私たちは歴史の主役です。70年の平和を後世に伝えよう(下)
3月7日、朝日カルチャー・千葉の講演『「二十歳の炎」で、幕末史観が変わる』において、戦後70年の平和づくりを強調した。
文明開化は安政の開国からです。「安政維新」なのに、明治維新だと偽る幕末志士たちの美化はもうやめましょう。
徳川幕府は大政奉還で平和裏に政権移譲した。直後、薩摩・長州の下級武士が軍事クーデターを起こした。鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争、遷都もなく、東京に明治天皇を移した。ここに明治軍事政権が誕生した。
それ以降10年に一度は海外と戦争をする軍事国家になった。、天皇と軍事を結びつけた「天皇+戦争」。明治天皇だって、決して戦争を望んでいたわけじゃない。それなのに、為政者たちは「天皇ばんざい」と言え、と国民皆兵で銃を持たせた。家庭を壊させて、死線をさまよわせた。
1945年まで、77年間は外地で戦わせた。最終的には、第二次世界大戦で日本国土を焼け野原にさせてしまったのです。挙句の果てに、海外から、日本人は戦争好きの国民と思われてしまった。
こんな戦争国家77年を作った政治家、上級軍人たちは、私たち現代人からすれば、大迷惑なのです。
坂本龍馬にしろ、いろは丸事件で、金塊や最新銃を積んでいたと大ウソをつき、紀州藩から8万3000両を奪い取った。(実際は7万両が支払われた)。南北戦争後の銃をグラバーを介して輸入し、長崎から日本じゅうに売った「死の商人」です。船中八策など、ありもしない、偽物すらない、でたらめなつくり話を司馬遼太郎など歴史作家がもっともらしく書き上げてきた。
「こうした特定の人物を美化したり、「天皇+戦争」を推進した、日清・日露戦争からの東郷元帥、乃木将軍、山本五十六など英雄視して、後世に中継ぎすることはやめましょう。もう、断ち切りましょう」
私たちは子供のころ、焼夷弾や原爆など爆弾投下の廃墟でした。実に悲惨な状況下で、生まれ育ったのです。みんな飢えて空腹でした。
同世代の戦争孤児たちの多くは餓死しました。満州から引き揚げる子供も大勢が死にました。
生きながらえた私たちは、成人してから精いっぱい企業・商店・農水産業で働き、汗水たらして平和国家70年を作ってきたのです。この間、外国から日本人は戦争好き民族だと批判されても、反論せず、先人が迷惑をかけた賠償金を払いながら、ひたすら文句を言わず、耐えて平和を築いてきたのです。
戦後の食糧難から、私たちは一途に平和を探究してきたのです。企業戦士だと言われてきた私たちですが、1945年8月15日から、日本人は外国人を銃で1人も殺していないのです。
幕末志士は英雄でなく、軍事思想家たちです。鳥羽伏見でクーデター起こし、77年間の戦争国家を作った。かれらへの陶酔はやめましょう。かれらと私たちを比べてみましょう。廃墟からの戦後70年間の「天皇+平和」は比較にならない、りっぱな国家づくりだったのです。
この平和は世界に類を見ない、世界最大級の自慢すべき財産です。私たちは胸を張って平和づくりの現代史を優先して後世に語っていきましょう。
朝日カルチャー千葉の講演より。
写真 : 栗原 量子さん(朝日カルチャー千葉)
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