ジャーナリスト

シニア大樂「写真エッセイ教室」=来期も継続で

 男性はリタイアした後に何をしようか、と考える。職場で全力投球した人ほど、仕事を離れてから、生きがいを探すケースが多い。その点、女性は隣近所との交流があるし、戸惑わない。そんな内容のエッセイを書いた人は複数いる。説得力があるな、と思う。

 リタイア後になにかしら始める、脳細胞を常に若々しく保つ。「人間は一生勉強だ」。この格言と、生きがいとを重ねあわせる。それには過去、現在、将来にわたって自分自身を描けるエッセイが最適だと、私は考えている。

 一つの作品はそう簡単にはできないものだ。常日頃から、頭のなかで、「次は何のテーマで書くか。書出しは? ストーリーは? エンディングは?」と考え続けるし、脳細胞は休む暇などない。そのうえ、文章を磨くとなると、これまた長期にわたってくる。


「パソコン時代とデジカメ時代だから、エッセイに写真を張り付ける」
 そんな講座を開設しよう、と一昨年にシニア大樂と合意できた。同大樂の公開講座などで呼びかけた。
 2012年1月から「写真エッセイ講座」をスタートさせた。文章の書き方、写真の撮り方からの指導である。最終目標は、1年間にわたって10回で冊子まで作れる創作技法を学ぶ。
 ちょっと欲張りすぎたかな?
「1年間契約だから、その先がないから……。冊子まで、強引に推し進めよう」と決めた。「追いつけない人は、せめてワードに写真を張り付けられる。この技術までくれば、それでも今後に役立つ」と内心は考えていた。

 私が持っている多くの講座はアフターで飲み会で、人間関係の構築を図っている。ただ、この講座の場合は終了後に、補講でパソコン指導となった。
 ある時期から、受講者どうしが教えたり、教えられたり、という良い関係ができた。「他人に教えることは一番覚えること」。それが皆の創作力の成長にもつながった。

 11月第4週の最終回には、全員が冊子で提出した。さらには来期の継続希望者が多数で、2013年度も1年間10回で展開することに決まった。前後して、事務局の杉さんから、全員にメーリングリストが構築されたので、メンバー同士のコミュニケーションが高まった。
「2年目の人と、新規に加わった人と、一緒に指導できますか」
 杉さんから質問があった。 
「どの講座でも、2-5年やった人のなかに、新しい人が加わります。複合の指導は慣れていますから、大丈夫ですよ。新人は基礎からわかりやすく指導します。2年目の人は提出作品から品質アップを添削で求めまていきます」
 そう答えた。 

          写真提供:石田貴代司(いしだ きよじ)さん(写真・前列の最右)

明治大学・第4回読書感想文コンクール 優秀賞=大久保昇

「読むことの歓び」明治大学文学部が主催する、「第4回 読書感想文コンクール 優秀作品集」に、大久保昇さんが入選された。現在、明治大学は急進中で、学生の人気度も高い。それだけに注目度が高く、応募作品は1165人である。
入選作品は大崎善生著・『将棋の子』の感想文である。社会人部門・14名の優秀賞のひとり。ちなみに高校生部門の受賞者は86人である
 大久保さんは朝日カルチャー「フォト・エッセイ入門講座」の受講生である。

選考委員長は同大学・林義勝文学部長、他12人の選者である。単行本が明治大学から発行された。(定価1400円+税)

 同コンクールは、明大文学部の教授をはじめとした関係者が、10作品を課題図書として提示し、応募者はそれに対する感想文を書いて投稿する仕組みである。

   第4回課題図書として(明大・作品紹介から部分抜粋)

