大学教授を早々と辞めた、学友との再会
更新日:2006年6月20日
大学で、ゼミ長をしていた久能くんと再会した。かれは半官半民の企業から、北陸の某県立大学の経済学教授に赴任していた。短期で見切りをつけ、東京に帰ってきた。話しを聞いて納得できた。
大学で、ゼミ長をしていた久能くんと再会した。かれは半官半民の企業から、北陸の某県立大学の経済学教授に赴任していた。短期で見切りをつけ、東京に帰ってきた。話しを聞いて納得できた。
新聞社などマスコミで記事を書いていた人、雑誌や週刊誌に記事を載せていたライター。かれらがジャーナリストとして、世のなかで活躍している。私はちがう。
日本ペンクラブ・第50回総会は、米原万理さんの死去により、井上ひさし会長は総会に欠席。議長代行は高田宏さんだった。私が書いたインターネット・ニュースの掲載記事をお送りしたところ、丁寧な書簡をもらった。
このコーナーで、東京で最も低い山・愛宕山に登頂できなかったと書いた。
蒲池潤さんからは再登頂用にと、『緯度35度39分53.21秒 経度139度44分55.36秒』の詳細な地図が贈られてきた。「頑張って登頂し記事にしてください」と書き添えられていた。
上村信太郎さんからは、自ら東京新聞社(山の雑学ノート)に書かれた『日本一低い山』の記事(引用承諾ずみ)を戴いた。