徳川幕府はペリー来航の50年前からアメリカと貿易していた なぜ学校教育で教えない?
大学時代のゼミナールの学友が、月に一度集まる。時には都合があわなくて2ヶ月に一度になることもある。目的の一つにはめずらしい居酒屋探しだ。
他方で、愉快に酒を飲んで近況を語りあったり、思い出話につながる写真や資料を持ち寄って肴にしたり、先祖の遺業を掘り起こしたりする。すべて無礼講だし、学友だから好き勝手なことが言える。それらを『穂高健一ワールド・小説家』で、ノンフィクションとして掲載している。
今回は日本歴史の真相に迫る話題になった。吉田松陰の尊皇攘夷の思想に影響された、明治政府の要人が作り上げた日本史をいまなお累々と教えている。せめて日本人には、日本の幕末史の真実くらいは教えてもいいんじゃないか。
フランス革命の後、オランダはフランスとイギリスと戦争状態に陥った。その後もナポレオンの台頭がある。オランダはとても大西洋から日本まで航海できない。そこでアメリカに権利を譲渡した。アメリカ船舶がオランダの国旗を掲げて長崎出島にやってきた。
現在、アメリカの博物館には江戸時代の浮世絵などが多くある。それは江戸時代の日米貿易で、購入してきたものなのだ。
これらの話が学友会で盛り上がったので、『徳川幕府はペリー来航の50年前からアメリカと貿易していた なぜ学校教育で教えない?』というタイトルにした。
今回の学友会で、日露和親条約で、国後島、択捉島が日本領土となった経緯も話題となった。
19世紀のロシア帝国は巨大国家だった。択捉島・国後島はロシア系アイヌ人が支配する、ロシア領土だと強く主張していた。日本の主張を頑として受け入れなかった。それは現在とまったく同様だ。
しかし、日露和親条約の締結の土壇場で、ロシアは折れて日本領土とした。それには大きな理由があった。
日本人は、それも学校の歴史教育で教わらなかった。明治政府は、徳川幕府の外交成果を大きく見せたくなかったから、歴史教科書に載せていない。実に作為的なものだと思われる。
日露和親条約の交渉をテーマに『501人の遭難』という歴史小説で書いたことがある。400字詰め原稿用紙で100枚の作品。今回はこれも『小説家』のコーナーに掲載した。