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志和の知られざる幕末・芸州広島藩の活躍=神機隊創設150余記念

 芸州広島藩の神機隊の320人が自費で、戊辰戦争に出兵してから150年が経ちました。『神機隊創設150余記念事業』として、隊員名簿から末裔(まつえい)をさがし、9月23日の秋分の日に本陣だった西連寺で、墓参していただこう、という企画がなされました。

 当時の隊員名簿から、多くの方々が末裔さがしに労を惜しまず、きょうに及んでいます。

 岸田文雄代議士の奥さんの(一族)先祖、軍医だった小川道甫さんの末裔・小川栄さんなど多々、わかりはじめています。
 きょう現在、進行形です。
 
 9月23日(月・秋分の日)は午前中の10時~12時は、神機隊の末裔の方々に、西連寺の墓参、さらに訓練地の和田山・大行事原、八条原城(はちじょうばらじょう)跡などを訪ねていただく予定です。
 RCCテレビ・ラジオが入ります。
 FM東広島など

 午後の13時00から講演会『志和の知られざる幕末・芸州広島藩の活躍』がおこなわれます。サブタイトル「幕末・日本最大級の戦闘部隊である神機隊は、なぜ志和で創設されたのか?」
 講師:穂高健一
 会場:西蓮寺 
 入場料は無料
 主催:(財)中国地方郵便局長会
 後援:東広島郷土史研究会
    西志和まちづくり自治協議会
    幕末芸州広島藩研究会

 なお、車の駐車場は、近くの西志和小学校のグランドを利用してください。西蓮寺まで、送迎があります。
 
『概略』
 志和盆地(東広島市)には1200人の神機隊が駐屯していました。本陣は西連寺(さいれんじ)です。そのなかから精鋭部隊が上野戦争(彰義隊)、飯能戦争、さらには奥州戦争へと出陣しました。

 かれらは、戦場で凄まじい戦いを挑みます。その戦闘は、浅野家史『芸藩志(げいはんし)』にくわしく記載されています。昭和53年まで、その芸藩志が封印されていましたから、世に知られてきたのはつい最近です。
 かれらの活躍は、穂高健一著『広島藩の志士』、『神機隊物語』などで、小説化しています。



 戦場での死傷者は多く、負傷しながらも歩けるものは、わずか80人弱にまでなりました。命を亡くした神機隊の御霊は、広島護国神社に、高間省三(砲隊長)を筆頭祭神として祀られています。

 京都・東京・福島の現地に、かれらの墓石があります。こんにちでも現地の人たちに、花を添えられたり、厚く見守られています。
 それだけ、芸州広島藩の神機隊は、軍律を守り、日本人として民の安堵(あんど)ために戦っていたからです。

「鬼の官軍だとおもっていたら、兵士が家にやってきて、仏壇を拝ませてくれ、と手を合わせていた、……子どもを大切にしてやれ、戦争が終わったら、わしは安芸の国に帰る、達者でな、と立ち去った。あれは阿弥陀様の身代わりだ」と、ナカという若嫁の話が大熊町史「戊辰戦争余話」として書き残されています。

 南相馬では、西軍が没収した蔵の米が、農民が凶作のときの備蓄米だった。それを知った西軍は金で相馬藩に売り払った。しかし、唯一、神機隊は無償で相馬藩に返却した。自費で出陣してきた神機隊は、のどから手が出るほど、お金が欲しい状態だったはずだが、民にたいする略奪など一切しなかったのです。

 後世において東北人は薩長嫌い、官軍嫌いですが、ただ芸藩は別だったという。それは神機隊が浅野藩のエリートが立ち上げた、知的な優秀な部隊だったからでしょう。

 志和盆地の西連寺においても、神機隊の墓地があります。

 かれらの活躍を偲び、お彼岸の供養でお参り、講演にお出かけ下さい。

【関連情報】
志和の知られざる幕末・芸州広島藩の活躍・チラシPDF

第3回大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2019 世界的な琴奏者・酒井悦子さんを招く 

 超党派議員で祝日「山の日」が決まった。それから4年目である。漸次、国民の祝日と定着してきている。
 広島県・大崎上島においても、『第3回大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2019』が開催されます。


 離島なのに、なぜ山の日なの? その疑問から3回目である。島には名峰・神峰山がある。悲哀の地蔵さんが数多くある神峰山だから、山の日に、皆で祈ってあげよう。これがテーマです

 出演してくれる「酒井悦子」さんは、世界のサミットが日本で開催されるとき、昼食会で琴を演奏される。とても著名な方だ。酒井悦子の琴を聴こうとおもえば、クイーンエリザベス号、豪華客船・飛鳥などに乗船するのが手っ取り早いだろう。
 このメンバーとして著名な作曲家の菊地慶太さん、東京芸大出身の尺八演奏の豊嶋貞雄さんが共同出演してくれる。

