ジャーナリスト

東京のサラリーマン・OLたちの昼休みの群像=神田(1)

東京のお昼どきの顔。「昼の群像シリーズ」ものとして紹介していきたいと、カメラをもって、まず神田駅で下車してみた。

西口に行くか、南口に行くか。駅のプラットホームから街並みを比べてみた。西口は皇居側だが、みるから雑然とした町だ。そちらは夜ともなれば、庶民が集る飲み屋街だと知る。
 昼間の神田の顔。そこに興味をもち、西口にむかうことに決めた。


 江戸時代から、神田は庶民の町だった。昭和には青果市場などがあった。
その面影の一端が感じられる、庶民的な西口商店街だった。


      

   商店街には、数多くのラーメン屋があった。昼食どきだから、店内は満席。
    店の外はサラリーマンや職人たちが長い行列をつくる。
    列の長さは味を判断する、バロメーターかもしれない。

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北欧クルーズ「バルト海」の写真=久能康生さん・寄稿・写真(1)

 久能さんは一年間に数回、海外旅行をしています。風景写真を得意としています。その都度、「穂高健一ワールド」に寄稿してもらっています。
 今回は、メインタイトル「バルト海」の写真を提供してもらいました。連載で、紹介します。

写真の上で、左クリックすれば、拡大されます


 コペンハーゲンの港街ニューハウンの8pm。待望の夏を市民と観光客が入り乱れて楽しむ。(右)

 コペンハーゲンと言えばここ。でも、ご覧のとおりの大混雑。
 ならばボートで海上から後姿を。



 チボリ公園は24:30まで営業。
 嬉々とした家族連れや若者グループに市民の素顔が見られる。
            

 奮発して泊まった市庁舎広場前のパレスホテル。しかしあっけないほど簡素なサービスに驚く。

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【書評】元気が最高のボランティア「元気に百歳」10周年記念号

「元気に百歳」クラブ10号周年記念号が10月10日に発刊される。(代表 和田譲次)。毎年同月に発行し、今回が10号である。
 同クラブは設立が2000年1月1日で、約30人からスタートした。現在は関東、中部、関西、九州の4ブロックで、会員は約300人である。10号の筆者はそのうち77人。おどろくべき比率の執筆者数である。

 50歳代から102歳の会員が、400字詰め原稿用紙で5~10枚ていど執筆している。書く意欲、気力、書き上げる。それらは逞しいものだ。


 巻頭言は日野原重明さんで、「今は百歳を越えないと長寿とはいえない」という。50年前の百歳以上は153人だった。08年は3万6000人余り。多くの人が気楽に百歳が超えられる現実を踏まえ、同書が社会の「星」となり、「長寿者の新しい生き方のガイド」となるだろうと述べている。


 特別寄稿は、ペギー葉山さんで、『歌の力を信じて』というタイトル。彼女の音楽の自分史である。「今春、とてもうれしいことがありました。私のヒットソング『学生時代』の歌碑が、懐かしい青山学院のキャンパスに建立されたのです」と書き出す。歌の中のチャペルは主人と結婚式を挙げたところ、と明かす。 
 1959年の大ヒット『南国土佐をあとにして』にもふれる。「初めは、ジャズシンガーだった私に、『南国土佐……』は抵抗がありました。それが大ヒットするなんて、予想外でした」(原文通り)。
 故阿久悠さんの遺作「神様がくれた愛のみち」は、彼女の歌手生活55年のために書いてくれたものだ、と明かす。名古屋公演の幕が開く寸前に、彼の死が知らされたという。
 歌手人生が力強いタッチで書かれた、読み応えのある内容だ。

(高知県・桂浜)

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写真と小説の類似点を見つけた

 PJニュースの記者仲間で、コマーシャル写真家の池野徹さんに「写真の上達法」を聞いたことがある。「良い写真をたくさん見ることだよ。そこに尽きる」という一言だった。
 良い写真となると、写真展や個展だ。そこまで足を運ぶ余裕はなく、2年ほど経った。この間に、せめて写真雑誌、駅ポスター、写真コンテストの受賞作品などは意識してみるようにしていた。


