ジャーナリスト

被災地の中学生が、カキ養殖体験=温湯駆除法(上)

 大津波から1年半経った。私は被災地のカキ養殖業の再起への道を取材して、ほぼ毎月のように三陸地方へ足を運んでいる。

 とくに陸前高田市、気仙沼大島の漁師からは、貴重な取材協力を得ている。取材の折りには、カキ養殖の漁船にも何度か乗せてもらっている。中学生が夏休みに入る直前だった。
「8月24日に、米崎中学の2年生が温湯駆除法(おんとうくじょほう)」のカキ養殖体験を行います。如何ですか」
大和田晴男さんから連絡を頂いた。

 第4週は毎月、読売カルチャーとか、目黒学園カルチャーの「小説講座」、「フォトエッセイ」の講座がある。そのうえ、こんかいは「かつしか区民大学」の講師もあった。
 変更するとなると、教室の確保とか、受講生の打診とか、かなり手間がかかる。余ほどのことでないとこれまでは変更しなかった。

 温湯駆除法は現地では何度も聞いてきた。カキ養殖の品質を決める重要な技法である。これまではただ聞くだけで、小説の上でうまく表現できるのかな、と思ってきた。
 この機会を逃すと、来年の夏になってしまう。小説といえども、温湯駆除は想像で描きにくい。やはり、行くべきだととっさに判断した。

「良い機会です、小説を書くうえで、温湯駆除は理解不足でしたから、実際に自分の目で見てみたかったんです。当日はお伺いできるようにします」
 そう約束した。あとのスケジュール調整は大変だった。講座の主催者や講生に頭を下げ、翌週にするなど後ろ倒しにしてもらった。
 結果として、とても良い取材ができた。

 同月24日朝9時、陸前高田市・米崎海岸に出向いた。

 校長、教師の引率で男女生徒たち20人余りがやってきた。海岸に整列した生徒を前にし、大和田さんが温湯駆除の概略説明と、乗船の注意事項を述べる。
 岩手朝日テレビなど地元TV局や、新聞記者たちも大勢いるので、生徒たちは乗船前からすでにマイクを向けられて緊張顔だった。

 生徒たちは漁師の手を借りて、3隻のカキ漁船に乗り込んだ。約2キロ沖のイカダに向かう。

 大和田さんの話によると、大津波は陸前高田市の市街地を壊滅し、漁師からは漁具も、漁船も、イカダも全部奪った。全部がぜんぶ悪いことではない、と前置きしてから、
「防波堤が崩れたから、波打際が多くなった。波が押し寄せれば、海中に酸素が混ざります。海底のヘドロが陸に上がったから、深さも出てきた。海水(海流)がよく回るし、植物性プランクトンが多く、海の状態はカキにとってはむしろ良くなったんです」
 と出航したばかりの波止場とか、堤防の壊れた海岸とかをさす。

 大津波に襲われても、海洋に対して客観視できる。カキの立場で語れる。さすがに、海の男・漁師だな、と感心させられた。心にカキを愛しているのだ。

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【脱原発を考えるペンクラブの集い】part2=日本ペンクラブ 

 日本ペンクラブが主催する、【脱原発を考えるペンクラブの集い】part2が、8月30日に開催されます。会場は専修大学神田キャンパスです。
 今回のテーマは「福島・チェルノブイリ・そして未来は…」です。

 どなたでも参加でき、浅田次郎会長をはじめとする日本ペンクラブの作家による、 福島・チェルノブイリの現状報告です。
 今後、わたしたちに何ができるかを、集会参加者全員で考えていきたいと思います。


【詳細】

 開催日時;2012年8月30日 18時30分開演、 21時終演予定
 入場料:無料(事前申込みは必要ありません)

 主催;日本ペンクラブ・専修大学人文・ジャーナリズム学科 

会場;専修大学(1号館-303教室) 定員500名
  〒101-8425 東京都千代田区神田神保町3-8
    (地下鉄神保町駅A2出口より3分)

内容

3部構成で映像を交えての報告を展開。
総合司会;高橋千劔破 / 2部コーディネーター 山田健太

1部基調報告; 浅田次郎、吉岡忍、野上暁、中村敦夫、神保哲生

2部視察団コメント・参加者との対話; 大原雄、住友達也、宮崎信也、森絵都チェルノブイリ視察団メンバー

3部未来への提言; 広河隆一

 お問い合わせ先
  info@japanpen.or.jp

 社団法人 日本ペンクラブ事務局
 〒103-0026 東京都中央区日本橋兜町20-3
 電話 03-5614-5391

【主催者より】
「このイベントをたくさんの方々に知っていっただき、1人でも多くご参加いただきたい。つきましては、皆様の関連団体、サークル等にPRをお願い致します。「転載自由」です」。(同クラブ・広報委員長・相澤 与剛 )
 