 なにを隠そう。小説「神峰山」 を読まれて、「そんな悲哀のある神峰山ですか。琴や尺八を奏でて、お祈りしてあげたいです」と3人は無報酬で東京から来てくれるのだ。
 
 離島・大崎上島に移住されたキューバ音楽の奏者である三須磨さん夫妻、ディビット松井(バタ・ベル)、照井博恵(コーラス)たちは毎年出演してくれる。
 
            *

 超党派で国会で成立した法律だからと言い、昨年は寺田稔代議士が挨拶にきてくれた。ことしは寺田さんからバトンタッチで、新谷正義代議士が来島予定である。

 司会は、「丸子ようこ」さん。「NHK広島放送局の番組キャスタ」など12年間の経験があるプロアナウンサーである。この方も、「神峰山」を読んで涙しました、と無報酬で司会をしてくれる。

  著名な方々が、自費で参加してくれる。むろん、参加費は無料である。

  広島には、自費で戊辰戦争に参戦した「神機隊」がいる。私はかれら320人を歴史小説で描いた。こうした縁が回っているのかな、と思う。

「将来とは若者たちのもの」である。こうしたイベントは将来につなげるものである。大崎海星高校、広島商船高専の生徒による、学校の行事や催しの一端を語ってもらう場としています。


 令和元年8月11日出演者・曲目

〇キューバ音楽(2部構成)
1部 太鼓と奏でる神々の唄
 1 エレグア(儀式の始めと終わりを受け持つ)
 2 オバタラ(愛と創造の神)
 3 オサイン(病を治す薬の神)

三須磨 大成 (Vo・コンガ・バタ)
三須磨 利香 (Vo・シェケレ・バタ)
ディビット松井(バタ・ベル)
照井 博恵  (コーラス)

2部 キューバのポピュラー・ダンス音楽
 1 カチータ  おいでカチータ一緒に踊ろう
 2 ラグリマス・ネグラス  黒い涙
 3 神峰山(かんのみね)
 4 ボラレ
  
  
三須磨 大成 (ギター・Vo)
三須磨 利香 (Vo・コンガ・シェケレ)
ディビット松井(ベース)
照井 博恵  (コーラス)

〇邦楽演奏

 昭和歌謡ヒットメロディ
・見上げてごらん夜の星を
 ・鉄人28号
 ・日本わらべ歌
 ・それいけカープ
 ・瀬戸の花嫁・
 ・憧れのハワイ航路
 ・海ゆかば
 ・昔話メロディ

   酒井悦子  琴
   豊嶋貞雄  尺八
   菊地慶太  作曲

【関連情報】

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神田松鯉さんが、「人間国国宝」になる、快挙に乾杯

 神田松鯉(かんだ しょうり)さんが、7月19日の「文化審議会」で、重要無形文化財保持者=人間国宝にきまった。

 神田さんは講談界の大御所、重鎮である。
 かたや、日本ペンクラブ(PEN)のメンバー(企画事業委員会)でもある。2-3カ月に一度のPEN例会において、司会をつとめられている。
 声量が並はずれて優れているので、乾杯後のざわついた中では、一般的に司会者に耳を貸さない雰囲気があるけれど、神田松鯉さんは、そのなかでも会場の皆の目をむけさせる。さすが講談師だとおもわせる。
 アナウンスメントはとても、インパクトがある。

               *

 PEN会長の吉岡忍さんが中心になって、推し進めている全国各地で開催される『故郷と文学』(島崎藤村の生誕地の長野県とか)において、神田松鯉さんは文学作品を朗読される。
 1000人を超える大聴衆を作品のなかに誘い込んで、酔わせる。絶妙な抑揚と呼吸感で、ストーリーが運ばれる。

 かれこれ7-8年前になるが、PENが主催した世界フォーラム「環境と文学」において、神田さんが中国人ノーベル賞作家の莫言さん(ばく げん、モー・イエン)の作品(いにしえの中国農村の災害を描いていた)を朗読された。その時の、鶏の鳴き声「コケコっこー」は、とても、素晴らしく、いまだに耳の奥に残っている。
 招聘(しょうへい)された莫言さんの、それにたいする笑顔もすてきだった。

                 *

「神田松鯉の会」が、「お江戸日本橋亭」(中央区・2000円)で、折々に開催されている。招かれて、ことし(2019年)5月28日の足を運んでみた。
 超満員で、舞台の背(屏風・びょうぶ)の後ろまで、観客だった。これにはおどろかされた。お弟子の「神田松之丞」がとても有名になり、これまた講談ブームを巻き起こしていると、まわりのお客さんが語っていた。
 それに、20-30代の女性が講談師となっている。
 ここ10年間で、隔世の感がある。