 今年7月の東京都写真美術館において、「世界報道写真展」が開催された。朝日新聞文化事業部の協力を得て、3年ぶりの取材をおこなった。この折、同館・広報とのパイプができた。案内をいただける、プレスギャラリー(報道関係者の公開)には積極的に参加している。

 新聞、雑誌、TV関係者をまえにして、同館の学芸員から専門的な説明がある。聞きながら著名な写真家を観る。学ぶ点が多い。

 稲垣功一の写真「心の眼」北島敬三「コザ/東京/ニューヨーク/東欧/ソ連」では街のスナップショットが中心だった。
 いま開催中の『旅』3シリーズ「異邦へ 日本の写真家たちが見つめた異国世界」は、著名な木村伊兵衛さんたちの海外のスナップが中心になっている。風景写真や記録に終らず、そこに生きる人物を上手に捉えている。

 小説づくりも、写真撮影も、人物を描くことでは共通しているな、という思いを強く持った。一つの作品(単一写真)のなかで、いかにテーマの絞込み、ストーリーを作るか。これが写真撮影のコツだ、と考えた。

 このところ写真への興味が強く、ふだんの私は作家的な視線よりも、カメラ的な目で、街や人物を見ていることが多い。と同時に、写真活動の幅を広げたい、という意欲から、今年9月に「社団法人日本写真協会」に入会した。同会員から、より多く学びたいと思っている。


写真:東京写真美術館の「旅」シリーズ、第2部「異郷へ 写真家たちのセンチメンタルジャーニー」の展示で

P.E.N.は人材の宝庫。酒も強し(2)

 日本ペンクラブ9月度例会が15日、東京会館(千代田区)で開催された。
 恒例のミニ講演は落合恵子さん(作家、理事)だった。題名は『子供の本の現場から~33年間の奇跡、あるいは軌跡』である。


 彼女は幼いころ母親(シングルマザー)の手で育てられた。貧しかった。書店で立ち読みすると、店主にハタキでパタパタやられた。「大人になったら、本屋をやりたい」という夢を持つ。それが1976年に実現した。彼女が経営する児童書籍の専門店「クレヨンハウス」の運用について、いくつかの事例をあげて熱っぽく語った。
「不可能といわれたら、やる気が出る」
 それが落合さんのエネルギーの源だと語っていた。

       

 阿刀田高会長は、「国際ペン・東京大会」について、会員が来年9月まで発行する書籍すべてに、『国際ペン・東京大会2010』のロゴと文字を入れてもらう、と発表した。それら多数の本の帯が書店に並べば、国際大会がより多くの人に認識されるだろう、と期待を寄せていた。

 パーティーに移った。私は顔見知りの会員と次つぎと小談し、親交を深めた。二次会は「ヨタロウ会」のメンバーが有楽町の居酒屋に集った。
 大原雄さん(元NHK・ニュースデスク)には、現役の社会部・記者だった頃の、新聞記者の取材との違いを聞いてみた。記者クラブを一つにして、たがいに競って特ダネをとる。それは新聞記者もTV記者も変わらない。新聞は文字で表現する。TVは映像が必要になる。どうしても映像が手に入らないときは現場で、記者がマイクを持って語るのだという。資料的な映像は別のセクションで編集するという。

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P.E.N.は人材の宝庫。酒も強し(1)

 国際ペン・東京大会が来年9月23日~30日に開催される。会場は京王プラザホテル(東京・新宿)と早稲田大学である。諸外国から、ノーベル文学賞受賞作家やそれに準じる方が大勢来日する、と見込まれている。

 日本ペンクラブ(P.E.N.)では、その準備委員会が毎月一回、阿刀田高会長の下で行われている。9月14日は同クラブ大会議室で開かれた。東京大会の開催まで、あと一年に迫った。それだけに執行部、理事、各委員長たちの討議は活発化し、議案が次々に決まっていく。

 私は広報委員会の委員として、P.E.N.会報、同クラブ・メルマガの取材で同席している。
 最も感心させられたのは、国際大会でありながら、電通や博報堂など大手広告代理店をつかわず、(9月現在)、自前の会員で立案、展開していることだ。
 日本ペンクラブは営利団体でなく、会員の会費で成り立つ。誰もがボランティアだ。それでいて国際会議が自前でできる。それだけ人材が幅広く豊富だ。会員から、招聘すべき外国人作家の名前などが挙がってくる。
 早稲田大学が文学部創立100周年で、その一環で積極的に支援してくれている。それも強い味方となっている。

