「先の大戦で」は不適切、「明治から77年の軍事国家」を総括すべし
終戦から70年を機にして、「先の大戦」という言葉が躍っている。「先の大戦」の謝罪や反省の文言にばかり捉われている。それはちがう。
日本が大きな罪を犯したのは、第二次世界大戦(太平洋戦争)だけではないはず。明治政府が生まれて間もなく、明治5(1873)に徴兵令を敷き、海外侵略の「征韓論」をとりはじめた。かれらの発想は傲慢な豊臣秀吉の発想とまったく変わっていない。
韓国はなにも悪いことはしていないのに……。
あえていえば、吉田松陰が獄中で書き残した、中国大陸への海外侵略の思想が、明治をつくった長州藩士たちに受け継がれた。
薩長土肥が中心となった明治政府はしだいに長州閥が強まってきた。山方有朋たちが強兵思想を高め、国民の眼を「強い国家・強い政府」という求心力につかった。
「日本には神風が吹く」と平民を信じ込ませて、軍服を着させて、海外に送り込んだのだ。そして、強引に領土拡張を展開してきた。
日清、日露、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変、日中戦争、太平洋戦争へと、広島・長崎の原爆投下で終結するまで、77年間は戦いが続いた。
この77年をもつて日本人は外国人から、「戦争好きの国家、国民」に思われてしまったのだ。戦争を知らない私たち世代すら、そんな目でみられている。
だれがこんな国家にしたのだ。そう叫びたいのは私たちだ。
岸元首相、佐藤栄作、安倍現首相と、戦後も長州から歴代首相がでている。安倍首相は東京生まれにしろ、基盤は長州閥の流れを汲んでいる。
明治の軍功・元老といわれる山方有朋などの長州閥が軍部・政治の核を動かし、日新、日露という大戦争を引き起こしたのだ。中国・韓国は別段、日本に何も悪いことをしていないのに。安倍首相に長州の血があればこそ、「先の大戦の謝罪」だけでなく、「明治からの77年の謝罪」がもっとも相手国の心につたわるし、美くしくひびく。ある意味で、長州人だから、チャンス到来なのだ。
太平洋戦争の末期には焼夷弾で、日本列島の町が数多く破壊されてしまった。親を失った戦争孤児たちは食べられず、大勢が餓えて死んだ。原爆孤児もしかり。満洲から引き揚げて棄てられた子供もいる。
その過酷な状況のなかで、生き残った子どもが、いっさい戦争をせず、戦後70年間の平和を築いてきたのだ。
ABCラインの経済封鎖があった。だから、太平洋戦争へ突入したと正当化する影の声は多い。それはちがう。いま現在で考えてみればわかる。北朝鮮の拉致問題にしろ、クリミア問題のロシアにしろ、経済制裁や経済封鎖を課しているのだ。
他人の領土に「満洲国」という国をつくれば、世界中からバッシングを受けて当然だし、国際連盟から制裁が課せられるのはあたりまえのシナリオだ。
満洲国家設立は、日本の自我・自欲からでてきたものだ。「ロシア南下政策を防ぐ」そんな口実が当時の政府にあったにしろ、千島・樺太からのロシア南下政策を止めると言い、中国が北海道のど真ん中に「別の国家」をつくったら、日本人はどういう感情になるだろうか。
外国の痛みはつねに自分たちに置き換えてみると、よくわかる。
バルチック艦隊だって宣戦布告もなしに、不意打ちをした。ウラジオストックに海軍を移動していただけなのに。パールハーバーだって、不意打ちだ。日本はつねに宣戦布告がなく、戦争を起してきた国なのだ。だから、戦争勃発初期はやたら勢いが良い。当時の政府は、勝った、勝った、と戦争宣伝に使ってきた。
戦後50年間、私たちは飢えた国土で、皆して立ち上がり、税金で賠償もしてきたし、新幹線、家電、自動車、環境汚染対策、世界の文化・科学に寄与した。
北方四島は1945年8月15以降に、旧ソ連によって施政権が奪われた。沖縄にしろ、米国に施政権を奪われた。竹島も韓国が占領している。
過去の日本ならば、施政権奪還の戦争をしただろう。私たちは、つねに領土権を主張しながらも、外交の話合いで施政権の返還をもとめている。
私たちいま町なかを歩いている人は、一人も銃を持って外国人を殺していない。世界でも数少ない「平和主義」に徹した、光り輝く世代なのだ。
「先の戦争の謝罪」という太平洋戦争だけで処して、私たちの後に続く世代に引き継ぐと、歴史誤認を与えてしまう。ここらが現政治家たちの勇気である。
怖がることは何もないのだ。明治からの77年を謝罪したところで、私たちは日本人は決して海外から侮れないだろう。
むしろ、すっきりした状態で、次世代に歴史的事実が送り渡せるだろう。