島)=井上明さん

 江戸時代に瀬戸内で、最大級の発展をした港が御手洗(呉市豊町)である。「潮待ち、風待ち」の役目を果たす随一の良港だった。
 同港は、近畿と九州の中間地点に位置し、北前船、千石船、参勤交代の大名船なども多数が寄港し、賑わっていた。

 このたび、御手洗の5つの文化施設が2018年5月24日に、北前船にゆかりがある「北前船寄港地・船主集落」として、日本遺産の構成文化財に追加認定された。

 日本遺産の認定は、たんに観光振興だけでなく、幕末広島藩が同港から徳川政権の倒幕を成した歴史的な価値ある港としても、日本中の注目を浴びるだろう。
 御手洗から幕末・広島藩ブームが起こる可能性も秘めている。

「御手洗重伝建を考える会」の理事・井上明さんは、御手洗が日本遺産に追加認定されたことに対して、
「古くからつづいているものの価値。私たちがこれをどう活かし、どの部分を磨いていくのか具体的なアクションと検証のサイクルが必要。
 観光振興はただの手段。残していくもの、アップデートしてものの見極め……、UIターン者の若者をはじめ今、素晴らしい人材と感性が育ちつつあるのを実感しています」
 と述べている。

 中国新聞が「観光振興の追い風に」、「祝賀横断幕やパネル展」とおおきく報じている。

伊藤博文・初代総理、佐藤栄作ノーベル平和賞、安倍晋三総理=ねつ造の歴史

 公文書はたいせつな歴史の物証である。その偽証は国民にたいする重大な歴史の犯罪である。この認識は政治家も、国民もしっかり持つべきだ。


 いまや、安倍晋三政権のもとで、公文書のねつ造、隠ぺいが平然とおこなわれている。財務省、厚生省、文部省、ブルタスお前もかと防衛省すらも隠ぺいする。シビリアン・コントロールの欠如が、軍部の独走を招き、戦争への道になる。
 安倍首相はそれすら、解っていないのだろうか。

 ありていにいえば、安倍首相は、過去の長州(山口県)の政治家たちの隠ぺい体質で、どれだけ日本人を不幸にしてきたか、歴史からまったく学ぶ姿勢を持っていない。あなたも、おなじ過ちをくり返させるのか、と言いたい。

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 明治18(1855)年に、伊藤博文が初代内閣総理大臣となった。井上薫、山形有朋が政治の中枢についた。
 この段階で、太政大臣の三条実美ら公家が政治の中心から墜ちた。そして、長州閥の政治家の独壇場になった。

 かれらは内閣の総理大臣や主要な大臣になった、とはいっても貧農、中間、駕籠(かご)かきの息子らだ、と皇室や公卿や元大名たちから侮られた。
「おまえら、戊辰戦争のころは貧農の足軽以下だった。おまえら長州が徳川家を政治倒幕したわけじゃない。高度な政治の隅っこにもいなかった」
 出自(しゅつじ)には、かれらはことのほか劣等感があった。

 長州出身の政治家は、貧しく育ったゆえに、基礎教育、教養が乏しく、「歴史の歪曲は国民のためにならない」という倫理観の認識すらなかった。
 権力を持つと平然と、なんでもやれると錯覚していた。この点は貧農の出自だった豊臣秀吉とよく似ている。力をつけると朝鮮出兵し、自分を大きくみせた。
 長州閥政治家たちも、秀吉とおなじ朝鮮・中国・満州侵略で、大きくみせる行動にでていくのだ。

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「人間は自分を大きくみせるために、とかく過去を自慢したがる」
 明治半ば、伊藤博文・初代総理たちは、文部省と宮内庁に命じ、自分たちに都合の良い『幕末史』の編さんを命じた。
 ベリー提督来航から廃藩置県までだ。
『徳川支配の幕府は堕落・腐敗の政権だった』
 とこき下ろし、
『われら長州藩が中心となり、薩長で倒幕し、近代的な新政府をつくった。西洋と肩をなべる富国強兵国家をつくった』
 かれらは都合よい英雄の近代史をつくった。

 それを義務教育で教えた。幼い学童は「虚偽の幕末史」で洗脳されてしまったのだ。軍国国家が正しいと信じた。

 しかし、倒幕の主力となった元大名・家老たちの日記には、伊藤俊輔、山縣有朋、井上聞多らが、いっさい名が出てこない。かれらは倒幕に役立つ人物ではなかったのだ。
 この事実が取りざたされると、加担しなかった徳川倒幕のウソがばれてしまう。かれらは明治18年に政権のトップに立つと、官僚や県令(県知事)らを介し、大名・家老日記をことごとく焚書(ふんしょ・焼き棄てる)させたのだ。まさに、歴史のねつ造のためだった。


