希望・中学生のカキ養殖体験・収穫(中)=陸前高田市
陸前高田市の3校合同・中学生カキ養殖体験の第1陣が帰ってきた。
さあ、水揚げだぞ。
カキは思いのほか重い。一つ当たりのカキ殻の自重はあるし、そのうえ海水がついている。
中学3年生たちはカキ・カゴを次つぎに漁船から岸へと揚げていく。
報道陣はここぞとばかりに、ビジオやカメラにおさめる。
夕方には放映されるし、翌朝の新聞には競って載る。中学生のカキ収穫は、被災地では数少ない、明るい話題だ。明日への希望になる。
第2陣が沖合のイカダへと向かう。
この漁港には2隻のカキ漁船しか残らなかった。3校の生徒全員を一度に運べず、イカダまで折り返す。
陸上では先生たちが手を振って見送る。カキ作業場の、漁師「浜の女」たちもいた。
PTA(親)がいない。それが東京など大都会と違うところか。
親が津波で流されて亡くなった生徒もいるけれど。
漁船は岸を離れると、スピードを上げていく。
生徒たちをみていると、真剣な表情で沖合を眺めているもの、船酔いを怖れて下向きの生徒など、さまざまだった。
女子ばかりを乗せた、カキ漁船とすれ違う。
第1陣の2番手のカキ漁船だった。
カキ・ロープを引き揚げる作業に入っていく。
熊手に似たフックには、7つのカギ先がある。そこにカキ・ロープ一本ずつを引っかける。
そして、イカダから海中に吊すロープを引き揚げるのだ。
中学生たちのローブは、カキ10個/1本ロープあたりだから、最大限70個のカキが一度に引き揚げられることになる。
イカダのうえで、生徒にずいぶん気配りしている人物は教師かと思っていた。若手の漁師だった。
米崎漁港には、20代、30代の跡取り漁師がいる。だから、震災後の復興への道を歩めているのだ。
熊手型のフックに引っかけられた、7本のロープが引き揚げられてくる。
生徒は感無量だろう。
感激よりも、まずはボクのローブは? 私のロープはいつ揚がってくるのかしら?
そちらの期待の方が強いかもしれない。
生徒たちがイカダから漁船にもどってくる。
海に落ちたら死ぬぞ。そう漁師から言われているだけに、へっぴり腰だった。
仕方ないことだ。
船上には収穫されたカキがいちだんと増えてくる。
教師が、教育カリキュラムの一環だから、カキの諸々の特性を語っていた。、
「どうでした? カキの体験学習は」
女性ジャーナリストから質問を受ける、男子生徒はまじめな顔で、しっかりした口調で応えていた。
この丸籠の中に入っているカキは、ローブにつるされていない。なぜか。
3・11大津波で、広田湾のカキ養殖イカダはことごとく破壊されてしまった。杉丸太もカキロープもバラバラで、ガレキとなった。
海岸から多少なりとも拾い集めた稚貝・カキがあった。それを丸籠に入れて、養殖してきたものだ。
この海域ではカゴの漁法がない。
それだけに、丸カゴから、震災の深い傷跡が読み取れた。
第2陣は収穫を終えて帰路につく。漁船の船側から高い波しぶきを被っても、男子生徒たちはやたら明るい。むしろ、波自体と楽しんでいるようだ。
彼らの笑顔が高田の希望だろうな、と思えた。
米崎の岬が見える。変哲ない景色に思える。私が小説3・11『海は憎まず』(2013年3月末日刊行予定)の舞台にした、1か所である。
ストーリーのなかで、「16.4mの津波だった」という漁師の話から、津波の高さを検証していく、場面である。
海辺に家がないのは、家屋がすべて流されたからである。
朝と昼との、狭間の太陽が真冬の海を照らす。
生徒たちは寒さなど口にしないで、元気に上陸してきた。
水揚げされたカキはこれから作業所に運ばれていく。二人一組でカゴを運ぶ中学生たち。
先生方も、漁船からカキ作業場へと運んでいく。
生徒たちから目を外し、真横の防波堤をみた。震災前は、この4.5mの巨大堤防は津波に対して絶対大丈夫だといれてきた。
しかし、巨大な堤防がかんたんに倒壊した。そのときの爪痕のままだった。
これら設計に関与した人物はいまどうしているのかな、名乗り出ないだろうな、と思った。
震災復興が遅れている。まる2年にして、米崎漁港の波止場の作業がはじまっていた。
どんな工事だろうか。
のぞきに行ってみた。
岸壁づくりだった。
復旧と、復興は違う。それが官庁の考え方だ。「復興」は明確な計画がなされていないと、認可されない。
「復旧」は元通りにすること。予算をつけるときには、プラスアルファー(+)の工事は一切認めない。
だから、元通りにしても、次なる大津波対策にはならない。
3・11から2年経っても、真冬でも、ボランティアで通ってくる人はいる。まさしく鍛えられた本物の精神力だ。
震災直後は、震災報道を見て「気の毒」「可哀そう」という気持ちで、ボランティアにやってきた、大勢のひとは2-3回の現地入りで終わっているようだ。
被災地では、それはそれでずいぶん役立ったと言う。
前回みたボランティアはイカダづくりの活動だった。こんかいは皆が土運びをしていた。
首都圏から来た人たちだった。
女性たちはきっとふだんオフィス・ワークで、こうした肉体労働はしていない、と思えた。
顎があがり加減だったから。
だけど、みんな懸命に取り組んでいた。
ここ2年間は何度も、何度も、来ているのだろうな。 【つづく】