写真提供:大原雄さん(ジャーナリスト、日本ペンクラブ理事・電子文藝館「委員会」委員長)で、『2部視察団コメント・参加者との対話』の視察団メンバー


関連情報

日本ペンクラブ声明「大飯原発再稼働決定に反対する」

<日本ペンクラブ福島視察団報告・一年後の「福島」を訪ねて> 地震・津波・原発事故から一年

日本ペンクラブ編『いまこそ私は原発に反対します。』(平凡社刊)好評発売中

日本ペンクラブの各種ちらしのpdfファイル(23種類)がダウンロードできます

「こまえ平和フェスタ―1012」穂高健一写真展

 第8回 「こまえ平和フェスタ―1012」(戦争を忘れないで語りつごう)が8月19日(日)に、狛江エコルマホール(狛江市)において開催された。こんかいのメインタイトルは「子どもたちの未来のために」である。主催者は同委員会、および狛江市

 大震災から二度目の夏であり、それら関連の催し物が主であった。

 福島県いわき出身の神田香織さんの『はだしのゲン』を語って26年、いまがフクシマが、というお話と講談、狛江高校演劇部の朗読劇、きんたの会の太鼓演奏、和泉児童館のダンス、こまえ工房の合唱、そして平和を願う展示である。


 穂高健一写真展『3.11を忘れない~大津波の傷あと~』が同フェスタ開場に展示された。約650人(会場700席)の人たちを前にし、写真展の趣旨について話す機会が与えられた。(手話通訳、要約筆記あり)

 3.11大津波の小説を書くために、私は昨年の秋から毎月、三陸に入っている。その経緯から説明させてもらった。

 私は広島県出身で、原爆投下から日が浅い、太田川沿いのバラック建てに大勢のケロイドの被爆者が生活していた、「気色が悪かった」それが原風景の一つになっている。それだけに、原爆は身近なものだった。
 3.11の後、私はフクシマ原発でなく、あえて三陸の大津波に絞って毎月、取材に出かけている。それはなぜか。

 災害と文学の面からみると、戦争文学は数多くの名作がある。ヘミングウェイの『誰がために鐘が鳴る』、レマルクの『西部戦線異状なし』。アンネの日記においては、ナチスドイツのユダヤ虐殺の恐怖が後世に伝えられている。

 井伏鱒二の『黒い雨』では残留放射能が取り上げられ、被爆した娘が嫁の貰い手がなくなる、という人間差別などが描かれている。それはフクシマ原発問題に通じる作品でもある。

 しかし、地震と文学に関しては、関東大震災、阪神淡路大震災など、これぞという小説の名作は生まれていない。三陸大津波は明治から何度も数万人の犠牲者を出しながら、純然たる小説は見受けられない。津波の被害の資料や写真は記録な要素が強く、数十年後に見ても、リアルな感じがしない。

 小説は人間を描くもの。3.11大津波で人間がどのように心を傷つけられたか、どのように生きていくのか。それらを克明に描けるのが唯一、小説である。そうすれば、数十年後に読んでも、読者には昨日、今日、いま起きている事実のような、疑似体験として大津波が伝わるはずだ。


 三陸リアス海岸の人々は、数十年ごとに大津波の危険がある、とわかっているのに、なぜ浜辺に住むのか。それを文学として描く、3.11の教訓を後世に活かしたい、と考えている。
 
 小説の取材をする一方で、数多くの人たちにカメラを向け、「写真の中から、被災者の声が聞き取れる」という気持ちで、シャッターを切りつづけてきた。

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シニア演芸団『演多亭』で、大いに笑い、観せる=東京・文京

 NPO法人シニア大樂(田中嘉文理事長)が創立10年目に入った。現在、講師登録が513人に及ぶ。その中から、演技、落語などエンターテイメントに長けた、プロ、セミプロたちがシニア演芸団を結成し、『演多亭』として毎年公演を行っている。