 準備委員会が終わると、有志が近くの居酒屋に足を運ぶ。顔ぶれは折々に違うが、いつも十数人くらいだ。
 私は轡田隆史(くつわだ たかふみ)さんと隣り合った。名刺交換から、ともに日本山岳会の会員と知る。轡田さんは、「きょう山岳会・会報用に、書評を書いてゲラを出してきたばかりですよ」と話す。映画の剱岳「点の記」など、新田次郎の原作など話が弾んだ。

 轡田さんは朝日新聞・社会部出身で、「素粒子」を6年間ほど執筆していた。
「ナベツネさんが、朝日の素粒子だけはゼッタイ読まない、と言っていましたね」と私が話題をさし向けた。
「ちょうど、あのころ私が書いていました」
 ナベツネさんの批判は勲章だと思っている、とつけ加えていた。

 私の名刺から、「ホダカ、ケンイチさん、ですよね」と轡田さんが念を押す。それというのも、轡田さんが最近、テレビ朝日(レギュラーのコメンテーター)に出演した日、穂高岳でヘリの事故が起きた。同局スタッフから、「ホダカ、ほたか」どちらですか、と聞かれたという。ホダカは穂高連峰。ホタカは武尊山(2158、群馬)である。
 そこは二人して日本山岳会・会員だけに、読み方の微妙な違いは判っていた。

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PJニュースは奮闘する。写真展の報道の、写真枚数に限界も

 PJニュースとは、市民記者やフリーライターが、ウエブで世に記事を提供するものである。PJとは(Public Journalist)の略である。
2005年2月に発足し、4年半の歳月が立つ。
発足の経緯にふれると、ライブドア(当時・堀江貴文社長)はネットニュース時代がくると予見し、市民によるニュースを提唱した。と同時に、全国から市民記者として多彩な人材が集められた。


 新聞社、TVの報道記者、雑誌社のライターなどプロジャーナリストから、大学院生(冶金工学)、大学生、銀行員、ITコンサルタント、小説家まで。一人優秀な高校生もいる。

 小田光康編集長の下で、ジャーナリスト論を学び、試験を受けて合格した人たちによって、記事が世に送られはじめた。商業主義の新聞、TVでは報じられない、斬新さが受けた。他方で、各メディアがネタ探しに利用してきた。

 その後、ライブドア事件が起きた。PJニュースの牽引車のひとりだった、堀江さんが退陣した。『ホリエモン』人気で集っていた市民記者の数多くが去った。あるいは書かなくなった。相対的にアクセス数の減となった。

 堀江貴文さんがいないライブドアで、小田光康編集長は奮闘してきた。むろん、ライブドアとしてもいまなお媒体提供、技術面、資金面の支援を続けている。ただ、アクセス数の減は市民記者への報酬の減となった。ここでも、数多くの人がかかなくなった。

 他方で、ライブドアの幹部は、PJニュースは辛らつな意見や過激な批判報道があるので、「いずれ誹謗中傷として、裁判が起きるのではないか」、という危惧を持ち続けていた。そんな背景も一つとして、今年の春には㈱PJニュース(小田光康社長)、として独立法人となった。記事の全責任を背負う。むろん、報道媒体としてライブドアのサポートに変動はない。

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国際ペン・東京大会には、環境の記録映画が上映予定

 日本ペンクラブは、2010年9月に国際ペン大会・東京大会を開催する。東京での開催は、第1回が川端康成会長(1957年)で、テーマ「東西文学の相互影響」)だった。第2回は井上靖会長(1984年)で、「核状況下における文学-なぜわれわれは書くのか」をテーマにした。

 今回は25年振りで、東京大会のテーマは【環境と文学】である。

 日本ペンクラブ環境委員会(中村敦夫委員長)の活動は活発で、月1回は会員向けのミニイベントを行っている。
 今回は8月3日、日本ペンクラブ(東京・中央区)3階会議室で、映画監督の岩崎雅典さんを招き、映画『平成 熊あらし ~異常出没を追う』を上映した。定員の30人が満席だった。

