海外報道は間違っている、日本人に礼節などない
東日本大震災で、日本はあまりにも悲惨な状況下におかれている。海外の報道は被災地の日本人を絶賛している。「混乱や暴動や略奪はない」、「怒鳴り合いや喧嘩もない」、「日本の冷静さに世界が感心」、「日本人には秩序と礼節がある。それを見習おう」という趣旨が多い。
世界は日本に対して同情一色である。貧しい国、たとえば内戦状態のアフガンからも、「日本から見れば、たいしたお金ではないだろうが」といって、この災害に対して義援金を送ってくれる。
東北の被災した現地では、救助、救援、ボランティアの人たちが不眠不休で、被災者の救出や生命を守るために活躍している。福島の原発事故では、東電の作業員や支援部隊の人たちが、放射能による後遺症を覚悟で、「自分がやらなければ、日本人が大変になる」という武士道に似た精神で、生命をかけて原子炉に立ち向かっている。
世界が認めるように、被災地の人たちは連帯感で助け合って頑張っている。それは日本人としても誇りに思うし、賞賛に値する。
ところが多くの日本人はどうだろうか。首都圏の大手スーパーでは、開店前から消費者が行列を作り、開店と同時に、食品や生活用品を必要以上に買い込む。トイレットペーパーなどは大勢が群がり、わず1時間で売り切れてしまう。まさに、「自分の家庭さえよければ、被災者など関係ない」という身勝手な行動だ。
「なぜ、こんなことをするのか」
オイルショック時から何度も見せられてきた光景だ。うんざりさせられる。2週間か、3週間ほど待てば、トイレットペーパーは市場に出回り、やがては過剰在庫から、商品はだぶつく。スーパーは値下げ競争になっていく。それがわかっているはずなのに。
スーパーの食料品や生活用品の棚がガラガラになれば、どういう現象が起きるのか。量販店は店頭の在庫が底を突けば、即座に問屋やメーカーに大量の発注をだす。受ける各社は大手に弱い。「ここは大手に義理立てしておこう」と優先順位が決まってくる。必然的に、そうした物の流れになる。
地方の零細な小売店は仕入れ力が弱い。発注のロットが少ない。となると、最も後回しとなる。発注しても、商品が入ってこない状態になる。
被災地の住民は、避難場所や仮設住宅で救援物資を待つ人ばかりではないのだ。半壊の家に住む人、知り合いの家に身を寄せる人、それらは膨大な人数だ。そのひとたちは近在の小売店で食品や日常品を購入する。決して、救援物資に頼っているわけではない。いつまで経っても必要な食料や日用品が購入できない、調達できなくなるのだ
(大手スーパーは特設コーナーで大量に売り込む、3月16日、東京)
金を持った都会人はエゴの塊である。「回りが買っている。なければ困るから、うちも買っておく」という程度で、通常の2倍も、3倍も買い求める。否、買い占める。
飲水と排泄は命を支える最大のもの。排泄にはトイレットペーパーが不可欠だ。それが入手できないとなると、悲惨な生活になる。
津波や火災で家屋が全壊、倒壊した人たちは食べる物も、下着の着替えもない。地方は過疎化、老齢化が進んでいる。大都会のエゴが被災地のお年寄りなど弱者を一層苦しめるのだ。
海外の報道機関が伝えるような、「日本人は礼節を知る」という認識は間違っている。現代の多くの日本人は、身勝手で、自分さえ良ければよいのだ。弱者の苦しみはTVの向こうの他人事なのだ。