シニア演芸団『演多亭』で、大いに笑い、観せる=東京・文京
NPO法人シニア大樂(田中嘉文理事長)が創立10年目に入った。現在、講師登録が513人に及ぶ。その中から、演技、落語などエンターテイメントに長けた、プロ、セミプロたちがシニア演芸団を結成し、『演多亭』として毎年公演を行っている。
2012年公演は7月17日(火)に、東京・文京シビックホール(小ホール)で、開催された。主催・同大樂、協賛・音体操すこや会、後援・文京区である。
客席371席がほぼ満員になり、中高年層の観客を大いに楽しませた。
公演のトップバッターは、「KAKO&KAZOO」(麻里村れい、澤本博幸、松田健、中嶋卓也)のフォークソングである。
(1) パフ(ピーター・ポール&マリー代表曲)
(2) 今日も夢見る(麻里村れいヒット曲
(3) 人生の扉
(4) パワー
(5) 風に吹かれて
中高年層の観客にはなじみ深い曲から入った。それだけに観客の心を一気に舞台に引き付けていた。
奥村アッシ―(篤史)のお得意芸「どじょうすくい」である。
舞台に出てきただけで、笑いを誘う。立ち振る舞い、一挙手一投足には神経を張り巡らしているのだろうが、観る側はただ爆笑のみである。
元大手企業の社員だった、と紹介があった。現役時代はきっと接待の余興も得意だったのだろう。
川上千里の「バルーンアート」で、ハーモニカを吹きながら、両手でゴム風船の芸を披露する。ミッキーなど多種多様なものかぎできてくる。
ちなみに、現役の薬剤師だという。
舞台が本業か、調剤が本業か、観ている範囲内ではどちらにも軍配が上がる。
完成したバルーンは芸術性が高い。その都度、観客にさしむけていた。
吉川幹夫の「面踊り」も、これまたユーモラスである。
かつて農繁期には、こんな農夫が朝から晩まで畑に出て、懸命に働いていたのだろう。それが伝統芸能となり、現在に伝わっているのだ。
厳しい労働すらも、愉快な踊りにしてみせる。日本人の血はもともと明るいのかもしれない。
奥村アッシ―(篤史)、川上千里、吉川幹夫の三人トリオによる、「南京玉すだれ」である。
3人は別々の流派である。打ち合わせも、予行も、ほとんどなく、ぶっつけ本番だから、なんとも呼吸が合っていない。失敗続きだから、これまた観客が喜んでしまう。
スダレが開かないとなると、「待っててやるから、取り換えな」と観客から声がかかる。
「お言葉に甘えまして」と玉すだれを変える。
東京スカイツリーはなぜか見事に決まっていた。2012年の開業したツリーだから、芸人たちはより真剣になったのだろう。
山本一雄の「獅子舞」である。舞台で、獅子が踊ったり、みかんを食べたり。そのみかんの皮を吐き出したりするうち、実在する動物に思えてくるから不思議だ。
終戦直後まで、正月になると、獅子舞が各家庭を回っていた。こうした町の風物詩から消えてしまったが、いまでは芸人たちが伝統芸能として伝えている。
山本一雄の「奇術」で、夜叉面を取り出す。怖さを演じてみせる。
山本は病で声帯をなくし、語ることはできない。手品師ならば、ことばでごまかす話術も必要かと思う。だが、そのハンディーを超えた、絶妙な奇術を展開してくれた。
この芸人を観ていると、人間の可能性は奥行きがある、と強く思う。一つ二つのハンディーなど、理由にしてならない。何事も工夫すれば克服できる、それ以上のことができる、と山本は教えてくれているようだ。
風雅こまちは「みんなで楽しく音体操」である。第一部のラストシーンである。会場の雰囲気が一気に盛り上がる。と同時に、舞台と観客席との距離感がなくなった。
風雅は、観客に座ったままの体操を促す。さらには左右の人たちと、「夏も近づく八十八夜、ぽんぽん」と手を合わせさせて、親しみを増加させていく。
山の絵図を持ち込み、等高線に沿って歌う。それがまた楽しい。
大空メイは話術と似顔絵による、政治風刺である。落語シアターの演目は「饅頭こわい」である。
彼女は元スチュワーデスで、笑顔がとても魅力的だ。笑みを浮かべながらも、スクリーンに映し出された政治家たちをコケにし、持ち上げたり、突き落としたりする。
政治家たちは古今東西、風刺の世界の主役だ。常に批判される。政治のトップに立てば、すぐさまバッシングされる。それでも、政治家になりたいようだ。
