無冠の帝王 最後の大物・小中陽太郎さん「第1回野村胡堂賞」受賞
1月31日、浅草ビューホテル「飛翔の間」で、「第1回野村胡堂賞」(主催・日本作家クラブ)の受賞式が開催された。受賞者は小中陽太郎さんで、作品は『翔べよ源内』(平原社刊)である。平賀源内の一生に光を当てた、魅力あふれる時代小説だ。
第1回の文学賞は名誉あるもの。と同時に話題性がある。報道陣、著名な来賓者、文学仲間がたくさんお祝いに駆けつけていた。
野村胡堂はロングセラー「銭形平次」で有名であり、神田明神には碑もある。ストーリー立ても江戸下町・浅草が舞台のひとつになっている。それだけに来賓者には、浅草に縁がある芸能、舞台、寄席関係者が多かった。
小中さんは日本ペンクラブ理事であり、文壇の大御所だ。授賞式で、「無冠の帝王」と聞かされて、えっ、と驚きを覚えた。プロ作家のほとんどはなにかしら文学賞歴がある。それだけに、小中さんは胸に秘めた思いがあったのか、壇上ではふだんに増して微笑みがあふれていた。
同賞の審査委員長の奥本大三郎さんは、挨拶のなかで、
「野村胡堂は仏文のインテリです。小中さんも東大卒の仏文の教養人です。源内は理系と文系の両道の人でした。源内がしっかり描かれた作品です」
と評していた。
小中陽太郎さんは受賞挨拶のなかで、
「子どもの頃は鞍馬天狗、銭形平次、ロビンソン・クルーソーが愛読書でした。源内は四国出身の才能に満ち溢れる人物。他藩に召し抱えられること相成らぬ、と申し渡されていただけに、多彩な才能・発明のなかで、戯作で憂さ晴らした面がある」
と源内の生き方にふれていた。
井出孫六さんの祝辞があった。
「私は若いころ、執筆活動で半年間ほど秩父に住んでいました。現地・荒川などよく知っています。荒川上流の秩父金山でも活躍した源内が、しっかりした取材で描かれた作品です」
と称賛していた。
祝賀会は、世志凡太さんの司会進行で行われた。乾杯は林家木久扇(落語家)である。ベ平連など市民運動のよしみで菅直人元首相も飛び込みで出席し、挨拶された。(写真)
受付をしていた作家・瀧澤陽子さんが、とつぜんSPが来て「小中さんの受賞会場はこちらですか」と聞かれたから、戸惑った。菅さんのネーム・プレート間違っちゃったとユーモラスに語っていた。
祝辞をされた井出孫六さん(作家)は、私が受賞した地上文学賞の選者で、よき選評をして下さった。覚えているかな、受賞作「千年杉」を。お話をしたかったけれど、他の仲間と話しているうちに退席されていた。
私と小中さんの縁は『翔べよ源内』である。同執筆をされていた頃、PEN広報関係で目黒で落ち合った。「源内のゆかりの地だよ」と小中さんが都立庭園美術館・目黒自然教育園に案内してくれた。
2人して庭園内を散策しながら、作品の着想を聞かされた。その後は、私が持っている秩父情報とか、立石で飲みながら、葛飾区の荒川の昔とか、文京区の浮世絵研究者をご紹介するとか、こうした縁がある作品だけに、受賞はとてもうれしい朗報だった。
アトラクションとして、薩摩琵琶の櫻井亜木子さん、新国劇流殺陣と演舞の滝洸一郎さん、浅香光代さんのスピーチとか、元法大応援団長のエールとか、多彩な祝賀だった。
二次会は近くの居酒屋で、約30人ほどが集まり、物まね「野口寅次郎」さんが飛び込んでくるなど、楽しい歓談だった。