 2012年公演は7月17日(火)に、東京・文京シビックホール(小ホール)で、開催された。主催・同大樂、協賛・音体操すこや会、後援・文京区である。
 客席371席がほぼ満員になり、中高年層の観客を大いに楽しませた。
 

 公演のトップバッターは、「KAKO&KAZOO」(麻里村れい、澤本博幸、松田健、中嶋卓也)のフォークソングである。

(1) パフ(ピーター・ポール&マリー代表曲)

(2) 今日も夢見る(麻里村れいヒット曲

(3) 人生の扉

(4) パワー

(5) 風に吹かれて

 
 中高年層の観客にはなじみ深い曲から入った。それだけに観客の心を一気に舞台に引き付けていた。


 奥村アッシ―(篤史)のお得意芸「どじょうすくい」である。

 舞台に出てきただけで、笑いを誘う。立ち振る舞い、一挙手一投足には神経を張り巡らしているのだろうが、観る側はただ爆笑のみである。

 元大手企業の社員だった、と紹介があった。現役時代はきっと接待の余興も得意だったのだろう。

 川上千里の「バルーンアート」で、ハーモニカを吹きながら、両手でゴム風船の芸を披露する。ミッキーなど多種多様なものかぎできてくる。

 ちなみに、現役の薬剤師だという。

 舞台が本業か、調剤が本業か、観ている範囲内ではどちらにも軍配が上がる。

 完成したバルーンは芸術性が高い。その都度、観客にさしむけていた。

 吉川幹夫の「面踊り」も、これまたユーモラスである。

 かつて農繁期には、こんな農夫が朝から晩まで畑に出て、懸命に働いていたのだろう。それが伝統芸能となり、現在に伝わっているのだ。

 厳しい労働すらも、愉快な踊りにしてみせる。日本人の血はもともと明るいのかもしれない。

 

 奥村アッシ―(篤史)、川上千里、吉川幹夫の三人トリオによる、「南京玉すだれ」である。

 3人は別々の流派である。打ち合わせも、予行も、ほとんどなく、ぶっつけ本番だから、なんとも呼吸が合っていない。失敗続きだから、これまた観客が喜んでしまう。

 スダレが開かないとなると、「待っててやるから、取り換えな」と観客から声がかかる。
 「お言葉に甘えまして」と玉すだれを変える。

 東京スカイツリーはなぜか見事に決まっていた。2012年の開業したツリーだから、芸人たちはより真剣になったのだろう。

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東電の社長室に放射能(死の灰)汚染土を送ろう=小出裕章さん

 私の友人から7月7日(土)「商社9条の会」の講演に誘われた。場所は東京・一ツ橋の日本教育会館で、講師は小出裕章さん(京都大学・原子炉実験所助教)、タイトルは「隠された原発の真実」である。雨の日だったが、フクシマ原発の本当のことを知りたい、という参加者たちで、約700人の会場が満席だった。

「原子力には平和利用もない。すべてが軍事にからむ」
 そう主張する小出さんは大学を選ぶとき、原子力がきっと人類に役立つ、という気持ちで原子力工学科に進んだという。
「ですから、ある時期まで、私は加担者のひとりでした」
 小出さんは原子力の平和利用に懐疑的になった。いまでは国家にたてつく、数少ない原子力研究者である。

 100万キロの原子力発電所は一日ごとに、広島・長崎3-4発分に相当する、核分裂反応を行わせる機械である。
「あらゆる機械には絶対安全はない。東電はウソ、だまし、脅しで、国民を欺いてきた。これらはフクシマ原発事故で露呈した」
 1966年からわが国は原発を作り続けてきた。法律では、大都会に原発を作れない。(非居住区、低人口地帯)、過疎化の地方が、金と政治で原子力を掴まされてきた。この46年間で、わが国は広島原爆の120万発分の死の灰(200種類の放射能物質)を作ってきた。

 人間には放射能(死の灰)を無毒化する力はない。高レベル放射能を100万年にわたり隔離することができるのだろうか。高レベルの廃棄物は隔離処分しかない。あるときは南極の厚い氷下に沈める、深海に埋める、という案もあったけれど、国際条約で禁止された。いまは深い岩盤の下に埋める、という検討がなされている。

 日本は地震大国である。地震の震源地はさらなる数十キロ下であり、地震が発生すれば地層をバリバリ割ってしまう。100万年の間には、きっと地震で放射能が流れ出す。
「原発はトイレのないマンションと同じで、作ってはいけないものだった」
 国家は原発を推進し、マスコミはそれを宣伝する構造ができあがった。

