PJニュースは奮闘する。写真展の報道の、写真枚数に限界も
PJニュースとは、市民記者やフリーライターが、ウエブで世に記事を提供するものである。PJとは(Public Journalist)の略である。
2005年2月に発足し、4年半の歳月が立つ。
発足の経緯にふれると、ライブドア(当時・堀江貴文社長)はネットニュース時代がくると予見し、市民によるニュースを提唱した。と同時に、全国から市民記者として多彩な人材が集められた。
新聞社、TVの報道記者、雑誌社のライターなどプロジャーナリストから、大学院生(冶金工学)、大学生、銀行員、ITコンサルタント、小説家まで。一人優秀な高校生もいる。
小田光康編集長の下で、ジャーナリスト論を学び、試験を受けて合格した人たちによって、記事が世に送られはじめた。商業主義の新聞、TVでは報じられない、斬新さが受けた。他方で、各メディアがネタ探しに利用してきた。
その後、ライブドア事件が起きた。PJニュースの牽引車のひとりだった、堀江さんが退陣した。『ホリエモン』人気で集っていた市民記者の数多くが去った。あるいは書かなくなった。相対的にアクセス数の減となった。
堀江貴文さんがいないライブドアで、小田光康編集長は奮闘してきた。むろん、ライブドアとしてもいまなお媒体提供、技術面、資金面の支援を続けている。ただ、アクセス数の減は市民記者への報酬の減となった。ここでも、数多くの人がかかなくなった。
他方で、ライブドアの幹部は、PJニュースは辛らつな意見や過激な批判報道があるので、「いずれ誹謗中傷として、裁判が起きるのではないか」、という危惧を持ち続けていた。そんな背景も一つとして、今年の春には㈱PJニュース(小田光康社長)、として独立法人となった。記事の全責任を背負う。むろん、報道媒体としてライブドアのサポートに変動はない。
㈱PJニュースは、儲かる起業ではない。小田光康社長の孤軍奮闘だ。経営・財務から将来を見ても、市民報道では高収益など期待ではない。市民記者に満足に払えるお金もない。ここは起業を理解し、イキに燃える記者の熱意が支えるのみ。頑張りどころだと思う。
㈱PJニュースはまず技術面で、新システムを立ち上げた。経費節減型で、一本の記事に写真が一枚になった。(従来は5枚)。選りすぐった一枚にかける。その精神は大切である。時には、一枚で伝えきれないな、と思うことがある。
今回取上げた。越功一は写真展「心の目」を前に死去。有名人の写真は一枚もなかったは、それだった。
稲越さんは著名人の写真集を出す、超売れっ子・写真家。ところが、肺がんと戦う稲越さんが、選んだ個展(東京都写真美術館)の作品は、モノクローム(白黒)が殆どで、地味な庶民の姿ばかり。数十年も、こんな地味な日常風景を撮り続けていた。
私の独断的な見解だが、「著名人の撮影は飯を食うためのもの。写真家として、庶民の姿を世に伝えたかった。後世に遺したかった」と読み取った。これこそは、本ものの芸術家精神だと感銘した。それらの写真をいくつか紹介したかった。起業・㈱PJニュースではできず、残念だった。
【写真の説明:上部から】
①中近東の国? 風化したJ.F.ケネディーのポスター
②海岸の風景(唯一明るい写真?)
③東京下町の地味で、薄汚れた、路地裏の平屋が数多くならぶ
④PJニュースで、インタビューを載せた。夫人・稲越敬さん
「夫に観てもらいたかったです。自分で選んだ写真ですから」
撮影:滝アヤ
( 滝アヤの美しきカメラ紀行)