A010-ジャーナリスト

神田松鯉襲名20周年と古希を祝う会=東京

 9月28日、講談師の神田松鯉(かんだ しょうり)さんが誕生日を迎えた。今年70歳の古希である。と同時に、3代目の松鯉を襲名し、記念すべき20年を迎えた。双方を祝う会が、東京千代田区・東京會舘11階シルバールームで行われた。

 本名は渡辺 孝夫(たかお)さん、群馬県・前橋市の出身である。

 講談、落語など演劇界の方々、松鯉さんを師と仰ぐ生徒たち、俳諧人など幅広く、約200人ほどが集まった。松鯉さんは日本ペンクラブの会員で、世界フォーラム、世界ペン大会で、文学作品の朗読を行い、その名が広く知れ渡った。PEN会員からも約25人ほどが参加した。

 同会場では、スライドショーによる、講談師の歩みが紹介された。
 劇団文化座に入った。その後、2代目中村歌門に入門し、1970年には2代目神田山陽に入門し、神田陽之介となった。92年には3代目神田松鯉を襲名した。
 他に1980年より「ビジネス講談」を行い、小笠原への船旅研修の講師なども務めている。
 現在は、日本演芸家連合の理事である。

1978年、第6回放送演芸大賞ホープ賞受賞。
1988年、文化庁芸術祭賞受賞。

 会場では、松鯉さんが参加者たちの要請と拍手で、催促されて、「平家物語」の屋島の戦いの、那須与一の扇の的を射る。名場面を5分間披露した。
「本来は30分ですが」と笑わせていた。

 即興だったことから、縁台が人手のテーブルだった。実に、ユーモラスな光景である。さすがに芸人たちだと感心させられた。


 同会が終了後、PENのメンバー、吉岡忍さん、高橋千劔破(ちはや)さん、相澤与剛さん、大原雄さん、ととり礼治、堀さん、それに事務局の高田幸子さんが、隣のビルのスナックに入り、PEN創設期の文人の話題や、演劇について語り合った。

 PEN会報で、創設期の人物の隠された素顔、別の顔なども連載してもいいんではないか、やろうよ、と吉岡さんは随分と前向きだった。

 高橋千劔破さんは、PEN会員の上村信太郎さんが『島崎藤村が日本山岳会員だった』と発掘しているが、そうした内容も良いね、と語っていた。
 
 松鯉さんの会で空腹が満たされているので、飲食オーダーは殆どなく、2時間ばかり語り合った。物書きだけに、文学が肴だな、と思った。
 

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