A010-ジャーナリスト

「ヨタロウ会」の忘年会は、出版記念会を兼ねる?=神田

 小中陽太郎さん(日本ペンクラブ・理事)の支援者たちの集まりが「ヨタロウ会」だ。その忘年会が12月27日(土)夕刻6時半から、千代田区内神田の居酒屋『樽平』でおこなわれた。幹事は瀧澤陽子さん。
当初の予定(25人)を越え、出版関係者、作家、ライター、日本ペンクラブの幹部など約35人が集まった。

 小中さんは東大卒で、NHK(ディレクター)を解雇されたあと、市民活動や文筆に身を投じてきた。現在は大学教授。気さくで、笑顔の素敵な人である。今年11月20日に講談社から『小田実と歩いた世界』を発行した。「市民たちの青春 ベトナム戦争を止めようとした男」というサブタイトルがついている。
 
 べ平連代表だった小田実さんが、07年7月に死去した。小中陽太郎さんが「小田実さんの素顔を書き残したい」とペンを取ったものだ。

 同書に登場する、べ平連の関係者は多岐に渡っている。本の発売と同時に、ブログなどを通じた反響は大きいようだ。人それぞれ見方が違う、考え方も違う。当時の市民運動の捉え方も違っていたと思う。「絶賛する人もいれば、些細な事実の違いを大げさにいう人もいる」、と小中さんが挨拶のなかで、語っていた。

 同書を読んで感銘した人が、忘年会に駆けつけていた。版元の講談社・出版部長・三ッ間詳二さんも参加する。まさに出版記念会の雰囲気だった。とくに同書に登場した人たちは、1分間スピーチという時間制約を超え、それぞれがべ平連の思い出やエピソードを披露していた。

 日本ペンクラブ・メルマガには、【ペンの顔】シリーズがある。広報委員の私がインタビュー記事を書いている。第1回は阿刀田高会長で、今回(12月掲載)が5回目だ。登場したのが小中陽太郎さんで、タイトルは『3月3日を恒久的に『平和の日』にしたひと=小中陽太郎さん』である。

 忘年会で隣り合う同クラブの井出勉事務局長代理が、「小中さんのロングインタビューは良かったですよ」と賞賛してくれた。おなじ席にならぶ大原雄さん(電子文藝館委員会・委員長)は次回の「ペンの顔」に登場する。こうした話も弾んだ。

 パソコンが使えない人は記事が読めないので、「私が登場した、【ペンの顔】をプリントしてきました。読んでない方に差し上げます」と小中さんがみずから同記事を配布していた。他方で、小中さんから私に、「良い構成で、うまく纏めている」ということばを貰った。

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