A010-ジャーナリスト

東京ゲートブリッジ(恐竜橋)が開通。徒歩で東京湾を楽しむ

 2012年(平成24年)2月12日に、東京湾の中央防波堤と若洲地区とを結ぶ、通称・恐竜橋の「東京ゲートブリッジ」が開通した。橋の全長は2,993mで、海面からの高さは最大87.7mである。
 2頭の恐竜が対決する姿にもみえる。

 開通前の同月4日には、『約5000人のランナーが巨大な橋を渡り初め』とメディアでも大きく取り上げられたことから、開通後は人気スポットになった。

 開通の翌日、13日(月)に出かけてみた。怪獣は子供たちが好きだから、さぞかし子連れが多いかと思えば、TV情報に敏感な中高年層が多かった。土、日曜日になれば、様相は多少違うかもしれないけれど。

 新木場駅前から「若洲キャンプ場前」行の都バスが唯一の交通手段だ。

 若洲海浜公園は海釣り施設である。知名度も低く、夏場のキャンプやバーベキューを楽しむ人が利用するていどだった。
 マイカー以外は不便で、都バスは1時間に1本。日中は2時間に1本ていど。都内でも超過疎の路線の一つ。同橋が開通する前、同公園を訪ねたが、つねに乗客はゼロか、1~5人ていどだった。

橋の開通とともに、バス停は長い列である。
「なんで、増便しないのだ」と列の人は苦情を言う。
「都のお役人は、いずれ人気が一段落すれば、もとの閑散とした路線に戻る、と見越しているんですよ。役人って、そんなものですよ」という冷めた声もあった。

 バスの終点から同ブリッジに上る施設(昇降口)までは徒歩で、5、6分である。小さな標識がいくつかある。それを見落とさなければ、難なくたどり着ける。
 ここでも、長い列だ。バスできたひとたちが上るまで、少しタイミングをずらせば、待ち時間もなくなる。後につづく人が約1時間後だから。

 昇降機(エレベーター)8階で降りれば、そのままブリッジの上で、歩道になっている。9階は展望室である。

 歩道へは若洲側から入り、対岸の中央防波堤側(海の森公園を整地中)へ向かう。ただ、降りて敷地内に入れないので、引き返す。ふたたび若洲側から出る、ワンウェーである。(トイレも若洲側だけである)
 
 このブリッジは自転車の通行ができない。車道および歩道ともに禁止、というめずらしいルールである。

 怪獣に似た橋はどこからでも、よい被写体だ。なぜか怪獣の形になったのだろうか。
 ブリッジが羽田空港に近く、航空機の運航ルートの下にあるために、橋の高さが制限(98.1m以下)されている。橋下となると、航路の制限が加わる。

 大都市の東京は大型消費地である。大型船舶が入出航している。桁下の高さも確保するために、桁下は54.6mとなった。橋の工法から、多くに見られる吊り橋や斜張橋ではなく、鋼材を三角形にしてつなぐトラス構造が採用されたのだ。

 旅客機が頭上を低空で飛ぶ。興味ある人は望遠レンズのカメラをもっていくと楽しめる。海や船舶を楽しむ人はデジカメやケータイ写真で充分である。

 東京スカイツリーや東京タワーがみえる。東京湾沿いのマンション群や周辺埠頭も美観を作っている。若洲海浜公園の眺めも良い。
 富士山は天候次第である。

 行きかう人たちは、思いのほか双眼鏡などもっている人が少ない。肉眼で十分楽しめるからだろう。

 ブリッジの車道にはトラックが多い。乗用車ともども多くが速度を落とし、橋上からの景観を楽しんでいるようだった。

 眼下には「海の森公園」は大型プロジェクトで整備ちゅうである。16年(平成28年)には都内最大級の公園となる。さらなる美観が予想できる。

 隅田川花火大会や、東京湾花火大会などは、まちがいなく絶好の鑑賞の地だ。きっとさまざまな通行規制があるだろう。
 どのていど楽しめるのだろうか。

 歩道の通行時間は10時 - 17時。夏期(7月1日 - 9月30日)の金曜日・土曜日は10時 - 20時である。

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