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宮島・世界文化遺産を訪ねる=写真と文で旅情を楽しむ

 芸州藩の幕末史を調べる私は、宮島(広島県)に出かけた。宮島は松島・天橋立とならぶ日本三景の一つ。同島の厳島神社がユネスコの世界文化遺産(1996年)として、原爆ドームとともに登録されてから、すでに16年が経つ。
 外国人の観光客の多さには驚かされてしまう。

 原爆ドームとの相乗効果だろう、ハイスクールの生徒たちが集団(日本流にいえば、修学旅行?)で、あちらこちらに一杯だ。


 宮島口から対岸の宮島までは、連絡船やフェリーで約10分である。JRの連絡船と、広島電鉄との2つの会社がピストン輸送をおこなっている。

 2社の競争というよりも、出航のたびに、どちらの船舶のデッキも、乗船客が一杯だ。10分間の混み具合だから、席の奪い合いなどはない。

 厳島神社の世界文化遺産のモニュメントからのぞくと、海上に浮かぶ、高さ16メートルの大鳥居(重要文化財)が中心に座る。巧くこしらえたものだな、と感心させられた。


 島に来る人、帰っていく人、観光客が双方とも一杯だ。
 「安芸の宮島」と広島県民に親しまれていたころも賑わっていたが、それと比べても隔世の感がある。

  関東では源氏が好まれるが、西は壇ノ浦に没した平家びいきだ。平家と厳島神社の結びつきが強い土地柄でもある。

 平安衣装の観光嬢が宮島PR活動を行っていた。カメラを向けると、すぐさまカメラ目線でボードを取ってくる。そして、微笑む。自然体でいいのに、と思ってしまう。

 衣装は若々しいが、顔をのぞくと、思いのほか中年の「おばさん」が多かった。観光協会の職員かな? それを仕事としている人たちだろう。そのせいか、PR嬢と並んで撮っている人がほとんど見当たらなかった。
 

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かつしか80周年・菖蒲まつり=掘切菖蒲園


 2012年は葛飾区の区政80周年である。
 
 区の花は花菖蒲だけに、毎年「菖蒲まつり」が開催されている。

 期間は6月1日から6月20日(水)まで。

 場所は水元公園と掘切菖蒲園である。
 
 6月12日、掘切菖蒲園に出向いてみた。


 京成電車の掘切菖蒲園駅は、上野から各駅停車で約15分である。

 青砥駅からは2つ目の駅である。

 人出が多い土、日曜日でも、急行などは停車しない。

 最近にしては珍しい、昔ながらの赤い車両が走っていた。

 掘切菖蒲園駅の構内では、写真展が開催されている。

 写真の腕前に自信があれば、応募して入選すれば、来年は張り出されるだろう。


  水元公園の花菖蒲は、約100種で、1万4000株である。
  都内最高の広い敷地の都立公園だけに、のびのびした開放に満ちた観賞が楽しめる。

  堀切菖蒲園は、約200種で、約6000株である。
  狭い敷地でありながら、品種は多く、手入れがよいので、芸術的な美観が楽しめる。

 花菖蒲の魅力は、花魁(おいらん)の髪飾りに似た、花弁の美しさだろう。


 梅雨の季節には、華やかな花菖蒲が満開だ。
 一方で、地味な黒松が日本庭園の渋さを作り出している。

 いまはだれも黒松に興味の目を向けていない。

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東京の夏祭り・鳥越神社=巨大な千貫神輿を男女して笑顔で担ぐ

鳥越神社(とりごえじんじゃ)の大祭の千貫神輿は、都内最大級を誇っている。
2012年は6月9日、10日(日)に開催された。

撮影日は6月10日


 千貫神輿の台輪は幅4尺3寸で、同神社が元祖である。

 伝統ある神社の例大祭で、粋な女性も巨大な神輿を担ぐ。

 鳥越神社の最寄りの駅は浅草橋(JRと都営地下鉄)である。

 神社の周辺には蔵前通りなど幹線道路が走っている。

 この日ばかりは神輿が優先である。



 日曜日の朝神社を出た神輿は、各町内を回り、担ぎ手たちに次々と橋渡しされます。

 思いのほか、女性の担ぎ手が多い。

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大津波の恐怖を乗り越え、中学生が体験学習で漁船に=陸前高田市

