中国政府は、ノーベル賞の受賞者が大嫌いか?
今秋は、中国人のノーベル賞に関心をむけていた。日本ペンクラブの広報委員活動の一環で、それを身近に感じる機会が連続していたからだ。
国際ペン東京大会の開会式が9月26日、東京・早稲田大学の大隈講堂で開催された。基調講演のひとりが中国人作家の高行健さんだった(写真・右)。高さんは天安門事件の後、中国にもどれずにフランスで作家活動をしている。2000年にはノーベル文学賞を受賞している。
「文学は政治・イデオロギーを越えたものである。作家には権力や特権はない。創作によってのみ、苦境の社会状況下を描き、(政治)圧力に抵抗することできる」
高さんは冒頭から、中国には思想の自由がない、という痛烈な批判を感じさせる内容だった。
同東京大会の最終日に、国際ペンのジョン・ラルストン・ソウル会長および日本側の阿刀田高会長ら代表が、外国人記者クラブと国内記者会見に臨んだ。
世界中に、獄中につながれた作家・詩人は多い。国際ペンはそれら解放を要求し、家族の支援も行なっている。
(ジョン・ラルストン・ソウル会長、9月30日、外国人記者クラブ)
ソウル会長から、「一時間ほど前、日本にある中国大使館に、作家・詩人の劉暁波(リウ・シアオポー)氏の身柄拘束を解くように。同時に、中国の言論・表現の自由と民主主義の拡充を図るように、と声明文を渡してきました」と語った。
劉さんは懲役11年の実刑で服役している。中国の言論・思想の自由と、基本的人権を求める、非暴力の闘いを行なっている、という説明がなされた。
劉さんは2010年ノーベル平和賞のノミネートされていた。10日後にはその結果がわかる。中国政府の神経は逆立ち、同賞委員会に内政干渉だと批判を繰り返していた。
ノールウェーでは、最終選考の段階だった。この時期に、国際ペンのソウル会長みずから中国への抗議を示し、世界中にそれが発信されたならば、ノーベル賞の選考にも影響するのではないかな、と記者会見の場で取材しながら、私なりに考えていた。
10月8日、劉さんの平和賞が決定された。獄中の彼に、どのようにノーベル賞が伝えられるのか。いまの中国のノーベル賞批判を見るかぎり、釈放どころか、授賞式にも参列させないだろう。
ノーベル文学賞の高行健さんが、早稲田大学の基調講演で語った、
「作家は政治の風向きに従うことはない。政治、イデオロギーを越えるもので、政治に奉仕するものではない。作家には鋭い目が必要である」という言葉から、中国人作家たちの中国政府への闘いの厳しさが伝わってくる。
中国共産党はノーベル賞の受賞者が大嫌いのようだ。ダライ・ラマ14世(1989年・ノーベル平和賞)、高行健(2000年・ノーベル文学賞)、劉暁波(2010年・ノーベル平和賞)に対して、国内活動の自由を認めず、いまなお弾圧の手を向けている。それは為政者たちの利権確保と名誉欲なのか?
『思想の自由剥奪は、人間にとって暗黒である』
どこまでも中国の政治家たちは、一党独裁を護りつづけたいのだろう。しかし、思想弾圧が過度になると、かれら中国共産党は歴史に汚点を刻み続けていくことになる。と同時に、政府転覆の思想家たちをより多く生み出していく土壌作りになるだろう。
結果として、後世において、20世紀から21世紀の中国は人民にとって暗黒時代だったと捉えられる。為政者たちは極悪人物のレッテルが貼り付けられるだろう。
経済発展した世界大国として、その名誉を刻みたければ、いまからでもまずはノーベル賞受賞者たちに、国内での自由な活動を与えるべきだ。