『新春・講師の集い』読売・日本テレビ文化センター=大手町
新しい年を迎えると、いずこも新年会がはじまる。
2015年1月4日、大手町サンケイプラザの4階ホールで、『新春・講師の集い』が行われた。主催は読売・日本テレビ文化センターである。
同センターは創業35周年を迎えた。節目の年であり、新年会を兼ね合わせたものだ。講師の参加者は約200人で、立食パーティーだった。
壇上では、30年講師歴の方々が紹介されていた。
講座のジャンル別に円形テーブルがあり、それぞれが歓談した。私は「文芸・教養」だった。俳句、エッセイの講師で、小説の講師はまわりにいなかった。
私はそれぞれの講師から指導テクニックなど聞きたかった。だが、逆に「小説の指導はたいへんですね」と質問をむけられることが多かった。
「まったくの素人で、小説と称する長い文章を読まされると大変です」
それにはいかに時間が取られるかと説明した。
その上で、小説は文章講座と違う。『文学賞を目指す』と、あるていど小説を書いてきた、予選通過、一次、二次のレベルの技量の人を前提に募集しています。
別の講師と名刺を交わすと、また小説の話になる。
「小説だけは下手な作品は読みたくないですね」。私はふだん長編小説を書いています。それをいったん中断し、受講生の長文を読むわけです。添削が終って、一区切りついて、自分の作品に戻ると、連続が切れていますから、それが一番苦労なんです、と答えた。
「わたし小学生時代、作文が上手だと誉められたんです。小説は書けますかね」
「無理ですよ。作文と小説は、日本語は同じでも、技法はまったく違います」
「でも、一作は良い作品が書けるというでしょ」
文芸のコーナーだけに、こうした突っ込みが入る。
「プロ作家になるには毎日書きつづけて、10年、20年もかかるわけです。一作だけのために、それだけ時間はかけられますか」
相手が講師だから、辛口に応えておいた。
胸につるしたIDから、金町で、なにを教えているんですか、とまたしても類似的な質問を受ける。
「カルチャーに来て、月に一度作品を提出して、作家になれるつもりで来られると困るんです。小説講座では、先生が手を入れてくれる、そんな気持の受講生は欲しくないんです。僕の時間の浪費になりますから」
そうはっきり言い切ると、相手の講師も体験的にわかるのか、納得顔だった。
「推敲に推敲して、提出し、講師に完成度の高い作品を評価してもらう。その意気込みなくして、作家になれません。それでも、何千人、何万人に一人の高い競争ですから」
(会費をはらって新年会に出て)、私自身の話など、まったく面白くないし、つまらない。知識吸収の意味合いから、手芸講座のテーブルに逃げた。
そこでも、小説の話題となってしまった。