「坂本龍馬と瀬戸内海」いろは丸事件、反響について
隔月誌「島へ。」に連載している「坂本龍馬と瀬戸内海」シリーズで、第2回目は「いろは丸事件」を取り上げた。
坂本龍馬が船将として乗り込んでいたいろは丸が、備後灘(広島県と香川県の境)で、紀州藩の軍艦と衝突し、沈没した事件である。
海援隊は脱藩浪人ばかりを集めた集団。一方は水戸黄門ではないが、葵ご紋の紀州藩である。あまりにも、地位が違いすぎる。龍馬はそこから8万3千両の賠償金を取ったのだ。鞆の浦、長崎へと交渉の場が移った。
龍馬の巧みな交渉術と、その推移を紹介した内容だ。
多くの方から取材のご協力を得た。私自身は納得できるいい記事が書けたと思っている。一通の感想文を紹介したい。
【読者感想】
「石垣島」が、これだけ詳しく書いてあると、遠いと思った島が少し小さくなりました。
TVで「龍馬伝」を楽しんでいますので、「坂本龍馬と瀬戸内海」はグッドタイミングです。今回の(いろは丸事件)では、龍馬の性格がよく出ていますね。紀州藩が、執拗に食い下がる、交渉相手に辟易している様子がよくわかります。
丁寧な取材によるのでしょう。同じ作者で「海は燃える」が新連載! 第1回だけでは「坂本龍馬……」の方に軍配をあげますが、これからを楽しみに待ちましょう。
取材のご協力をいただいた広島県・教育委員会からも、ていねいな謝意の手紙を頂戴した。そこには 龍馬への見方、文学の発祥地「鞆の浦」という、あたらしい視点が述べられていたので、紹介したい。
龍馬といろは丸事件・鞆をご紹介いただきました、ありがとうございました。謎の多い龍馬です。龍馬の破天荒な大活躍の源は、何か新しい知識、技術を上手く集めていたからでしょうか。
福山市ではミステリーの新人賞も作っています。福山、備後、日本の豊かな文芸の土壌は鞆が発信源ではないかと思っています。
朝鮮通信使などからの海外の文芸が鞆へ→鞆で菅茶山が通信使の漢詩を評価、その弟子の頼山陽も→菅茶山を尊敬していた井伏鱒二が文豪へ→やなせたかし、さだまさし(備後以外にも)、島田荘司など文化の隆盛には、新鮮な要素が欠かせないのかも知れません。
そこで、龍馬も新しいものをどのように吸収したかが鍵となるのかもしれません。…