かつしか区民記者が、東京下町・四ツ木の魅力を発掘取材する
「かつしかPPクラブ」は区民記者の集まりである。かつしか区民大学の養成講座を終了した、1期生から3期生で構成されている。
年1回は日曜日を選び、全員が1日かけて共同取材する。
2013年は葛飾・四ツ木地区である。
「きょうは人間とのかかわりがある、ポイントを見つけてください。ガイド記事にならないように。後日、個々に取材する、その予備調査だと考えてください」と留意点を述べておいた。
5月19日(日)は、午前中~午後はやや曇り空だった。「四ツ木・取材ツアー」は、強い直射日光でなく、初夏の花が満開の取材びよりだった。
公園では日曜日で、親子連れが目立った。
楽しそうな一家は、よき被写体になる。
「四ツ木ツアー」には、岡島古本屋の主・岡島さんを介し、石戸暉久(いしど てるひさ)さんにお願いした。
石戸さんは彫金師の職人である。本業の一方で、「木根川史料館運営委員会」のメンバーとして、町案内のボランティア活動を行っている。(写真・中央で、指差す人)
来月から「かつしかFM」で1時間番組を持つと、自己紹介していた。
四ツ木地区は、終戦直後から映画館も多く、繁栄してきた町だ。いま7~8割は店を閉じた、シャッター街である。
そのなかでも、頑張っている店舗もある。
東京下町・葛飾の特徴は、京成電車の踏切である。最近は高架線になり、その姿は消えていく。
平和通りには、いまだ堂々と電車の踏切音がひびく。この音こそ、下町の音である。
店頭に豊富な衣料品がならぶ、がんばる洋品店があった。ここから約300mのところには、衣料品が特に強い、巨大なスーパーマーケットができている。
それでもがんばれる店には、下町・商売人の根性が感じられる。
「いつまでも、がんばれよ」
そんな声援を送りたい。
右手の道路は、1911(大正元)年に開通した、京成電車が走っていたところだ。
荒川放水路の完成すると、電車が川を越えるために、鉄橋ができた。そのために線路を移設させた。その線路跡が道路になった、と説明を受けた。
わずか一軒分を挟んで、2つの道路がある。めずらしい地形となった。なにかと区画整理と言い、合理性が求める世の中にあって、新旧を共存させた、その知恵はとても好いね。
むかしの病院はこうした造りだった。
ビルに入った病院よりも、なにかしら医師には人情味が感じられる。
患者の心まで診てくれる人だろう、きっと。
鉛筆工場の壁面には、巨大な鉛筆が描かれている。
これぞ下町のシンボルになる、町工場だ。
見るほどに、微笑ましい。
ガイド・石戸さんの家は大正時代に建築されている。
内部を見せてもらう。イラストも上手な多彩な人だ。
講談師がきて、月に一度はこの家で演じるという。観客は30人くらい。
他にも催し物があるようだ。賑やかな集まりが好きな性格だから、できるのだろう。
白髭神社は例大祭だった。偶然のめぐり合わせで、運がよく、葛西囃子の舞台を観ることができた。
区民記者たちは宮司にインタビューする。
脇で聞いていると、葛西囃子の発祥の地はこのあたりらしい。明確な文献はないけれど……、と話す。
神輿が出ない「裏」祭りだから、閑散とした境内だった。
それでも、近所の若夫婦が赤子を連れてお参りにきていた。
古い街で、ひときは古い町工場だ。
「案外、この工場でジャンボジェット機の部品を作っているかもね」
区民記者の目の付け所に感心した。
近代医学が発達する前は、「四ツ木の灸」は全国的に有名だった。
いまでも営業しているから、立派なものだ。
百草(もぐさ)に火をつければ、血行が良くなる。それは理にかなっている。
子どもが悪戯して、お灸をすえられる。これも理にかなっていたが、それは廃れてしまったようだ。
木根川商店街は何度かその名を変えてきた。看板にはその痕跡がある。
いまなお商店街は生き長らえている。入口には床屋がある。昼時はラーメン屋も流行っている。有名な相撲部屋でちゃんこ鍋を作っていた料理人が独立し、ここで店を出している。
がんばれる人がいる。それを感じさせる商店街だ。
荒川河川敷は東京スカイツリーの撮影ポイントとなった。
ここは大災害の広域避難地区である。穂高健一著『海を憎まず』を読んでいる記者たちが、大地震=大津波が東京湾を襲ってきたら、こんな河川敷に避難すれば、皆死んじゃうよ、と話す。
下流に位置する平井水門は上流からの洪水対策である。東京湾からの遡る大津波だと吹き飛ぶよ、と語っていた。
たしかに、3・11の大津波は三陸の頑丈な防潮堤をことごとく破壊した。
「かつしかPPクラブ」全員の集合写真である。
味気ない写真だけど、私しか撮っていないので、掲載するしかないか。
この「四ツ木取材ツアー」だけで、ご苦労さま、解散とはいかない。
東立石地区センターに移り、午後2時半から5時まで、記者たちが提出した『かつしかにこの人あり』の講評である。講師のコメントだけでなく、それぞれインタビューの苦労談も語り合った。
青木葛飾区長の独占インタビューなどもあり、区民記者はその力量を高めてきた。