写真の中央が神田松鯉(しょうり)さん。 写真提供:かつしかPPクラブ

 わたしは個人的に親しくさせていただいており、「立石飲み会」にも、毎年、来てくださる。そこには、楽しく談話される素顔の神田さんの存在がある。
「人間国宝おめでとうございます バンザイ!」と祝電をお送りしたら、ごていねいに電話をいただいた。律儀な人である。

 神田さんは人間味のあふれた方である。重く太い声で、観客の心を酔わせて、強い印象を与えている。
 群馬県出身の神田松鯉さんだから、国定忠治とか任侠ものも舞台で語られる。現代流で言えば、かれらは反社会的な存在かもしれないが、人情、義理、信愛など、現代人に忘れがちものをよみがえらせてくれる。
 
 人間を語らせれば、神田松鯉さんは最上級だ、と私はおもう。 
 
《関連情報》

(公益)落語芸術協会・神田松鯉

幕末彼氏伝 = 広島国際アニメーションフェスティバル実行委員会のお礼の挨拶

 メインテーマ「幕末彼氏伝 ~集え!広島藩の志士たち、伝説はここから始まる!」が2019年3月21日(祝)、JMSアステールプラザ(広島市中区加古町)1階の市民ギャラリーで開催されました。
 これは穂高健一著「広島藩の志士」(倒幕の主役は広島藩だった)を原作としたものです。主催者から、関係者や来客者、支援してくださった方々感謝のメッセージが寄せられています。

【メッセージ】

 おかげさまで、総来場者数は368名と多くの来場者があり、たいへんな盛会となりました。ありがたい事に、こんかいの関係者の皆さまからは、こちらが驚くような、ご提案を沢山、たくさん頂くことができました。
 そのたびに、担当としては勇気と元気をもらうことが出来ました。

 おかげさまで、当初の予定した何倍も良いものを実現することができました。すべて関係者のみなさまのご協力によるものです。本当にありがとうございました。

 会場の熱気もすさまじく……。わたし自身はサウナにいるような状態で、頭から湯気が出ておりました。

 同イベントでは、老若男女の来場者がありました。広島藩への関心の高さを感じることができました。
 とくに、中央ステージでのイベント時間ちゅうは、これ以上来場者が集まったらどうしよう、会場内がオーバーフローし、危険かもしれない……と、主催者のわたしは内心ヒヤヒヤしておりました。



 こんかいの「幕末彼氏伝 」にはイラスト、マンガ、演劇、アテレコ、さらにコスプレなどサブカルなコンテンツを活用いたしました。
 広島藩の歴史への興味関心を高める、その機会を創出する。その試みの第一歩を踏みだし、今後に大きな可能性を感じることができました。

 関係者・来客者のみなさまの温かいご支援、ご理解、ご協力があってこそ、ここまでの強いうねりとなりました。

「幕末彼氏伝 の打ち上げ懇親会においても、出演者の方、スタッフの方、みなさまの方から、今後もいろいろな創作をしていきたい、というお話もありました。
 今後も多彩なコンテンツが産み出されるのでは……と、胸がワクワクと高まっています。


 会場内でアナウンスしたとおり、こちらの写真はすべてネット、SNS等でのUP、拡散は自由です。

 こちらよりダウンロードしてお使いください。(期限は3月28日までです)。今後とも何卒、どうぞよろしくお願い致します。


 広島国際アニメーションフェスティバル実行委員会 事務局

  粟河瑞穂(敬称略)

【穂高健一の公演】

幕末彼氏伝・穂高健一氏講演ここから入れます

【幕末彼氏伝】第一話~第三話『大政奉還』の制作者たち=メッセージ(下)

 

「幕末彼氏伝」(広島)が、平成31年3月21日(祭)場所 JMSアステールプラザ1階・市民ギャラリーで実施された。
 古今東西、歴史を変えるのは若者だ。「歴史は真実でなければならない」と、広島の若者が、明治政府が歪めた歴史を正す。そのために燃えあがってくれた。
 それは歴史に関わる大きなしごとだといえる。

              ☆
  
 イベントの開催の直後、彼らからコメントをもらいましたので、紹介します。


 総合学園ヒューマンアカデミー広島校 金井さん。

 この度は、貴重な機会を頂きまして、誠にありがとうございました。

 当校の学生・卒業生たちも貴重な体験が出来大変喜んでおり、また多くの方に学生たちの活躍を見て頂く機会を設けられたこと大変ありがたく思っております。

 せっかく頂きましたご縁を大切に、マンガ化計画も追って、ご相談などさせていただきたいと思います。今後共よろしくお願いいたします。

 中久保涼さんは「幕末彼氏伝」で高間省三等のキャラクターデザインを担当された。

「幕末彼氏伝」のイベントお疲れ様でした。高間省三などのキャラクター制作についても、企画当初から色々とアドバイスや助言を頂き誠にありがとうございました。

 とても良いキャラクターが出来たと思います!

