『古池や その後 かわず飛び込まず』=日本文藝家協会の総会・懇親会
千代田区・東京會舘で、17日、日本文藝家協会の総会が開かれた。17時からは同会館の12階で懇親会が開かれた。
司会者から「見ても、聞いても楽しい」と紹介された、嵐山孝三郎さんによる『古池や その後、かわず飛び込まず』の講演があった。
嵐山さんは下駄履きに麦藁帽子という愉快な姿。そのうえユーモラスな話で、20分間、会場を笑いで沸かせた。
小学六年のころ嵐山さんは、芭蕉の有名なこの俳句を教わった。「かわずは、何匹ですか?」と先生に聞いた。「観察しろ」といわれた。池をのぞいても、そこには金魚と亀しかいなかった。親に聞けば、父と母は一匹だという。親戚も一匹に決まっているという。その後、日本人のだれに聞いても、一匹だという。
アメリカは俳句ブームで、NYのコロンビア大学の句会に招かれていった。米国人は全員が「かわずの数は複数だ」という。アメリカでは、芭蕉のこの句が『フロック、ス』と複数形で翻訳されているから、当然だろうと笑わす。
「古池はどこか」。芭蕉の深川の蟄居に近い、隅田川だと言い切る、日本人の文芸家もいる。諸説諸々だという。清澄公園で、かわずを観察すれば、50匹以上いた。「しかし、かわずは飛び込まなかった」。そこで石を持って追えば、水に逃げたが、水の音はしなかったという。文芸家のこだわりを展開する。嵐山さんは「この俳句は芭蕉のフィクションだった」と導く。
坂上弘理事長が「昨年度は、著作権の問題に明け暮れた」と話してから、乾杯となった。
歓談となった。文芸評論家の大河内昭爾さん(武蔵野大学名誉教授)の近況から、「昨年の夏、胃がんで全摘除した」という話をきかされた。さして恐怖心はなかったという。
大河内さんは、最近の同人誌は装丁がきれいだけど、だらだら書き綴った長文が多いという。PCの普及から、「むかしのように一文字、一文字、消したり書いたりしない」と嘆かれていた。
同テーブルに、私の恩師の伊藤桂一さん(同会・常務理事)がやってきた。90歳だが、いつもながら元気だ。「あしたは京都だよ」と話す。「先生は、軍隊の階級はどこまでいったんですか。軍曹?」と聞いてみた。伊藤さんに小説を学んでから30年間、それは初めての質問内容だった。「陸軍伍長だ」と話す。それは軍曹のひとつ手前だと教えてくれた。
伊藤さんからは、パチンコ小説を書く岡田安里さんが紹介された。年配の女性だが、かなり詳しく研究されているようだ。こちらには大学時代以降の体験や知識がなく、話題についていけなかったけれど。
高橋千劔破さん(日本ペンクラブ・常務理事)、直木賞に近い作家・山本謙一さん(京都市・左京区)、私の3人はともに登山好き。江戸時代の登山(講、修験者)について長く語りあった。