 山縣有朋はこのころから日本の軍国化をより強烈にすすめた。国民皆兵、教育勅語、文民統制を排除し、治安警察法など、帝国議会で戦争法案を連続して成立させたのだ。

 教育勅語を暗記させられた子供が、大人になると、軍人勅諭を覚える。すべての戦争は『祖国のためだ』と信じて疑わない人民となった。

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 日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、第一次世界大戦、日中戦争、満州事変、太平洋戦争へと国民は、祖国のためだと、男子国民(理系を除く)は海兵で、戦場にかり出された。

 兵士および非戦闘員をふくめると、国内外で、一千数百万人の犠牲者を出させてしまった。

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 太平洋戦争が敗戦で終了した。
 沖縄は米軍の統治下におかれた。当時、日本は核兵器は作らない、非核三原則を堅持していた。『核兵器をもたず、つくらず、持ち込ませず』が政治家と国民の最大のコンセンサスだった。それを見事に破った政治家がいる。


 佐藤栄作首相のもとで、1972年(昭和47年)5月15日に、沖縄が日本に返還された。翌1973年には、佐藤栄作は『核不拡散を提唱した』という理由で、ノーベル平和賞を受賞した。

 ところが、佐藤首相は国会で国民に嘘の答弁していた。正義感のある新聞記者が、沖縄返還には「有事の際の核持ち込みに関する合意」があったと暴露したのだ。

「佐藤栄作はおお嘘つきだ」
 非核三原則を大切にする国民は激怒した。日本の恥部だと、かれをノーベル平和賞の受賞者を褒めたたえようとしない。
 現代の青少年に「日本人でノーベル平和賞をもらった人は誰ですか」と質問しても、誰もがほとんど首をかしげるばかり。
 国民が自慢する人物ではなくなったのだ。
 
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 戦前、戦後を通じて、長州出身(山口県)の政治家は、数多く内閣総理大臣にかけ登っている。
 かれらに共通している点は、経済界人との結びつきが強く、その人脈を利用した、半独裁主義者のような強い権力をもつのが特徴だ。

 安倍晋三総理大臣のもとで、人脈がらみで森友学園と加計学園の問題が起きた。国会やメディアが追及すると、ねつ造文書や隠ぺい資料が次つぎに出てくる。

 これは安倍首相自体に、「国民にたいする嘘の答弁、公文書のねつ造は、重大な歴史犯罪だ」と、認識が欠如しているから、行政の底流に、国民を欺く土壌が生まれてしまうのだ。
 
 ここ100年の歴史において、安倍首相の血統の松岡元外相、岸信介元首相らが、世界中からバッシングされた『満州』がらみから平和解決でなく、戦争推進の役目を担ったという歴史的事実がある。やがて、第二次世界大戦争に発達させたうえ、国民にとてつもない大きな戦争犠牲を強いる結果になったのだ。

 私たちは戦争・戦場を知らない。しかし、日本国民一億人が、戦争責任を問われて、戦後まもなくから、素直に先祖の戦争行為を詫びて、会社で働いた税金で、諸外国に延々と賠償金を払いつづけてきた。

 つまり、少数の軍国政治家のミスリードで、半世紀以上も、全国民が戦争という負の支払いを綿々と続けてきたのだ。
 もう、こんな虚しい戦争支払いなど、やらさせないでほしい。戦争推進の政治家はもう欲しくない。これが庶民の素直な気持ちだ。

 満州がらみの戦争責任の大部分は、松岡元外相、岸信介元首相にあるといっても、過言ではない。安倍首相は、身内の先祖が犯した過ちを十二分に認識し、己は戦争に民を巻き込まないぞ、というひと一倍の決意で施策、方針を取るべきだ。
 戦争を招きかねない関連法案が出てくると、国民は本能的に、あなたの血筋に戦慄し、畏怖しているのだ、と知るべきだろう。

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 私たち国民はけっして無能ではない。口先でごまかされない。

 為政者が支配しているときは、目を閉じ、物いわずとも、かれらの死後から幾年たって、その政治家の墓に泥をかけたり、削ったり、銅像の首を落としたりするケースすらもある。

 伊藤博文は名誉ある初代総理大臣なのに、後世で、悪く書かれてしまう。
 佐藤栄作元首相だって、ノーベル平和賞は国民の良心として返還すべきだと、いまなお主張するひとたちが巷にいる始末だ。

 民の頂点にいる安倍晋三首相は、『善政』の実行に身を挺してほしい。善政とはなにか。総理の権力・権威・権限にしがみつかず、いい恰好をしたり、逃げたりしないことだ。過去の偉人から学び、わが身よりも民の安堵(あんど・幸福感)を最優先に考えることだ。


 あるべき政治家の姿は、100年後を見据えて、『戦争をしない。国民を飢させない。国を滅ぼさせない』と、打つ施策がすべてこの原理につながるべきである。

 総理の取り巻きの政治家らは、ねつ造や粉飾、虚言、焚書などにたいしても、是々非々の強い姿勢と勇気がなければ、いつかきた悪しき政治の道にながれてしまう。権力者にたいして物言えぬ取り巻きにこそ、むしろ重い責任があるのだ。
 その認識こそが、世にいう政治家の果たすべき使命である。


写真=Google 写真・フリーより

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