A010-ジャーナリスト

日本古来の「朝市」を発見、被災地の大船渡で=写真で買い物

 取材で出向いた大船渡市で、思わぬ朝市を発見した。

 朝6時半ころ、現地入りし、朝食が取れる場所を探していた。まったく予備知識もなく、路地横の朝市を見つけた。

 それがあまりにも偶然だっただけに、感慨深いものがあった。


 買う人はすべて地場の人である。

 観光客は1人としていなかった。

 それだけに生活密着そのものの朝市だった。

 
 場所は、大船渡・盛(さかり)である。

 JR大船渡線が壊滅的な打撃を受けて盛駅は営業していない。その駅近くの路地にある、朝市だった。



  この朝市は江戸時代から始まった、200年もの伝統があるという。

  これだけの品数で、商売になるのかな。そうした都会感覚で、みると間違いかもしれない。

  これを売ったお金で、何がしらの物を買って帰る。

  物々交換に近いのだろう、と勝手に解釈した。


 被災者にとっては、履物も貴重なもの。下駄箱もすべて流されてしまっているからだ。

 生活費に余裕がない。シーズンごとに必要最小限のものを買う。それが現地の人たちの実態だ。

 もう冬が近い。大変だろうな。



 農工具の店に立ち寄る客は、きっと機械化の大型農業とは無縁の小規模農家だろう。

 5日、10日、15日日、20日、25日、30日に開かれる。

 2月は28日か、29日の最終日だけれど、「この時は客がこないんだよね」と話す。



  

 鍬(くわ)、鋤(すき)がまだ商売になる。

 見た目にも、農家の方だという方が、のぞいていた。


 農婦はひたすら無言でお客を待つ。決して呼び込みはしない。日本の原風景・座だろう。

 ボランティアが入った、派手な朝市とは違う。

 「被災」を売り物にした、都会風の仮設店舗の朝市とは違う。

 この朝市の出店料は200円らしい。



 朝市のなかで、最も若い売り子のひとりかな。

 愛想よく、感じの良い女性だった。話を聞けば、被災前は大きな店構えの若奥さんだったらしい。


 


 鎌、包丁などの店が多い。南部鉄から生産される工具、刃物はかつて栄えた岩手の産業だった。

 いまでも学校の教科書で、岩手の特産品と教えているのだろうか。


 腰の曲がったおばあさんにすれば、広い店構えだった。

 これだけ並べるにも、苦労しただろうな、と思ってしまう。

 その実、まだ一部を並べ替えしていた。



 正月飾りの赤い実をつけた木が売られていた。

 「なんぼ?」

 「500円」

 「もっと、高く売れるよ。1000円でもいいんじゃないの」

 そんな会話がなされていた。


 本場大船渡だけに、サンマはとても安い。東京の半値くらいだ。

 生きの良いサンマを買いにきた人を見ていると、
「朝から、生きの良いサンマが食べられるのだろうな」
 とうらやましかった。


 200年の伝統ある朝市は、内陸地からも農家の方が売りに来て店を出す。

 内陸と海岸との交流の場として、江戸時代からはじまり、大正時代に公認された朝市だ。


「ガンズキ」小麦饅頭。初めて見たし、買ってみた。あっさりした味の饅頭だった。

 こうした味にふれられる。快い朝市だった。 


 「何を切るのだろうな」

 工具の名まえは知らないし、用途すらもわからなかった。

 それでも、眺めているだけでも、農事の方々の汗水が想像できる。



 煮干しを枡(ます)売りする。江戸時代からの量目はこれだった。

 時代が進み、計量器を使うようになってから、忘れていた「枡売り」だ。

 それを思い出させてくれた。


 
 彼女も、被災した一人だった。

「素人集団ですが、9月24日より、豆腐を作って販売できるようになりました」と語る。

岩手県産大豆を100%を使った、昔懐かしい「おぼろ豆腐」が350円だった。飽和剤を一切使わず、伊豆大島のにがりを使っていると、製造方法を熱心に教えてくれた。

 店休日はこれから決めていく、という生まれたての豆腐屋さんだった。

問合せ先:畑中商会0192-42-3258(営業11:30~4:30)
 

                  撮影日:2012年10月15日

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