 2011年3月11日の午後3時過ぎに、巨大な大津波が三陸地方の沿岸部を襲った。
 最大の被害となったのが、陸前高田市である。

 死者・行方不明者が約2000人という途轍もない犠牲者を出した。
 身内や親戚で、犠牲者がゼロの人を探すのが難しい。

 市内はまだ荒野で傷あとだらけだ。むろん、中学生の心も傷ついている。

 私のもとに、大和田晴男さんから「中学生のカキ養殖体験の日程が決まりました。5月25日朝9時から、カキの種付作業を行います」と、待ち望んでいた電話が来たのが、5月に入ってからだ。

 大久保さんはカキ養殖業者である。約10年間にわたり、米崎中学校でカキ養殖のレクチャー(カキの特性・特徴を語る)から、種付け、温湯駆除、収穫まで指導している。

「2年後に、中学校の3校が合併しますから、3つの中学1年生が合同です。それでないと、2年後の収穫期に、米崎中学校の生徒だけになりますから」と話す。

 3校の行事調整で、日程の決定が遅くなったのだろう。

 中学1年生が約90人、米崎漁港のカキ養殖作業場に集まった。建物は廃墟で、ブルーシートの屋根である。


 生徒たちは真剣な目で、種付された貝(ホタテ空貝にカキを産卵させたもの)の裏表に、10個ずつのカキを残すように間引き作業を行う。

 米崎中学校の校長も、体験に加わっていた。

 種付カキがロープに結ばれていく。そのロープがイカダにつるされる前段階の作業である。

 「浜の女」と呼ばれる、カキ養殖業に携わる女性たちも、指導に加わる。

 米崎中学校の1校のときは、大和田夫妻のみで体験学習に対応してきた。今回は3校の合同であり、他の漁師や浜の女たちの手も借りている。

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宮城・気仙沼で見つけた天才少年、段ボール彫刻作家が心をなごます

 東日本大震災の被災地・気仙沼の市街地で、通行人が「おやっ」と足を止める光景がある。
 それは海産物問屋の店頭で、段ボール箱を組み立てたロボットが堂々と突っ立っている。それは誰が見ても、あきらかに子どもの作品だが、くすっと笑ってしまう。

 ㈱勝正商店は気仙沼駅から海岸の向う途中の、三日町交差点の角に位置する。信号待ちする乗用車の車窓からも、
「ほら、見て、みて」
 と指差す光景がある。

 年少者が制作したもので、海産物の空いた段ボール箱を利用したものだ。ユーモラスな作品だ。

 気仙沼は1000人以上の死者と行方不明者を出した、悲惨な被災地である。1年余りが経ったいま、ガレキの撤去は進んできたが、都市再生や復興は遅々として進んでいない。市民の多くは心に傷を負ったままで、口には出さないが、暗い気持ちである。

 それだけに小学校1年生の斉藤勝市郎くん(さいとう しょういちろう・6歳)の作品が、行きかう人の心を思わずなごませるし、明るい話題の提供となっている。

 

 三日町1丁目は、3.11の大津波が床下まできた地域だ。全壊の家屋が少なかっただけに、商店や会社などは順次営業を再開してきている。

 勝正商店も同様である。オフィスと作業場が隣り合い、営業活動が行われている。これら海産物の袋詰めとオフィスワーク(家族5人と社員5人)が、通行ちゅうの人たちからものぞきこめる。

 そこには『段ボールの時計台』とか、『発泡スチロールのお城』とか、『三階建てマンション』とか、さらには絵画など、勝市郎くんの制作品が所狭しと展示されている。
 どの作品も箱の立体空間を上手に利用している。

 店内で、勝市郎くんの創作について話を聞いた。
「通行人の方が笑ったり、面白い、愉快だと足を止めてくれるんですよ」
 祖母が町の人気者だと教えてくれた。

 三陸地方は過去から海産物で栄えてきた。漁業の産地からは段ボールで商品が送られてくる。同店では作業場で小割して袋詰めする。
 毎日、決まって空箱が出てくる。勝市郎くんはそれら形状を見た瞬間に、何が作れるか、イメージがひらめくようだ。
「毎日、なにかしら作っています。カッターやナイフは危ないので、使わせていません。すべてハサミです」
 と母親が話す。
「働く人、全員にケータイのストラップを作ってくれたんですよ」
 母親がそれを見せてくれた。それぞれ(10人の)顔の特徴がとらえた動物に似せる、ユーモラスな絵が飾りになっている。

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