 なかなか、ここまで大きなイベントの制作物に携わることがないので、とても良い経験にまりました。自分の制作物がこうやって日の目を見る事は、とても嬉しくもあり、自慢になります。

 イベント中も、貴重なお話などを聞かせて頂きありがとうございました。
 今回のイベントを通して穂高様や多くの方々とお会い出来る良い機会となり、とても貴重な1日となりました。

 またご一緒できる機会があればと思います。

 漫画を担当の藤井(フジィFG)さん

 幕末彼氏伝にて漫画を担当させていただきました。大会当日は、たいへん貴重なお話をお聞かせくださり、ありがとうございました。

 私自身、教科書で教えてもらった内容でしか歴史を知らず、広島にこのようなすごい人物がいたのかと改めて勉強になりました。
 穂高先生の著書も改めて読み直し、さらに見識を深めていきたいと考えております。そして、このような活動に私自身携われたことを大変嬉しく感じております。

 これをご縁にお話を頂いております、漫画化を進めていけたらと思っております。またご相談させて頂くことも多いかと思いますが、その時はご指導のほど是非ともよろしくお願い致します。

 キャラクターやイラストを担当の中久保渉さん

「幕末彼氏伝」で綾・浅野のキャラクターやイラストを担当させていただきました。開催日はとても充実した一日でした。

 穂高先生ともお話でき嬉しかったです。こんかい幕末彼氏伝に関われて、本当に良かったと思っております。
 また、今後企画などでお会いする機会がございましたら、よろしくお願い致します。


 上口雅彦さん

 大会当日は遅くまでありがとうございました。上口ジョウグチです。初めての聞く話ばかりで、勉強不足ですが、とても興味深い貴重なお話ありがとうございました。

【穂高健一の公演】

幕末彼氏伝・穂高健一氏講演ここから入れます
 

【幕末彼氏伝】第一話~第三話『大政奉還』の制作者たちへのメッセージ(上)

 浅野家は名家である。豊臣秀吉の正室のネネは、浅野家から出でいる。初代の浅野長政は5奉行の筆頭(現代の内閣総理大臣)として、秀吉の指示の下で太閤検地と刀狩を起こった。

 戦国時代の群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の乱れた時代において、日本統一をおこなった実質的な最大の貢献者である。現在の土地台帳の基礎をつくった人物である。

 浅野家が紀州から広島に入封(1619年)してから、ことしで400年である。広島浅野宗家・初代の浅野長晟(あさの ながあきら)の正室は、德川家康の3女・振姫である。

 広島藩は外様大名だが、秀吉時代から德川家=浅野家はたがいに深い結びつきがあった。このことが浅野家と徳川家がともに幕末において、皇国(こうこく)思想から、世界史にもめずらしい無血革命といえる幕府の解体、『大政奉還』(たいせいほうかん)という徳川家が天皇家に政権返上をおこなったのである。

            ☆

 大政奉還とはなにか
 それは封建制度の士農工商の封建制を枠(わく)をはらい、身分にかかわらず、優秀な人材を政治の執政者(しせいしゃ)として選ぶ。こうした民主的な国家をつくることだった。つまり、立憲民主主義をめざしたのである。

 しかし、政権欲にかたまった薩長の下級藩士が、巧妙に鳥羽伏見の戦いを起こした。そして、「大政奉還」で目指した民主政権を転覆させてしまったのだ。ここに日本の不幸が起きた。

血で奪った政権は、かならずや対外戦争か内戦をおこす
 この格言通り、薩長の権力者による政権が太平洋戦争の終結までつづいた。日本・アジア人々たちがとてつもなく血に塗られた歴史となった。この歴史的な真実は否定できない。

           ☆  
 
 大政奉還の民主政権のまま150年推移できていたらならば、と悔(く)やまれてならない。2度と戦争を起こさせないためにも、幕末史の真実を知らねばならない。温故知新(おんこちしん)。そこから学ぶべきである。

 明治からの薩長政権にとって、幕末の広島藩・浅野家の平和思想にもとづく倒幕運動は目ざわりだった。
 なぜならば、広島藩が倒幕の主体だったとなれば、新政権にとって自分たちを都合よく、大きく見せるためには不都合だったからだ。そこで、浅野家の家史「芸藩志(げいはんし)」の封印からはじまった。
歴史は為政者の都合よくつくられる
 この典型的な事例である。

            ☆

 芸藩志が昭和53年に300部限定で出版されたのである。平成26年に穂高健一著「二十歳の炎」、その改訂版「広島藩の志士」、さらに「神機隊物語」として、幕末広島藩の活躍がよみがえった。