大崎善生著『将棋の子』
  将棋のプロを目指す少年たちの栄光と挫折を描いている

G・ガルシア=マルケス作『予告された殺人の記録』 
 これから起こる惨劇は誰でも知っていた。

・クセノポン著『アナバシス』
  ギリシア兵1万余りが、敵地から決死の脱出を行う。

・ゲーテ作『若きウェルテルの悩み』
  人妻を愛してしまった、若者の苦悩

幸田露伴作『五重塔』
  強風の中で耐え抜く五重塔と、ふたりの職人のすさまじいぶつかり合い、
  
小林秀雄著『モオツァルト』 
 モオツァルトの悲しさは疾走する

・シェイクスピア作『ハムレット』
  暗殺された父親の亡霊から、真実が語られる、ほんとうに真実か。

夏目三四郎作『三四郎』
   純真な若者が「自己」とは何かを問う。

トーマス・マン作『トニオ・クレーゲル』
   憧れ、失意、傷心、美の追求にいきる作家の自画像

養老孟司他著『復興の精神』
  命の尊さや真の幸せを問う


 大崎善生著『将棋の子』の主人公は、天才少年の棋士といわれた成田英二(北海道出身)である。成田が、羽生善治さんと熾烈に戦う。それに敗れたために、プロ棋士になれる年齢制限に引っかかり、挫折する。そして、北海道に帰り、廃品回収業を行う。
 
 成田は「ボクは羽生善治さんたちと戦った、そのことが勇気をくれる」
 成田英二の栄光と挫折と心の財産をしっかりつかんだ、感想文である。大久保さんは、自ら将棋を指すだけに、つかみどころがしっかりしている。

 同コンクールはすべて優秀作で、金・銀・銅のような序列がない。大久保さんの感想文は、社会人部門のトップに掲載されている。定価をつけた書物は、ふつうは最良作品から載せるものだから、トップクラスに近いと評価してもよいだろう。

 表彰式で、選者から「大久保さんの作品は、羽生善治との戦いがよく書けています」
 と高評されたという

波打ち際の小さな魚『コハダ』に、胸を痛める=三保の松原

 太平洋の波打ち際の玉砂利のうえで、銀色の美しい魚が飛び跳ねていた。大きな白い波がくり返し、打ち寄せ、しぶきが飛び散る。
「コハダはまだ生きて」
 私は凝視した。白い波がコハダのかぶさるのに、なぜか沖に逃げていかないのか、と疑問に思っていた。あちらこちらに、コハダが魚体を横たえている。どれも、海にもどれないでいるのだ。
 コハダにとって、荒々しく渦巻き打ち寄せる波のなかでは、水平感覚が取れず、泳げきれないのだと理解した。

 私があえて一匹のコハダを手にしてみた。5センチていどで、小さな命が妙に哀れに思えた。私は釣りをしない。釣り針が口に刺さった魚を見ると、あまりにも痛々し過ぎるから……。
 手にした一匹を海に戻しても、この命はきっとダメだろうな、と思った。
 そこに、釣り人が私に近づいてきた。周辺のコハダを指すと、
「コハダの群れが、大きな魚(サバなど)に追われたんだよ。時にはイワシが打ち上げられているよ」
「海のなかでも、生存競争は厳しいんですね。そういえば、コハダが打ち上げられる、数分前、ここから10mほど沖合で、海面から飛び跳ねる魚がいた」
 それは20センチから30センチの魚だったと思えた。その魚に、コハダたちは追われていたのだろうか。
 釣り人はビニール袋を持ってきて、コハダを入れはじめた。私は立ち去った。

 3.11大津波の補足取材として、11月29日、清水駅からバスに乗り、三保の松原へ出向いたのだ。それは、陸前高田の7万本の松の木が津波で折れて、市街地に流れ込んだ。一本松を残して、全部である。
 折れた松の先端は尖(とが)った槍のような凶器になった。津波とともに住民たちに突き刺さった。そして、陸前高田は最大の悲惨な都市になった。
 現地取材しながら、「三保の松原」はどうなんだろうな、と重ねあわせるものがあったからだ。

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新津きよみさんを囲む「世田谷散策」、戊辰戦争の謎が解けた?

 関根稔さん(ライフ)が春先に企画してくれた、新津きよみさん(作家)を囲む「世田谷散策」が諸般の事情で、夏を越え、秋まで繰り越されていた。10月23日(火)に決定した。メンバーは新津フアンである古関雅仁さん、佐藤恵美子さん、そして私の5人。従前から交流がある仲だった。

 前日の天気予報となると、23日は発達中の低気圧の通過で、竜巻、突風、豪雨の悪天候だという。ニュース番組でも、明日の外出は注意するように、と報じていた。その低気圧は昼過ぎに関東地方を抜けていくという。
「どうするの?」
 この機会を失くして再調整となると、いつになるか判らない。関根さんの判断で、世田谷見学をする時間はかなり圧縮されるが、集合は3時間ずらしで、午後3時に新宿駅と決まった。

