A010-ジャーナリスト

かつしか区民記者が、東京下町・四ツ木の魅力を発掘取材する


「かつしかPPクラブ」は区民記者の集まりである。かつしか区民大学の養成講座を終了した、1期生から3期生で構成されている。

 年1回は日曜日を選び、全員が1日かけて共同取材する。


 2013年は葛飾・四ツ木地区である。

「きょうは人間とのかかわりがある、ポイントを見つけてください。ガイド記事にならないように。後日、個々に取材する、その予備調査だと考えてください」と留意点を述べておいた。

 5月19日(日)は、午前中~午後はやや曇り空だった。「四ツ木・取材ツアー」は、強い直射日光でなく、初夏の花が満開の取材びよりだった。

 公園では日曜日で、親子連れが目立った。

 楽しそうな一家は、よき被写体になる。

「四ツ木ツアー」には、岡島古本屋の主・岡島さんを介し、石戸暉久(いしど てるひさ)さんにお願いした。

 石戸さんは彫金師の職人である。本業の一方で、「木根川史料館運営委員会」のメンバーとして、町案内のボランティア活動を行っている。(写真・中央で、指差す人)

 来月から「かつしかFM」で1時間番組を持つと、自己紹介していた。

 四ツ木地区は、終戦直後から映画館も多く、繁栄してきた町だ。いま7~8割は店を閉じた、シャッター街である。
 そのなかでも、頑張っている店舗もある。


 東京下町・葛飾の特徴は、京成電車の踏切である。最近は高架線になり、その姿は消えていく。

 平和通りには、いまだ堂々と電車の踏切音がひびく。この音こそ、下町の音である。



 店頭に豊富な衣料品がならぶ、がんばる洋品店があった。ここから約300mのところには、衣料品が特に強い、巨大なスーパーマーケットができている。

 それでもがんばれる店には、下町・商売人の根性が感じられる。

 「いつまでも、がんばれよ」
 そんな声援を送りたい。


 右手の道路は、1911(大正元)年に開通した、京成電車が走っていたところだ。

 荒川放水路の完成すると、電車が川を越えるために、鉄橋ができた。そのために線路を移設させた。その線路跡が道路になった、と説明を受けた。

 わずか一軒分を挟んで、2つの道路がある。めずらしい地形となった。なにかと区画整理と言い、合理性が求める世の中にあって、新旧を共存させた、その知恵はとても好いね。

 

 

 むかしの病院はこうした造りだった。

 ビルに入った病院よりも、なにかしら医師には人情味が感じられる。

 患者の心まで診てくれる人だろう、きっと。



 鉛筆工場の壁面には、巨大な鉛筆が描かれている。

 これぞ下町のシンボルになる、町工場だ。

 見るほどに、微笑ましい。



 ガイド・石戸さんの家は大正時代に建築されている。

 内部を見せてもらう。イラストも上手な多彩な人だ。

 講談師がきて、月に一度はこの家で演じるという。観客は30人くらい。

 他にも催し物があるようだ。賑やかな集まりが好きな性格だから、できるのだろう。


 白髭神社は例大祭だった。偶然のめぐり合わせで、運がよく、葛西囃子の舞台を観ることができた。

 区民記者たちは宮司にインタビューする。

 脇で聞いていると、葛西囃子の発祥の地はこのあたりらしい。明確な文献はないけれど……、と話す。


 神輿が出ない「裏」祭りだから、閑散とした境内だった。

 それでも、近所の若夫婦が赤子を連れてお参りにきていた。

 


 古い街で、ひときは古い町工場だ。

「案外、この工場でジャンボジェット機の部品を作っているかもね」

 区民記者の目の付け所に感心した。

 近代医学が発達する前は、「四ツ木の灸」は全国的に有名だった。

 いまでも営業しているから、立派なものだ。

 百草(もぐさ)に火をつければ、血行が良くなる。それは理にかなっている。

 子どもが悪戯して、お灸をすえられる。これも理にかなっていたが、それは廃れてしまったようだ。



 木根川商店街は何度かその名を変えてきた。看板にはその痕跡がある。

 いまなお商店街は生き長らえている。入口には床屋がある。昼時はラーメン屋も流行っている。有名な相撲部屋でちゃんこ鍋を作っていた料理人が独立し、ここで店を出している。

 がんばれる人がいる。それを感じさせる商店街だ。

 荒川河川敷は東京スカイツリーの撮影ポイントとなった。

 ここは大災害の広域避難地区である。穂高健一著『海を憎まず』を読んでいる記者たちが、大地震=大津波が東京湾を襲ってきたら、こんな河川敷に避難すれば、皆死んじゃうよ、と話す。

 下流に位置する平井水門は上流からの洪水対策である。東京湾からの遡る大津波だと吹き飛ぶよ、と語っていた。
 たしかに、3・11の大津波は三陸の頑丈な防潮堤をことごとく破壊した。



「かつしかPPクラブ」全員の集合写真である。

 味気ない写真だけど、私しか撮っていないので、掲載するしかないか。

 この「四ツ木取材ツアー」だけで、ご苦労さま、解散とはいかない。

 東立石地区センターに移り、午後2時半から5時まで、記者たちが提出した『かつしかにこの人あり』の講評である。講師のコメントだけでなく、それぞれインタビューの苦労談も語り合った。

 青木葛飾区長の独占インタビューなどもあり、区民記者はその力量を高めてきた。

 

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