権力とカネと、あとは何の魅力なのかな? 大空の話術のなかに、その回答があったのかもしれない。
三遊亭三久の落語の題目は「ぜんざい公社」である。
お役所の認可制度を愉快にデフォルメした、噺である。主人公・男性はがぜんざい(汁粉)一杯を食べるために、ある店に入ると、許可を取り揃えてきてもらわないと、ぜんざいは食べられないといわれる。
「米穀通帳」で、もち米を買わされる。小豆を買うためには「穀物取引許可」がいる。鍋で煮炊きするには、消防署で「火気使用許可書」を取ってきてもらわないと火が熾せない。さらには保健所の「食品営業許可」もいる。
これら各省庁の出先機関の窓口が一か所にあるわけではない。主人公は合同庁舎のエレベーターや階段で上へ、下へと動き回る。
時には、この地区の管轄は本省でなく、出張所だといわれる。乗り物を使って出向き、許可を取り、戻ってくる。
挙句の果てにはゼンザイが食べられる場所がとてつもなく遠い場所だという。
ここまで許可を取りそろえたから、破れかぶれで出向くと、そこにむ落ちがある、という落語のストーリーだ。
戦後の混乱期の日本、かつてのソ連など統制国家を想い起させる内容だった。観客は笑いながらも、現在も「お役所仕事」において横の連絡がみじんもない、世相を感じ取ったのではないだろうか。
三遊亭花王はフリー・アナウンサーである。一方で、ここ数年は落語に取り組んでいる。演目は古典落語で有名な怪談もの「お菊の皿」である。
麹町の旗本屋敷で、お菊なる美人女中が奉公していた。家人が惚れたけれど、お菊はまったくなびかない。逆恨みした家人が家宝の「十枚組の皿」のうち一枚を隠し、お菊に盗みの罪を着せたうえで、絞殺し、井戸へ放り込んだ。
ところが、お菊は幽霊となり、家人をを殺し、屋敷すらも荒れ果ててしまった。
物好きな江戸っ子たちが幽霊見物に出かける。井戸の前で陣取っていると、お菊が現れる。「一枚……二枚……」の皿を数えはじめる。9枚まで聞くと狂い死にすると言い、6枚で逃げ帰る。
スリルがあって面白いと、噂が噂を呼び、皿屋敷は大勢の人でごった返す。お菊もすっかり乗せられてしまい、やってくる客に愛嬌を振りまきだす。
「一枚……二枚……」いよいよ6枚、野次馬たちは混雑のせいで動けない。逃げられない。お菊の皿数えが、なぜか止まらない。とうとう18枚までやってしまった。
あ然とした野次馬が「なぜ18枚まで数えちゃったんだい?」
「明日はお盆でございます。休みますので、その分も含めました……」
夏には怪談ものの落語が旬だ。落語家・花王が愛嬌よく、18枚まで数えていく。身ぶり、手ぶり、話し方から、お菊の有頂天さがリアルに伝わってきた。
若林一声は総合司会者である。と同時に、漫談を行う。
「私は別名、老人ホームのプリンスです」と笑を取り、それからは観客を一気に爆笑の渦にさせてしまう。時事問題から、体験、聞いた話なども、なんでも漫談にしてしまう。
『ただ笑っただけで、何を話されたんですかね』
観客がそう話すほど、心につよく印象に残るものがない。内容がない。ひたすら笑って楽しんでいただければ、それでよし。それが若林の漫談の妙技なのだろう。
大トリは、柳家小団治の落語である。観客をみて、その日の演目を決めるという。
観客を魅了する、名人芸である。顔の表情は多彩である。その上、扇子の持ち方、手ぬぐいの使い方においても、噺家の息遣い(間合い)と相まって、あらゆる道具に変身してしまう。
1970年に6代目小団治を襲名。79年には真打に昇進している。後輩指導にも熱心で、学習院大学、東京農業大学でも指導をしている。
小団治は落語の顔だけでなく、10歳から剣道を始め、中央大でも剣道部で活躍し、現在は剣道7段である。
午後1時30分からはじまり、3時間はタップリ楽しんできて、フィナーレとなる。
全員で「ふるさと」合唱する。指導は佐々木菜穂子
支配人:川上千里
総合プロデュース:木野毅
司会:若林一声
音響と映像:桑原妙子、町田雅和、平井幸雄
アナウンス:のざききいこ(陰マイク)
他スタッフは、NPO法人シニア大樂のみで担っていた。
全員が舞台に上がり、「来年もあいましょう」と手を振った。