 広島藩・浅野家臣の若者が神機隊を起ち上げた。平和と戦争の狭間で、民のためにいのちを賭けた。大砲隊長の高間省三(浅野家の家臣)は、20歳にして浪江の戦いで死す。
 広島護国神社の筆頭祭神である。この若さにして、大神社の筆頭祭神。すごい人物が広島藩にいた。この事実を知り感動したのが現代の若者たちだ。

 平成のこの時代に、広島の若者が高間省三たちの生き方に感動し、「世に広めよう」と立ち上がった。燃えた。「幕末彼氏伝」の開催へとこぎ着けた。広島市が主催となった、文化庁の認定も取った。
「幕末彼氏伝」(広島)が、平成31年3月21日(祭)に実施された。

【穂高健一の公演】

幕末彼氏伝・穂高健一氏講演ここから入れます

【つづく】

広島藩の志士たち、伝説はここから始まる「幕末彼氏伝」=3月21日(祝)ー広島

 広島が燃えてきた。若者までも、幕末の広島藩に関心を持ちだした。

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「なんだ、山口(長州)の奴ら、これまで薩長倒幕だと良い顔してきたが、あれは違うんだって。倒幕には長州藩は表立って関わっていなんだって。
 考えれば、貧乏百姓が松下村塾で1、2年学んだ程度で、それもわずか数年で、巨大な徳川家を倒せる力なんて、あるわけがないよな。考えるほど、嘘っぽい話しだ。
 日本史をごまかしていたんだ」

 広島市内で、幕末史の話題性が急激に高まりを見せています。

                 *

 「二十歳の炎」(五刷)が改訂版として「広島藩の志士」(南々社)から発売されたのが昨(2018)年3月だった。ちょうど1年だ。

 毛利元就から原爆まで、広島には歴史がないと言われていた。江戸時代のこと、幕末のこと、およそ広島藩は無関係だと思い込んでいた。

「広島藩の志士」の帯『倒幕の主役は広島藩だった』、「150年封印された維新の真実が明らかになる」、『芸藩志』(げいはんし)に裏付けされた作品である。

 推薦者は日本ペンクラブ会長の吉岡忍さんだ。

                 *

 広島人が次つぎに読みはじめた。RCC(中国放送)ラジオでも、「幕末史が変わる」と言い、特番を2度も流してくれている。今後も、さらに番組を組むという。
「広島藩の志士は、もはや広島人の必読書」ともいう方がいる。

                 *

 こうした勢いを加速するように、若者たちが立ち上がった。学生が中心となった企画『幕末彼氏伝』が3月21日(祝)に広島JMSアステールプラザ一階、市民ギャラリーで開催される。開催10:00~18:00。なんと、主催は広島市、(公益)広島市文化財団、文化庁までも組み込んでいる。

 広島の燃える炎を感じる。
 
 広島藩の浅野藩主・家臣・農商の志士たちが、上下一体になり、巨大な徳川幕府に「大政奉還」をさせた。それはいったん徳川家が将軍家に政権を返す。そして、士農工商のなかから、有能な人材を衆議(しゅうぎ・会議)で政治をおこなおう。つまり、「立憲民主主義」をつくろうとしたのだ。

 当時は、だれも徳川家が政権を投げだすとは考えていない。広島藩は『倒幕』で藩論統一して、大勢がいのちを賭(と)して動いたのだ。一般言われる後藤象二郎の大政奉還よりも10ヵ月も早やかった。
 否、「芸藩志」には、後藤が広島藩の辻将曹から横奪(横取り)した、と記す。

「横取りしたのか、後藤が。それは広島藩に迷惑をかけた、後藤を殺す」土佐の中岡慎太郎日記にはそう記されている。「広島藩の志士」にはその場面も紹介されている。

「幕末彼氏伝」は、若者たちで盛りだくさんだ。

 ・「サブカル」幕末ステージ。殺陣、ダンスなどで、「高間省三」や「広島藩」をテーマにしたミニステージである。(13:30~)

 ・「幕末の広島藩とその志士たち」作家穂高健一(14:00~16:00)

 ・「キャラクターを作ってみた展」
   高間省三、辻将曹、浅野長勲などのキャラクター紹介

 ・「漫画にしてみた展」
   小説「二十歳の炎」から、名シーンを抜粋し、広島の学生等による迫力ある漫画を紹介

 ・「錦絵にしてみた展」
   アーティスト村上渚が神機隊の活躍シーンを錦絵で描きます。

 ・映像クリエイターSIMIZU R&D OFFICEによる『広島藩の志士』の一コマ

 ・写真入りパネル。現存する高間省三、辻将曹らの持ち物、手紙なども、

 ・広島の偉人 加藤友三郎元内閣総理大臣

 ・広島国際アニメーションフェスティバル紹介(パネルなどで)

