特定秘密保護法はほんとうに必要なの?
阿部政権がいま推し進める「特定秘密保護法」は、運用によっては暗い日本に逆戻りする、と危惧する。このさき将来を見据えると、肌寒い思いだ。
ときの権力者はつねに体制の維持に努める。一方で、体制を変えようとする、いろいろな考えや動きが底流で起きてくる。
体制を維持しようとする側は、さまざまな法律や規制をつくり、現状をかたくなに守ろうとする。その法律を作る人(国会)と、運用する人は当然ながら違う。
法をつくる目的と、運用する段階の人も違えば、認識も違ってくる。だから、法の解釈は政府の都合よい方向に変わったりする。政府ばかりか、個人の運用がとてつもない方向に進むことがある。
まず「個人情報保護法」を考えてみたい。メディアが興味半分で政治家たちの私生活を暴露していた。ときには報道の自由を根拠として。政治家たちは頭にきていた。暴露メディアを規制する目的だった。
政治家が自分たちのためにつくった法律だったから、罰則などない。
それがいまや個人生活レベルまで下りてきて、学校の同級生名簿、会員名簿作成までも、掲載者の承諾なしで作れば、罪だと思っている人がいる。個人情報保護を口にする人がやたら多い。
身近な所でも、このように拡大解釈がなされているのだ。
いま検討されている「特定秘密保護法」は、最高10年の懲役刑だという。
国家公務員が身内にいる人たちは、逮捕状を持った官憲がいつわが家に押し掛けてこないか、と妙にビクビクする、落ち着かない世のなかになるだろう。
それはなぜか。情報の漏えいは当人の意識だけでなく、無意識でも起こり得るからだ。
悪意ある人物(ハッカー)が、公務員のパソコンに侵入し、国の情報を持ち出せばどうなるのか。当然ながら、担当する公務員らにはみずから外部に情報提供をなした、と嫌疑がかけられるはずだ。
犯罪者扱いされた公務員が、
「身に覚えがありません。そんなことはやっていません」
と口で弁明しても、
「外部に流れた、証拠は挙がっているんだ」
と簡単には覆(くつが)えせず、言い訳だと信じてもらえないだろう。
「無実を証明」するのは逆に難しい。
パソコンによる、えん罪はいつでも起こり得る。
ここをしっかり押さえておかないと、「特定秘密保護法」が戦前の治安維持法なみに名だる悪法になる可能性がある。