安倍首相と重なり合う、長州の軍事国家への道(下)=幕末史から学ぶ
鳥羽伏見の戦いの前 慶応3年12月の小御所会議で、長州の朝敵が解除された。そこで初めて長州藩が京都にやって来れたのだ。
淡路島沖、西宮の足止めで、倒幕に関与できなかった、うっ憤が長州藩兵にあったのだろう。
近衛兵の任務に就くべき長州軍隊だが、約2週間後だった。薩摩藩が徳川を挑発し、仕掛けた鳥羽伏見の戦いに、長州藩兵がすぐ乗ってきたのだ。
「島津は徳川将軍の正室に入っている。これは島津家と徳川家の身内戦争だ。やらずもがの戦いだ」と山口容堂の命令で土佐兵も動かず、広島藩の近衛兵たちも、傍観の立場で、動かなかった。
それなのに長州藩兵の参戦が火を点けたのだ。ここから日本の歴史が軍国主義国家への道、と切り替わってしまった。
幕府軍、会津・桑名が、異議申し立ての建白書を朝廷に届けるために、ほとんど無警戒で京都に上っていた。(会津容保が3、4人の侍を連れて京都・朝廷に持ってくればよかった……。その失策はある)。参戦した長州藩が火に油を注ぎ、容堂の指示を無視した土佐軍がさらに加担し、大きな戦争になっていった。
勝海舟の功績だろう、江戸城が無血開城した。
戦争がどれだけ庶民を悲惨な目に遭わせるか。長州の思想には、そんなことお構いなしの面が強い。西郷に代わり、長州藩は軍師・大村益次郎を投入し、上野で彰義隊を討つ、会津を討つ、と戊辰戦争へと拡大していったのだ。
会津落城(開城)の後はどうなったのだろうか。天皇を東京に移し、大元帥の下に、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦に参戦し、日中戦争、第二次世界大戦へと、軍人と庶民の血を流させた。
戦争でも儲かるのは、政治と癒着した経済を動かす人だ。現代ではどうなのか。
「原発建設」を海外に売り込む。庶民への口ふさぎの「特別秘密保護法案」を成立させる。国民の知る権利は守ると言いながら、情報を教える側がいなければ、民は知る由もない。さらには大村益次郎たち長州藩が造った靖国神社、A級戦犯を合祀する、同神社への参拝へとつづく。
安倍首相は靖国神社の境内で、「おらが長州の大先輩」だと、関東・東北を血の海にした大村益次郎の像まえで、胸を張って歩く。
これで終わったわけではない。2014年は何をしでかすのか。
長州閥の政治家たちが作った、嘘の歴史、「薩長同盟」の美化から、日本人が抜け出さないかぎり、この流れは止まらない。鳥羽伏見の戦いが日本を血の国家にした。それが靖国神社へと密接に結びつく。そう教えなければ、日本人は歴史から学べず、現在から今後の流れを予測できないだろう。
安倍首相、さらなる軍事思想の政治家たちが目指す、次なる暴走はなにか。「徴兵制度」が次のステップだと、明治の近代史から学びとれるのだが……。
【了】