A010-ジャーナリスト

ジャズグループが浅草で世界一の記録(下)=驚異的な300回


「かわすみ はるか」(写真)は、歯医者のドクターである。彼女は『ハブ デキシーランダース』のフアンである。10年まえにこのバンド・メンバーを知り、浅草に通っていた。
「一曲、歌わせてあげるよ」
 と言われて、それからやみつきになっている。

 歯科医院ともなれば、歯が痛い。患者は顔をしかめている。「お客さんには、いま歌っている心地好い、この気持ちを分けてあげたい」
 日本一のアマチュアのシンガー・ソングを目指したい、と彼女は抱負を語っていた。


『ハブ デキシーランダース』(リーダーは小林淑郎・ひでお)は、ジャズグループを結成してから25年間にわたり、メンバー・チェンジをしないで演奏活動をしている。あと1回で、世界一の記録だ。

 人間は個性があるし、自己主張もある。それぞれ何らかの理由で、メンバーから離れていくのが常だ。同一メンバーの演奏活動の継続10年は、すごいな、となんど考えても感慨を覚える。まさに賞賛に値する記録だ。

 観客席で、オーストラリアから来ていたトニー・フォグーさんは、
「大フアンなんです。日本に来る目的は、『ハブ デキシーランダース』のジャズを聴くためです。きょうの299回もシドニーから、これが目的できました」
 と決してビジネスなどの合間でなく、あえてこの演奏を聴きにきたと語っていた。

「日本にはじめてきたのは1971年で、領事館勤務の貿易促進のしごとでした」
 その後、1979年から8年間ほど、イラク、ユーゴスラビアで働いていた。イラクはジャズはない。ユーゴのジャズはなじまなかった。

 1996から8年は大坂に住む。東京にきた折、浅草に案内されたトニー・フォグーさんは、『ハブ デキシーランダース』を聴き、一度で大好きになった
「日本のジャズの情感が、オーストラリア人の体質に合っています」
 帰国しても、このメンバーのジャズを聴くために、折々に日本へ来ているのだ。

「300回記念は涙が出るくらい感動するはずです。もちろん、300回記念もシドニーから駆けつけますよ」
 と語る。


 
「日本人の心にひびく、日本人の心をつかむ、それには聞きなれた曲とリズムです」
 ドラムの春川ひろしは、それをくり返し強調する。
 
 お金を払って軽くドリンクを取り、音楽に聞き入っても、全曲まったく知らないとなると、お客はリピーターにはなってくれない。

 童謡は誰でも知っている。演奏しているさなか、観客は口ずさんでいる。それが観客が支えてくれる源になっている。
「この曲は知っている。観客は、それを聞きたいのです」
 多くはリクエスト曲が中心だから、馴染み曲が大半だ。



「演奏してしまえば、終わりではありません。ジャズメンバーと観客が一体になれる。間合いも大切にすることです」
 クラリネット/アルトサックス後藤雅広 (まさひろ)は小休憩中も、かれらは客席に入りこむ。観客の立場からすれば、生演奏を目の前で聴けて、さらにはミュージシャンと接することができる。いま聴いた音楽を語れる。

 小休止に間、楽屋に引っ込んだメンバーは誰もいなかった。これがまさに演奏者と観客との一体化で、魅力だ。ギネスに載るだろう世界一になるだろう、300回も支持してくれたのだ。

「選曲はお客様主義だ」。これに徹底している。演者と観客と、この両輪が巧く回っているから、記念すべき300回記念が達成できるのだ。

「浅草の空気を大切にしています。浅草はお客がちがう。浅草のジャズを大切にしておきたい、と近所住まいの人も聴きにきて、伝統文化を守ろうとする風土があるんです」
 それは浅草芸能と文化すべてに言える。
「浅草だから、300回が達成できたのです」
 と春川は明瞭に言い切る。

 その記念すべき300回は、ことし(2015年)11月15日(日曜)、HUB浅草店で迎える。

                                【了】

【関連情報】

「春川ひろし」HP
HUB浅草店

「ジャーナリスト」トップへ戻る

ジャーナリスト
小説家
カメラマン
登山家
「幕末藝州広島藩研究会」広報室だより
歴史の旅・真実とロマンをもとめて
元気100教室 エッセイ・オピニオン
寄稿・みんなの作品
かつしかPPクラブ
インフォメーション
フクシマ(小説)・浜通り取材ノート
3.11(小説)取材ノート
東京下町の情緒100景
TOKYO美人と、東京100ストーリー
ランナー
リンク集