            ☆
    
 世のなかの変革は若者がリードします。薩長倒幕が死語になり、「大政奉還」が世界史でもめずらしい、無血革命だった、と幕末史が変わっていくでしょう。

 ちなみに、その立憲民主主義の「大政奉還」をぶち壊した鳥羽伏見の戦いは、「薩摩幕府」をつくる西郷隆盛の陰謀だった、とも認知されるでしょう。

 歴史は為政者が都合よくつくります。しかし、国民はバカではありません。偽装・偽りはどこかで綻(ほころ)びます。
 事実は強い。歴史的事実は真実へと復元力があるものです。

「元気に百歳」クラブってどんなところ?

「元気に百歳」当クラブ は2000年に設立し、2014年に15周年を迎えました。

高齢化時代の中で社会と家族に負担をかけないで元気に生きられるよう、社会・友人・家族と良好なつながりを持ち、心身の健康を保つことをクラブの目標としています。

「元気であることが社会に対する最高のボランティア」「自立(自律)と支え合い」が合言葉です。

 私達のような考え方の輪が広がり、少しでも社会貢献できることを願って活動を続けています。

 当クラブは首都圏とその周辺及び関西が活動の中心ですが、中部、九州や北海道に在住の会員も含めて現在、会員数は約200人です。

 クラブの目標に沿って地域毎の活動を行っていますが、首都圏とその周辺地区についていえば、年2回の例会と、「パソコン教室」、「俳句の会」、「エッセイ教室」、「日だまり」、「ゴルフ会」、「健康体操と歌の会」、「スケッチ会」の7種のサロンを中心に活動しています。

 (詳細は「元気に百歳」当クラブのホームページをご覧ください)

90%以上の会員の方々が何らかのサロンに参加して「学び」と「遊び」を楽しみ、その中で「仲間意識」を醸成しているのが本クラブの特徴の一つです。

 心を開いた仲間としてのつながりを深めて交流の輪を広げましょう。そして、社会に私達の活動を発信していきましょう。



「元気に百歳」クラブってどんなところ?

 平均年齢60代後半!

 まだまだ元気一杯なシニア達が"元気が最高のボランティア"をモットーに、特技や趣味を生かして活動の場を広げています。

  本クラブは、そんな皆様方が精力的に活動できる場を作ると共に、様々なイベントを通して個人交流の場(グループサークル)を提供しています。

 『活躍の場がほしい』『気の合う友人を増やしたい』、余った時間は是非「元気に百歳」クラブでご活躍下さい。

 本ホームページでは、クラブの活動の内容や予定を随時公表していきます。会員の皆様も、イベントスケジュールの確認などにお役立て下さい。また、活動報告なども公開していきますので、お楽しみ下さい。


 (詳細は「元気に百歳」当クラブのホームページをご覧ください)


【補足説明】

 穂高健一は同クラブで「エッセイ教室」の指導をしています。すでに120回を超えています。

 作品は、任意に、「穂高健一ワールド」の『元気100教室・エッセイ&オピニオン』に掲載しています。
 掲載作品は教室に提出された原稿どおりで、講師の手を加えていません。

外国人と、どのように向かい合って生活するか=安達太良山で考える

 平均年齢30代の若者たちと福島・安達太良山に登った。若いっていいな。(私から見て)。将来は若者たちの財産だ。山道を登りながら、この国の先々を考えてみた。

 最近は地方のみならず、東京など首都圏にも、ずいぶん外国人の姿をみる。国際化とはなにか。日本人が外国に出かけていくことでなく、大勢の外国人と一緒に暮らすことである。日本が多国籍国家になる。これが国際化だと定義できる。

 単一民族で育ってきた日本人には、多国籍には馴染めないひとも多いだろう。しかし、少子化で、減少していく人口を補ってくれるのは、外国人である。廃れていく町村、錆色のシャッター街が息を吹き返すのも、もはや外国人の力をおいて他ならない。


 たくさん出産してよ、若者よ、結婚してよ、と叫んで、行政府が金をばらまいても、潮流はかわらない。

 外国人の力を借りて、地域社会が活性化して豊かになれば、その富は公平な分配をしなければ、ならない。併せて、社会への責任と義務も、日本人と外国人と分担をする。
 公平性をもっと推し進めると、外国人にも政治的な発言の機会を与える必要がある。選挙権(公民権)まで与えないと、政治、経済、文化の面で公平ではなくなる。