 5人は京王線、東急世田谷線と乗り継いで宮の坂駅に着いた。関根さんの案内で世田谷散策がスタートした。

 世田谷八幡神社の境内には珍しい土俵や力石があった。毎年9月には東京農大の奉納相撲が行われるようだ。
 わがメンバーもと古関さんと佐藤さんが奉納相撲をしていた。

 豪徳寺は井伊家の菩提寺である。「招き猫」発祥の地でもあるらしい。江戸城桜田門外で、水戸・薩摩の浪士に暗殺された井伊直弼(なおすけ)の墓があった。こんなところに井伊大老の墓があったのか。そんな感慨を覚えた。

 一方で、徳川に近い井伊家の豪徳寺がなぜこうも広い敷地なのか、と私は疑問をおぼえた。明治の廃仏毀釈など考えても、境内が大きく圧縮されもおかしくないはずだ。

 本堂の近くには三重塔があった。二層の垂木に彫られた猫を説明するボランティア・ガイドの老人がいたので、その理由を聞いてみた。井伊家が戊辰戦争の時に官軍に付いたからだという。(猫の木彫りしか興味がなさそうだった)

 私には過去から戊辰戦争の歴史疑問があった。

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日本古来の「朝市」を発見、被災地の大船渡で=写真で買い物

 取材で出向いた大船渡市で、思わぬ朝市を発見した。

 朝6時半ころ、現地入りし、朝食が取れる場所を探していた。まったく予備知識もなく、路地横の朝市を見つけた。

 それがあまりにも偶然だっただけに、感慨深いものがあった。


 買う人はすべて地場の人である。

 観光客は1人としていなかった。

 それだけに生活密着そのものの朝市だった。

 
 場所は、大船渡・盛(さかり)である。

 JR大船渡線が壊滅的な打撃を受けて盛駅は営業していない。その駅近くの路地にある、朝市だった。



  この朝市は江戸時代から始まった、200年もの伝統があるという。

  これだけの品数で、商売になるのかな。そうした都会感覚で、みると間違いかもしれない。

  これを売ったお金で、何がしらの物を買って帰る。

  物々交換に近いのだろう、と勝手に解釈した。


 被災者にとっては、履物も貴重なもの。下駄箱もすべて流されてしまっているからだ。

 生活費に余裕がない。シーズンごとに必要最小限のものを買う。それが現地の人たちの実態だ。

 もう冬が近い。大変だろうな。



 農工具の店に立ち寄る客は、きっと機械化の大型農業とは無縁の小規模農家だろう。

 5日、10日、15日日、20日、25日、30日に開かれる。

 2月は28日か、29日の最終日だけれど、「この時は客がこないんだよね」と話す。



  

 鍬(くわ)、鋤(すき)がまだ商売になる。

 見た目にも、農家の方だという方が、のぞいていた。

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近くで観る日本舞踊=尾上五月

第六回尾上流勉強会『近くで観る日本舞踊』が、10月6日(土)に東京・中央区銀座の「尾上流舞台」で開催された。
尾上流家元の稽古場という限られた空間の発表会である。

「衣裳やメイクの助けもなく、まったくの素踊りで、ご披露させていただきました」と尾上五月さんは語る。(写真)

五月さんは、ふだん立ち役(男舞)が殆どである。この尾上流師範会では、女舞を踊る。

尾上流の名取、級取得者らが観客で、踊り手の指先や目線、息遣いまでも感じていた。

五月さんはこの会では、もっぱら「司会の五月さん」で通っているが、こんかいは踊り手である。

「私にすれば、この勉強会の運営委員ですから、思い入れのある会です」と五月さんは語っていた。

神田松鯉襲名20周年と古希を祝う会=東京

 9月28日、講談師の神田松鯉(かんだ しょうり)さんが誕生日を迎えた。今年70歳の古希である。と同時に、3代目の松鯉を襲名し、記念すべき20年を迎えた。双方を祝う会が、東京千代田区・東京會舘11階シルバールームで行われた。

 本名は渡辺 孝夫(たかお)さん、群馬県・前橋市の出身である。

 講談、落語など演劇界の方々、松鯉さんを師と仰ぐ生徒たち、俳諧人など幅広く、約200人ほどが集まった。松鯉さんは日本ペンクラブの会員で、世界フォーラム、世界ペン大会で、文学作品の朗読を行い、その名が広く知れ渡った。PEN会員からも約25人ほどが参加した。

