A010-ジャーナリスト

えっ、東京にはここしかない、初詣なの=原稲荷神社

 年末のNHK紅白歌合戦が終わると、途端に、わが家の前の通りには初詣に向かう人の足音が聞こえてくる。12時をかなり回っても、途切れることはない。とくに子どもたちの嬉々とした、正月を祝うというか、興奮した声が1時過ぎまで室内に響いてくる。

 わが家から約20m先の原稲荷神社では毎年、元旦O時から、搗きたての餅が1人3個入りのトレーで配られる。甘酒ももらえる。町内の子どもたちは毎年、それを楽しみにしているのだ。

 わが子が幼かった頃、同伴者として、原稲荷神社の深夜の初詣・餅つき大会に連れて出向いていた。下町の子ども特有の天真爛漫な行動で、大勢が焚き火の周りを走り回っていた。
 当時は詣でる人も少なく、餅も余りぎみだったのか、食べ放題であった。

 同境内はふだん町内の人たちが駅への通り道として利用している。かつて社殿は廃れたような形状で、正月の深夜の餅つき大会だけが子どもの関心を買う、というていどだった。町内の多くのひとは、成田山や浅草寺など人気の寺に初詣に出かけていた。

 わが子はもはや30代半ばである。子育てが終わった私は、原稲荷神社の深夜の持ちつき大会にはここ20年ほど無関心だった。ひたすら、除夜の鐘と足音を聞くだけであった。

 社殿はこのところ手が加えられて小ぎれいになってきた。それでも、私が認識する元旦の風景は、小さな境内は閑散としており、通りすがりの人が社殿に手を合わせるていどである。あえて同神社に足を運んできたとは思えなかった。

 かつしか区民大学「私が伝えるかつしか」の講師を引き受けて2年が経つ。受講生のOBが自主的な勉強グループ「PPクラブ」を立ち上げた。
 地元行事をどう伝えるか。それが大きなテーマの一つ。私は指導者の立場から、原稲荷神社の餅つき大会に出かけてみた。
 初詣の人の列は、社殿の前から鳥居を出て、さらに街角を曲がっている。
「えっ、こんなにも大勢がこの神社に来るの?」
 それは驚きだった。
 列を整理する消防団員に聞くと、約200人くらいが並んでいる、1時半頃まで列が続くという。ここ20年の変化が信じがたかった。

 餅つきの世話役のなかに、かつて取材した・大工職人の鵜沼正さんがいた。親しく話が聞けた。全体を取り仕切る長老にも、同神社の初詣の人気の秘密を聞いた。
 
 原稲荷神社の再起で始めた餅つき大会はもうはや40年の伝統となった。いま、これだけの事を始めようとすれば、境内の焚き火で消防の許可が得られないだろう。
「40年も欠かさず続いてきたから、お役所も許可してくれる」

 世話人は大晦日の朝9時から深夜を越えて、夜明け前の3時半になって解散だよ。この間、NHKの紅白歌合戦も見られないし、火が熾(お)きていないときは寒いし、時間と体力も必要だと語ってくれた。
         

「元旦O時に、搗(つ)きたての餅が食べられる初詣は、きっと東京だとここだけだよ。川向こう(荒川、中川)からも来ているし、人出が増えたね」と語ってくれた。

 わが家から5軒先の神社で、東京唯一の正月行事が行われていた。それは驚きの新発見だった。毎年、紅白歌合戦の後で聞こえてくる、初詣の足音の響きは変わらなかったが、20年の歳月は確実に初詣風景を変えていた。

 (一部はPJニュースで報道予定)
 

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