若い演劇人たち33人は、熱っぽく、人生を演じる
真摯なジャーナリストは無欲であるべきだ。老若男女を問わず、『市民の声を拾い、目立たない人を紹介してあげる。それは損得抜き』、という信念を持つ。少なくとも、自分は心のなかで、そう決めている。
めざす目標をしっかり持った若者たちが好きだ。無名、下積み、売出し中。どの段階であれ、情熱と熱気がある若者を世に紹介したいと、つね日頃から思っている。
ここ2カ月間は10代、20代の若手の演劇人たちの取材がつづいた。それも一つでつながる出会いの連鎖だった。
「若者たちの肖像」 美しい女優たちが活動と苦悩と希望を語る
4月29日には『女劇TOKYO23KU』の稽古場・中野区の中学校体育館を訪ねた。4時間にわたって12人の女優たちの取材と、練習風景の撮影をおこなった。
同夜は、東京工業大学OBで結成する、バンド『佐藤無線』が新橋・SOMEDAYでライブをおこなう。記者・登山仲間の肥田野正輝さんは同大学大学院卒で、トランペット演奏だ。昨秋に女劇を紹介してくれたのが肥田野さんだったのだ。
ライブが終わったとき、中川真希さんと出会った。女劇を退団した彼女は新たな道を歩みはじめたばかり。「近況でも聞かせてよ。ビールでも飲んでいこうか」「頼みたい記事があるの」とふたりは、新橋烏森の居酒屋に入った。
彼女が桐朋学園芸術短期大学の演劇専攻卒と知った。「一年後輩に、萩原伸次さんというユニークな作品を書いていた脚本家がいたの。昨年6月に24歳で、自ら生命を絶ったの」と悲しげな顔をした。「一周忌の命日には、追悼公演をしますから、記事にしてください」という内容だった。劇団名は『ドロブラ』だった。取材の約束を交わした。
日舞の観劇の帰り、東工OBのライブにきた、和服姿の中川真希さん
居酒屋での話題が豊富で、あちらこちらに話しが飛ぶので、故萩原伸次さんの全体像が見えなかった。むろん、取材メモだけは取っておいた。
5月21日の朝、中川さんからメールが入った。朝日新聞・記者と穂高健一に記事を依頼していた。けさ朝日新聞・東部14版に『天国の友に笑い声届け』というタイトルで掲載されているという内容だった。サブタイトルは「劇団仲間 命日に遺作コント」だった。いい記事で、内容も豊富だった。他方で、同紙面から萩原伸次さんの顔を知った。
6月4日には、江戸川区の船堀駅から徒歩5分の『ドロブラ』練習場に出向いた。21人の演劇人たちが集まり、遺作演劇の10作を通しで演じていた。作風はコミカルで、井上ひさしさん、に似ていると思った。 穂高健一・ジャーナリストの目でなく、小説家の目から見ると、「ユーモアのなかから、人間の悲哀や切なさが浮き上がってくる。そのうえ、人間の機微を上手にとらえている。この脚本家は天才だな」と心から思った。天才脚本家という表現をタイトルに組み込んだ。他方で、死後とはいえ、石川啄木のように、『萩原伸次』の名声が上がるのを願った。
天才脚本家の命日は、笑いで吹き飛ばせ=東京