 私たちがいつまでも単一民族主義の政治にこだわり、無視していると、外国人による公民権運動が起きてくるだろう。

 外国人からみれば、日本で家屋や土地を購入し、地域社会になじんでいるし、利益を与えているのに、なぜ公民権がないのだ、と不満と不平が昂じてくる。こうした不自然な姿から、軋轢(あつれき)が生じてしまう。
 欧米の歴史や現代をみていると、それがよくわかる。


 
 自然界で、最近、よく感じる現象がある。本州で登山をすれば、2000メートル級の山々から高山植物が消えた。熊笹が多い。2500メートルでも、春・夏の彩り豊かな植物は目にする機会がほとんどない。
 楽しめるのは広葉樹が色づく紅葉くらいになってしまった。

 それが生態系にも変化をきたし、シカやイノシシが急激に増えた。この動物たちにとっては、温暖化は住みやすい環境かもしれない。

 海洋ではかつて沖縄、奄美列島にしか見られなかったサンゴ礁が、本州の南端から北上してきている。温暖化で海水温が上がったからだという。海藻や小魚が棲みずらいので、それを餌にする近海魚が激減している。
 数十年前まで、日本人の主食は新潟コシヒカリ、仙台ササニシキなどがもてはやされていた。いまは、北海道米が美味しいという。
 私たちは小学校のころ、北海道は米がとれない地域だと教わってきた。品種改良があったにせよ、米作地帯が間違いなく北上している。

 温暖化で、単一民族の日本人がこの日本列島からしだいに少なくなっていく。かたや、東南アジアの亜熱帯のひとたちが、日本列島に上昇してきた。

 少子化に対して、住居、保育所、給与所得などといろいろな理由はあるけれど、その根底には、温暖化の影響だろう、と類推できる。これは感覚的で非科学的だが、自然界はすべて論理的にとらえられない面があるのも事実だ。

 温暖化による動植物の変化は、人間も動物だという単純な思考からすれば、決して免(まぬが)れない。丸い地球のうえで、南から民族移動がおこなわれている。年間平均温度で4度低い時が氷河期だった。動植物が地球規模で入れ替わった。
 いまや、温暖化から地球上で民族移動が進んでいるのだろう。

              ☆

 わが国で過疎化が問題視されているが、一次産業、二次産業には若者の比率が極度に少ない。若者を見たければ、行政の職場にいけば、たとえば市役所、町役場、村役場のオフィスにいけば、男女を問わず若者の顔がずらり見られる。
 税収入から給与をもらえるひとたちの顔だ。

 しかし、そこから一歩、戸外に出ると、高齢の人たちばかり。これが現実の日本の姿である。

 日本列島で、若い活気のある外国人と共有して住むならば、より質の高いひとたちに来てもらいたい。祖国で役立たない、職がないから、とりあえず日本で日雇い、日銭稼ぎで日本に流れてきた外国人は望まない。

 日本列島で人口確保で、質の低下にならない。そのためには何をするべきか。

 ここらは真剣に考えておかないと、山から高山植物がなくなるように、海岸に魚が棲まなくなるように、あっというまに、5年、10年単位で、日本は美しさを無くしてしまうだろう。

 質の良い外国人の確保となると、かれらに選挙権と永住権を与えなければ、望んで日本には来てくれないだろう。白、黄、黒の行政長がいる。それ自体に違和感を覚えない。そんな法整備が必要な時代になってきたようだ。
 
 福島県・安達太良山から二本松に下山した。こんな提言から、賛否両論で、老若男女を問わず、語り合ってもらいたいものだ。

内閣が決して国家そのものではない。私たち一人ひとりの国家である

『自国に不利な歴史を教えようとしないと、結果的に真実が見えてこない』

 この言葉は、私が2019年の年初に拾ったことばである。私は常々、「なるほどな」と思った格言、用語、あるいは寸語などを一冊の分厚い備忘録に極力書きとめている。

 ちょうど100年前について、西洋史と日本史と重ね合わせているときに、『自国に不利な歴史を教えようとしない』ということばに出会った、私はとっさに「広島に原爆がなぜ落ちたか、知っていますか」という質問を広島人にむけたけれど、一人として答えられなかった。
 その光景が思い浮かんだのである。


「広島は平和都市だ」
 行政も、市民も、多くが叫んでいる。そう信じている。片や、原爆投下までの日本史は知らない。おおかた広島市内で取材しても、9割以上が答えられないだろう。
『自国に不利な歴史を教えようとしない』
 広島人は戦争アレルギーだと称しているが、その実、自国の歴史に責任を持たない、負を語る勇気がない結果だと思っている。

 
 江戸時代の広島の為政者が、毛利家だと思っているひともいる。
「47都道府県で、広島が最も歴史オンチだ」
 私はなにかにつけて堂々と言っている。広島県出身だから、私が言わなければ、誰が言うのですか。他府県の人は、遠慮して言わないでしょう、と。なぜ学校教育で、広島の近現代史を教えないのだ。そんないらだちもある。