 同会場では、スライドショーによる、講談師の歩みが紹介された。
 劇団文化座に入った。その後、2代目中村歌門に入門し、1970年には2代目神田山陽に入門し、神田陽之介となった。92年には3代目神田松鯉を襲名した。
 他に1980年より「ビジネス講談」を行い、小笠原への船旅研修の講師なども務めている。
 現在は、日本演芸家連合の理事である。

1978年、第6回放送演芸大賞ホープ賞受賞。
1988年、文化庁芸術祭賞受賞。

 会場では、松鯉さんが参加者たちの要請と拍手で、催促されて、「平家物語」の屋島の戦いの、那須与一の扇の的を射る。名場面を5分間披露した。
「本来は30分ですが」と笑わせていた。

 即興だったことから、縁台が人手のテーブルだった。実に、ユーモラスな光景である。さすがに芸人たちだと感心させられた。

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「穂高健一ワールド」に、新機能『サイト内検索』が登場しました

 2012年9月23日現在、「穂高健一ワールド」には1144のコンテンツ(記事)が掲載されています。このたび『サイト内検索』の機能を付加したことで、かんたんに過去の作品が探しだせます。


 このHPには「ジャーナリスト」「小説家」「カメラマン」「東京下町の情緒・100景」「3.11取材ノート」など大分類があり、そこから個々の作品を追って探しだすとなると、かなり時間を要してきました。

 HP運営方針は一つひとつのコンテンツに対して、「内容の充実を図る」「有益の情報がある」「役立つ・学べる」という信念があります。だから、手抜きはしない。
 プロ作家も、一般人も、並列で掲載させていただく。それを貫いてきています。それゆえに、どのコンテンツにも深みと幅がある、と自負しています。

 反面、バックナンバーを探すのはたいへんな時間を要します。数年前の作品ともなると、上手に探し出せず、ギブアップぎみ。それが「サイト内検索」を使うことで、かんたんに過去の作品や記事が引き出せます。

 「元気に100歳クラブ」のエッセイ教室は、6年間余り、62回続いています。これら「レジメ」を掲載しています。「こんな内容の濃い、文学テクニックが無料で読めるなんて」と多くの声を頂いています。項目別に学びたいとなると、これまでは引き出すのがたいへんでした。

 同クラブの二上受講生から、「『サイト内検索』の機能をつけてもらえば、大変ありがたいのだが」と提案がありました。そこで、「穂高健一ワールド」をサポートしてくださる、ITエリート集団のインフォ・ラウンジ LLC (肥田野正樹・代表)にお願しました。
 9/16-19の3日間、かれらと槍ヶ岳登山に行った折、担当の伊藤宗太さんに踏み込んだ話をしました。彼は下山後に、さっそく『サイト内検索』をつけてくださいました。こちらにも感謝しています。

「みんなの作品コーナー」では、区民大学、カルチャーセンター受講生の作品、日本PENクラブの仲間が寄稿してくださった作品を掲載しています。
 掲載者の名まえ、タイトルがうる覚えでも、キーワードを検索すると、一発で出てきます。とても便利な機能です。どうぞ、「穂高健一ワールド」を有益に利用してください。
 
【例】 ①小説、エッセイで『心理描写』をもっと集中的に学びたい。
       そこで、「心理描写」と検索する
    ②「みんなの作品」に寄稿・投稿した、私の作品を呼び出したい。
       「○○○子」と入れる。
    ③3.11大津波の被災地の「陸前高田」を絞り込んで読みたい

被災地の中学生が、カキ養殖体験=温湯駆除法(下)

 3.11大津波で、広田湾(陸前高田市ょの海底は掃除されたから、海流もよく、カキ、シュウリ貝、昆布も育ちが良い。だから、温湯駆除で、海中からロープを引き揚げるのが重いという。


「カキよりも、シュウリ貝を売った方がいいよ。そんな冷やかしもあるほど育っています。実際、スーパーに行けば、シュウリ貝は一つ20円で売っている。カキは経費をかけても殻付だと50円。シュウリ貝の粒数も多いし、ただ捨てるのはもったいない……」
 同市・米崎カキ養殖業者の大和田晴男さんは笑わす。そのうえで、
「シュウリ貝を取るために、カキを作っているんじゃないし」
 日本でも有数のカキを作る、そのプライドで生きている。

