明治維新150年・「富国強兵」でなく『富国富民』の選択肢ならば……、歴史は変わっていた=中国新聞・岩崎誠論説副主幹
中国新聞(本社・広島市)の2017年新年号・1月3日の「オピニオン」に、同社の岩崎誠論説副主幹による『大政奉還150年と近代日本』と題する記事が掲載された。
テーマは『多様な歴史観から再検討を』という副題になっている。
わたしたちは学校教育で、明治政府は「文明開化」、「明治からの近代化」、「富国強兵」とおそわってきた。どの教科書にも、それが3本柱となっている。国民はそう教え込まれてきたし、むしろ刷り込まれてきた。
明治新政府の「富国強兵」は疑いようのない、正当な施策だと信じてきた。しかも、その強兵策は教育とともに太平洋戦争まで引き継がれ、あげくの果てには原爆投下におよんだ。
悲しいかな、これは事実である。
岩崎さんの同記事は、この維新150年を機会に、明治新政府の勝利者がつくった幕末・明治史観も、単に鵜呑みするだけでなく、みんなで検証してみようよ、と提案するものだ。
そこには新しい発見もあるし、封印された新事実も出てくるだろうし、現代の人々が将来を見渡すときの基礎材料にもなるし、今後の政治のヒントもあるだろう。
岩崎さんが、その趣旨で『二十歳の炎』の作者として、わたしに同行取材を申し込まれた。12月17日にいわき市に入り、20日まで、『芸藩誌』を片手に、ふたりして現地をみてまわった。
それは単に戦い・戦場の確認にとどまらず、
「なぜ、戊辰戦争が起きたのか?」
「当事者の広島県民も、まして、福島県相馬市民までも、なぜ戊辰戦争・浜通りの戦いが知らていないのか。だれが歴史から消したのか」
「こと京都市の呼びかけで、『大政奉還150周年記念プロジェクト』が幕開けする。勝者も・敗者もなく、萩市、鹿児島市、会津若松市、阿部正弘ゆかりの福山市など21か所の時事団体が入っている。広島市はそれを袖にした」
とジャーナリストと作家がまわりに影響されず、本音で事例検証して語り合った。
京都市・佛教大学歯学部の青山忠正は、「薩長芸軍事同盟がむすばれた。これは歴史的事実である。それすら教科書にでてこない。3藩の圧力をもって大政奉還がなされた。(土佐はジャンケンの後出しと同じで、歴史に残った)。
土佐のためにシナリオが狂ってしまった。薩長芸のシナリオ通りならば、また違う政府ができていただろう」
と話されていた。
紙面でも、青山教授は「明治からの近代化は、昭和10年代から、国家権力が跡付けし、流布したものだ」と紹介されている。
実際には、ペリー提督が来航したとき、機関車、電信機、ミシン、あらゆる産業見本品を持ち込み、そこから近代化がはじまった。
小栗上野介は横須賀に、大規模な製鉄所・造船所の一貫工場も手がけた。(製鉄所は昭和50年代まで、ドックは米国海軍・横須賀がいまもって使っている)。
新橋⇔横浜間の蒸気機関車の発注は江戸幕府だった。(途中で、明治になり、外債の都合で米国から英国に鞍(くら)替えした)。
どうみても、近代化は德川政権からだ。教科書では「近代化は明治から」と嘘をおしえている。
「明治時代の最初の発明は人力車なんですよね」という話題は、さすがに岩崎さんは記事にされていなかったけれど。
同記事は、穂高健一著「二十歳の炎」と、神機隊の藩士たちが中心となって編纂した「芸藩誌」との整合性についても、随所で紹介してくれている。
私の意見の結論として、
むろん歴史に「もし」は禁物だろう。穂高さんは「(広島藩の執政・家老級で、第一次、第二次長州征討において広島藩の非戦を貫いた)辻将曹(つじ しょうそう)のような、非戦論者が明治日本のイニシアチブを取っていたら、戦争を繰り返す軍事国家になっていたかどうか」と問いかける。
富国強兵でなく『富国富民』の選択肢もあったはずであり、あるいは原爆投下も避けられたのではないか、と。大胆だが重い視点ではなかろうか。
このように、岩崎誠論説副主幹が紹介してくれている。富国強兵でなく『富国富民』が、現代社会に広がり、流行語大賞にでもなれば、岩崎さんの正月号のオピニオンが、漸次、世の中の流れを変えていくだろう。
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