                     ☆

 言い放しでは無責任だ。私はここ数年、「広島人はもっと歴史を学ぼうよ。勉強しようよ」と広島に出向いている。草の根運動である。ときには手弁当でも、無償でも、懐具合など無視して出向いている。


 多少は地元史を知っている郷土史家もいる。「日清戦争で、広島は大本営になった。明治天皇が広島に来られた。そのとき臨時国会も広島で開かれた」。
 その先はどうなったの、と聞いても、まずは答えられない。

 当時の清国は満州族が施政していた。アヘン戦争でイギリスにさんざん痛めつけられた。その次に日清戦争で大敗を喫する。義和団事件で疲弊してしまった。

 日本留学経験がある孫文(そんぶん・漢民族)の小さな革命集団に、いとも簡単に倒されてしまった。辛亥革命である。
 その孫文には力なく、独裁色のある袁世凱(えんせいがい)に大総統の座を譲った。そこにつけ入ったのが、日本国政府と財閥だった。


 日本国政府は、袁世凱に対して「対華二十一か条要求」で、満州の領土と利権をよこせと期限付きで迫ったのだ。これが大きな歴史の節目になった。


                 ☆


 第一次世界大戦が1914年7月28日から勃発し、1918年11月11日で休戦しながらも、ドイツが1919年6月28日に「ヴェルサイユ条約」に署名するまで続いた。いまから、ちょうど100年前である。

 この「ヴェルサイユ条約」が、第二次世界大戦の入り口となった。敗戦国への過酷な要求が、ナチズムとファシズムが台頭する要因をつくってしまったのだ。


 イギリス・フランスが大戦中に、中近東の諸国に独立と権益を認める密約があった。これが現在の中近東問題である。100年経っても、問題が解決されない、という大きな課題を背負ったのである。
 
  この大戦のさなかに、日本がドイツに宣戦布告し、ドイツから山東省権益を奪った。そして、日本が中国に「対華21ヶ条要求」を期限付きで突き付けた。
「ヴェルサイユ条約」で、中国代表団が、日本に山東省を返還してくれ、とつよく要求した。しかし、同条約では認められなかったのだ。


 いまから、ちょうど100年前である。ここから日本政府と軍部は、満州がらみで発砲、爆破事件を起こしては中国人がやったと言い、暴走していくのだ。
 やがて、日本の暴走が世界から批判され、(国際連盟脱退・日独伊三国同盟から)見放されて、より孤独になる。1、2年で終結させると豪語しながら、その裏付けがなかった。最悪な選択肢で真珠湾攻撃に突入し、悲惨な沖縄戦、東京大空襲、広島・長崎原爆投下になっていく。


 その根底には、西洋と並ぶ巨大な軍事大国になったという優越感と驕(おご)りが、政府にも、国民にも、メディアにもあったのだ。武器を持たせれば、使いたくなる。これも歴史の真実のひとつだ。
 
 いまから100年前に、この大惨事の導火線に火がついたのだ。

 わずか1世紀前か、もう遠い昔か。
 第一次世界大戦を利用して、大隈重信内閣が出した「対華二十一か条要求」から、日本の歴史が狂った。政府に巨大な軍事力を持たせた結果なのだと、歴史の真実を知らなければならない。
 
                    ☆

 大隈重信は早稲田大学の創設者、広島は平和都市だ、と舌触りの良いことばだけでは、歴史の真実が見えてこない。 
 自分たちに不利なことを知ってこそ、歴史の真実が見えてくる。

 
 大日本帝国憲法には内閣の規定がなかった。それが大きな欠陥、瑕疵(かし)だった。軍人が台頭し、軍人による軍事支配の国家になった。

 その反動で、戦後の日本国憲法は、最大の権限をもちすぎた「内閣総理大臣主義」をつくってしまった。数百人の代議士さえ押さえてしまえば、なんでもできる。
   

 今年は日本国憲法をつつくらしい。公約だという。誰と公約したのか。かなり内閣の独りよがりだ。ならば、私たちは100年前から、歴史を勉強する必要がある。2度と戦争をしない国家をつくるためにも。これ以上の巨大な軍事大国にならないためにも。


 憲法改正の是非を問う国民投票に迫ってきたときは、もう少しさかのぼって150年前の薩長閥による明治維新から、じっくり歴史を学んでいく必要がある。

 明治の人は、自由民権運動が、まさか、こんな憲法になると思わなかっただろう。憲法草案から発布まで、言わずと知れた伊藤博文内閣によって、大日本帝国憲法がスタートした。


 内閣が決して国家そのものではない。私たち一人ひとりの国家である、と認識するべきだ。その時が来たのである。それが国民投票だ。

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