 同映画の狙いは、「2006年にはツキノワグマが4000頭以上も捕殺された。なぜ、熊は人里に出没したのか。人は熊とどう付き合えばいいのか」という問題提議である。マタギ(猟師)の文化、熊の生態、保護活動など、三者の立場から描いている。

 岩崎監督は「人と熊がどう共存できるか、と考えてもらうために制作した」と述べた。日本列島に熊はどのくらい生存しているのか。頭数調査する学者はほとんどいない。一説には数万頭だという。それは定かではない。九州の熊はすでに絶滅し、四国も絶える寸前、という事実は確かだという。


 質疑応答に入った。質問に応えて、「06~09年3月にかけて作成しました。文部科学省選定(少年、青年・成人向き)の受けました」と岩崎監督は語る。

 森が拡大造林で、熊の住む場所がなくなった。ダムができると、熊の棲む場所が分断されて、人里に出てくるようになる。
 映画のなかで、「かつてマタギと熊との緊張関係があって、人間との境界線ができていた」と、マタギが語る。

「この100年間に人間は4倍増えた。熊よりも、これが問題かもしれない」という質問が出た。岩崎監督は、100年前の熊の生存データはないという。

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フランス国営放送が流した、8月15日とは?

 私は目黒カルチャースクールで、「上手なブログの書き方」を教えている。ブログは読みやすく、ビジュアルに、と指導している。文字ばかりで日記風に書いたならば、誰も連続して読んでくれない、と。

 写真を貼り付けなさい。文章も磨きなさい。取材を入れなさい。この3項目が指導の最大ポイント。そこで毎回、文章教室のように課題を与え、短文を提出してもらい、添削している。

 受講生の一人・久保田雅子さんは絵画に精通した方だ。同教室には、写真を学びたい、と入ってきた。「文章は苦手です」と言いながらも、文章の課題(宿題)に対応している。作中には芸術的な鋭い感性が見て取れる。

 彼女は2年前の8月15日に、フランスにいた。同国の国営放送が同日に、アメリカ制作の「日本の終戦」(タイトルは推量)を放映していた。彼女は思わずデジカメで撮影し、そこに深い関心を寄せたのだ。


 どの国の人もそうだろうが、異国で母国の報道や雑誌にふれると、望郷の念に駆り立てられる。彼女の場合はそれとはやや違う。

「フランスの第2次大戦終戦記念日は5月8日。8月15日はカトリックの祝日で、聖母の被昇天の祭日である。フランス放送局が、あえてアメリカ制作の「日本の終戦」を流したのか、と疑問を持ったのだ。

 作品は疑問のままで終っている。私は「最近は日本国内で、こうした報道が少なくなってきたな。日本国民が背負った、戦争の痛みは避けて通ってはならない。メディアは積極的に、勇気をもって語り継がないといけない」という思いを強く持った。

 久保田さんには転載を依頼し、【ジャーナリスト】で、全文を掲載させていただいた。


(写真提供:久保田雅子さん、フランス国営放送のTVより)

報道写真展の取材について

「世界報道写真展2009」が、東京都写真美術館(東京・目黒区の恵比寿ガーデンプレイス)の地下1階展示室で開催されている。

 3年前の同展2006は、PJニュースで紹介したことがある。タイトルはhttp://news.livedoor.com/article/detail/2127972/

この報道写真があなたに何を訴えているか?3回連載だった。

 その写真展で、強く印象に残っているものがある。イラク戦争で死亡した米兵が家族のもとに帰るまで、それを追った組み写真だった。その時の記事を抜粋してみると、
『旅客機の機体から柩が下ろされているが、乗客はまったく何も知らされていない日常の顔だ。このさき兵士の遺体が家族のもとに着く。妊婦の妻が臨月のような、目立った腹部を柩に当てている写真がある。
「戦争は、この家族になにを与えたのだろうか」。生まれてくる子どもの将来を考えると、あまりにも哀れだ』と私は記している。

 この写真が私の記憶から消えることはなかった。同一の取材ネタは極力避けるようにしているが、同展2009を観てみたい、強い衝動に駆り立てられた。

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