ジャズグループが浅草で世界一の記録(上)=驚異的な300回
東京・浅草で、ギネスブックの記録をぬり替えて、世界一の記録をつくるジャズグループがいる。そのバンドは『ハブ デキシーランダース』で、結成から25年。リーダーは小林淑郎(ひでお)だ。
プロのジャズ演奏家たちが、メンバー・チェンジを一度もせず、月1回度の演奏をつづけてきた。ことし(2015年)11月15日(日曜)に、浅草で、来月記念すべき300回を迎える。
海外からも「ぜひ、記念すべき日に聴きに行きたい」というフアンもいるほどだ。
浅草を拠点とする『ハブ デキシーランダース』というジャズバンドを立ち上げた「春川ひろし」によると、
「ギネスブックに、同一のプロメンバーで22年続いた記録があります。私たちはその記録を塗り替えます」
とおしえてくれた。
どの世界でもトップクラスの人材ともなると、個性派が多く、主義主張もあるし、見方、考え方、目指す方向性も微妙にちがってくる。歳月を重ねるほどに、まずもって意志疎通に問題が出てくるものだ。
それがやがて意見の対立となり、5年に一度くらいは、ごく自然にメンバーが入れ替るのがふつうだろう。
『ハブ デキシーランダース』はなぜ分裂もせず、同一メンバーで、300回もの演奏会がつづけられてきたのか。
プロ演奏家にも健康の問題とか、個人的な転居とか、思いもかけない物理的な理由も生じるだろう。人間には個性があるし、わがままもあるし、自己主張もあるから、それとなく遠のく者もでてくるはずだ。
それが人間だともいえる。そう考えるほどに、同一メンバー、浅草の同一場所での演奏300回となると、簡単にはできない驚異的な記録だ。
ジャズ発祥の地はアメリカである。約100年間にわたり、世界じゅうを魅了してきた音楽である。この間にも、伝統が守られ、アレンジされ、進歩しながら、息の長い音楽としてジャズの活動が世界各国で続けられている。
リーダの小林淑郎(ひでお)はクラリネットとテナーサックスだ。昭和8年生まれだ。10代の多感な時代に、ジャズに出会っている。
日本へジャズが入ってきたのは戦前で、横浜港、神戸港、長崎港からだ。新しく・派手な音楽として拡大していった。
大きなブームがきたのが終戦後で、進駐軍と呼ばれた米軍基地を中心とした繁華街で、ジャズが演奏され、バンドが結成され、日本じゅうに旋風が巻きおこった。
それを第1期ジャズブームとすれば、小林は第2期だったといえるだろう。
「無理してやってきた、という感じがないのです」
ジャズが小林のからだと同化し、体内に息づいているのだ。
トランペットを受け持つのが下間哲(しもま てつ)である。トランペットは日本人好みだ。哀愁の曲、親しみのあるメロディーなどは特に心にひびくものがある。一方で、快活なリズムのトランペットも心を躍らせる。
プロとはお金を稼げるひとだ。お客を魅了するのは演奏だけでない。司会進行の小気味な明るいトークが必要だ。下間にはお客を笑わせる芸がある。わずかなトーク時間も、お客の立場からすれば、支払うお金のうちだ。
ただジャズ演奏が巧ければ、それで良しとならない。音楽とトークで、お客と一体になることが魅力なのだ。その役目のひとつトークはとても重要だ。
下間は、音楽に付加価値をつけているといえる。
バンジヨー坂本誠(さかもと まこと)、ひたすら演奏に没頭する。チーム内で無言・無口を売る。これが不思議なチームワークになっている。
最近は舞台、テレビなどで、やたら喋っている歌手が多い。トーク訓練がなされていないうえ、「この作詞家、作曲家、唄との出会いですけれど」という毎回、おなじ紋切型だ。
「あんたの長話しなど、どうでもいいんだよ。はやく歌いなよ」
そんな罵声の一つも浴びせたくなる。
お客が呼べなければ、メンバー同一による、300回の演奏など根底から崩れてしまう。
坂本はちらっ、ちらっと司会役の下間を見ている。「愉快だけれど、長々と話をするなよ」と目線で抑えている。これがお客との絶妙な間合いになっている。
金管楽器のなかでは最も大きいチューバは、菊池和成(かずなり)だ。おおきな目で、にこっと笑う。この顔が素敵だ。
チューバはリズミカルな曲となると、かなり肺活量を必要とするのだろう、演奏ちゅうはマラソンランナーのような顔つきにもなる。
曲が終わった、わずかな合間のトークに、かれは上目の笑みで補完している。それが、客を魅了している。
人間はことばが通じなくても、笑顔で世界の人と会話できる。演奏会場の浅草『HUB』には、外国人がことのほか多い。
ピアノの清水納代(のりよ)は唯一の女性だ。にこやかに演奏している。彼女はどこか浅草的だ。
浅草といえば、演芸・芸能のメッカである。1930年代の日本を代表するコメディアン「日本の喜劇王」といわれたエノケンや、古川ロッパが浅草をより有名にした。その後も、ぞくぞくと多くの芸能人が浅草を活動拠点にしてきた。
映画「男はつらいよ」などに出演した渥美清、ビートたけし、かれらも若手時代に浅草で芸を磨いた。
清水のピアノは、どこか浅草の下町の方々が、親しみを持てる雰囲気で鍵盤にむかっている。清水のピアノの横から、お客を見ていると、
「このジャズグループは、浅草の財産だ」
という目と耳で、聴き入っている。
「すしや通り」から「ひさご通り」まで、全長約300mの商店街が、浅草六区ブロードウェイ商店街だ。大衆文化が根付いた場所だ。
「HUB(ハブ)」は、その歴史的な街なかの一角にある。
この店にはジャズが好きな日本人、外国人の常連客が多い。女性店長で、店の従業員は愛想が良い。礼儀正しい、といった方がよいかもしれない。
知り合いの外国人が来れば、いちどは浅草に案内する。そして、『HUB』で、ジャズをたのしんでもらう、と語ってくれた。
店内は浅草的であり、どこかアメリカ的な和洋折衷の雰囲気である。それがとてもジャズに似合っている。
ドラムの春川ひろしがチームを結成した。大黒柱だ。
「最大のピンチはなんでしたか?」
かれに質問してみた。
「ジャズブームはとても息が長かったので、プロ演奏者として、しごとは確実に続けざまにありました。しかし、カラオケがブームを、私たちのしごとを変えたのです。(奪った?)」
これまで通りの演奏だと、離れていくジャズフアンを引き戻せない。
「それは外国のコピーから脱却することでした。日本人の郷愁をさそう童謡を、ジャズのなかに取り入れることでした」
童謡のなかから、ヒントを得たのだろう、『ハブ デキシーランダース』が演奏する曲には、一般庶民のなじみ曲が実に多い。
日本人に好まれる曲。それをテーマとして絞り込んでいった結果として、演奏曲が決まり、それがリピート客につながっていったのだろう。
童謡に代表されるように、なんど聴いても厭きない曲に徹しているのだ。
端的にいえば、『ハブ デキシーランダース』は一流のプロだからこそ、外国かぶれのジャズ曲からの脱却ができた。解りやすい曲、親しみやすい曲でも、かれらは十二分に自尊心が保てた。
だから、同一メンバーによる300回へとつながったのだろう。
雷門から徒歩5分のところに『HUB』がある。いまや外国人にもフアンを広げている。それでいて、
「浅草の空気を大切にしています」
とメンバーは異口同音に語る。
浅草の空気とは何か。浅草のお客はどうちがうのか。
【つづく】
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