クリスマス・イブの神社仏閣は閑散なり=広島・宮島
中國新聞の文化部の記者と、12/24の午後から取材に同行することになった。広島入りしてから、前泊は宮島に宿泊した。
幼い頃から宮島はなんどもきたが、宿泊は初めてだった。夜の散策に出かけてみた。
厳島神社が満潮の海面に浮かぶ。だれもが幻想的だと思う。
私が育った瀬戸内の島にも、厳島神社がある。「十七夜祭」で、宮島の「管弦祭」と同一日だ。祭りの夜の華やかさを知っているので、この程度か、という想いだった。
むしろ、久しぶりに見る夜空の星のきらめきの方が感動した。
世界遺産となった宮島は、世界中からハイ・スクールの生徒が集まり、若者で大混雑している。そんな気持で朝の海岸を歩いた。おどろくほど閑散としていた。
そうか。きょうは12月24日はクリスマスイブだ。行くなら教会だろう。
社寺仏閣には用がない。
神社仏閣の社務所はいつもならば拝観料を求める人で、長い行列ができる。
窓口の人は「1人でも十分だ」という顔で、3人が退屈そうにしていた。
世界遺産の宮島は、海外で、評判が良い。ふだんは観光客の頭越しにシャッターを押す。
こんな人のいない空間の厳島神社は初めてだ。
「写真エッセイ教室」では、受講生につねに人を入れなさいと指導している。
殆ど人がいない場合は、しかたないな、と改めて思う。
額縁の撮影方法で、能舞台を撮った。
日本人かと思いきや、確認すると、アジア系のカップルだった。
観光地・宮島は観光客の群れを見にくるほど混雑している。
クリスマスイブは、町の空間を見に来たようなものだ。
「大聖院」はやや高台に位置する。瀬戸内の美観を鳥瞰(ちょうかん)できる。本来ならば、ここから海を見て撮影するスポットだ。
この日ばかりは、こんなにも人のいない寺の方が被写体として価値があった。
寺は石碑を金箔塗りなど、正月準備で忙しい。社務所の札所は無人だった。
「盗まれないのかな、不用心だな。でも、日本人は盗んでまでも、お守り袋を身につけたいと思わないはずだ」
そこらは計算ずくで、札所はだれも管理していないのだろう。
水子地蔵たちは、もう正月用の真新しい帽子を被せてもらっていた。
子どもと鹿はともに暇そうだ。
鹿にすれば、餌をもらう人間はほとんどいないし、歩くだけ体力を消耗する。
子どもが寄りかかっても、好きなようにさせている。
「ぼく、鹿にはシラミがいっぱいだから、あとから痒(かゆ)くなって大変だよ」
そう教えたかったけれど、『動物と戯れる』ほうが子どもには、良き思い出になるだろう。余計なことだとアドバイスはやめることにした。