 カキはロープごと湯のなかに入れられる。
「12、3秒だよ。声を出して数を数えて。時間が来たら、ホイスト(簡易クレーン)のリモコンを押して、湯の中からロープをあげるんだよ」
 大和田晴男さんは生徒たちに細かく指導している。

 船上の釜からロープが引き上げられると、今度は海に戻す作業だ。マスト軸としたボンブ(アーム)が、船外へと向かられていく。
「下げて、下げて」
 カキロープが養殖イカダに引っかけられて海中に戻される。
  
 リモコン作業の生徒たちが順番で変わっていく。

 2011年の東日本大震災の大津波で、陸前高田市の養殖イカダがゼロとなる、大打撃を受けた。当然ながら、中学生たちのカキ養殖体験が行われなかった。
 同年秋から、漁師たちは杉を使ったイカダづくりを始めた。昨年は約100台作った。漁師の手だけでは間に合わず、ボランテァの協力も多大なものがあったという。それらを沖に係留してきた。
 12年は9月中旬までに、170台作る予定ですすんでいる。この過程の中で、中学生専用のイカダもできていた。
 
 米崎中学校の校長が報道記者から質問に応えながら、
「11年は大震災で稚貝・ロープを吊るす体験学習は出来ませんでした。なにしろ、イカダもカキも全滅でした。地元の漁師の方々が根気よく、海岸に打ち上げらていたカキを集めてきて、ネットに入れて海中に吊るしておいてくれたのです。杉イカダができると、ロープ一本ずつ、生徒の名まえのタグをつけて、イカダに吊るしてくれていたのです」
 と感謝の念を語っていた。

 2年生たちは初めての漁船体験だ。漁船からイカダに乗り移った男子生徒のひとりは、
「予想していたより、揺れなかった。だから、怖いと思わなかった」
 と語る。
「祖父さんがホタテの養殖だから、保育園の頃、3-4回乗った」
 そう語る生徒もいた。
 津波の恐怖が残る生徒は初めから乗船していないので、
「楽しがった」「ワクワクした」
 こんな感想が殆んどだった。

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被災地の中学生が、カキ養殖体験=温湯駆除法(中)

 陸前高田市の米崎中学校のカキ養殖体験は、約10年前から、大和田晴男さんと学校関係者の手作りではじめられた。当初は大和田夫妻のみであった。

3.11大津波で被災した後は、地元カキ業者10軒が協同組合方式で、復興支援を仰ぎ、再起を図っている。こうした背景などが、共同で中学生体験学習に手を貸している。
 毎年、1年生は陸上のカキ作業場で、種ガキ(原板・松島から仕入れる)を間引き作業をしてから、沖合のイカダに吊るす。

 2年生は8月に温湯駆除を行う。同月24日朝9時から、中学2年生の男女生徒たち約20人が、4トン前後の漁船に乗船し、広田湾の沖合い2キロのカキ養殖イカダにまで出向いた。
 漁船の設備のホイスト(簡易クレーン)を使い、カキのロープ(1本の長さ約4.5メートル)を引き揚げる。そして、70-72度の湯に、10秒間ていどつける作業を行った。

 カキの漁師にとっては、これは夏だけに大変な作業だという。真夏の太陽の下、湯を沸かすボイラー熱とで長時間すると、脱水症状に陥る。
 しかし、カキの棲みやすい環境を作るための大切な作業で、この駆除をやらなければ、水揚げが3分の1から、4分の1になるという。

 温湯駆除とはどんな作業なのか。、言葉からは想像が難しい。大和田さんが船上で生徒たちに説明する。1年半経ったカキの生育環境から説明する。

「イカダからロープで吊した、カキの回りには、数々の(寄生する)虫が付きます。シュウリ貝(ムール貝)や、昆布はカキと同じ植物性プランクトンを餌としています。カキにすれば、思うようにプランクトンを食べられません。栄養分が奪われてしまう、天敵なのです」

 牡蠣ロープを引き揚げ、シュウリ貝と海藻や虫を死滅、取りのぞくために、引き揚げたロープごと70度の湯につける。これが温湯駆除(おんとうくじょ)法である。

 カキは死なないのだろうか。

 カキは強靭な生命力を持っている。真夏の太陽が照りつける磯でも、カキは牡蠣殻に守られて数日間生きていられる。だから、70度くらいの湯にも十二分に耐えられるという。その特性を利用した駆除法である。

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