富士山の村山古道に、8日から挑戦
更新日:2006年8月 6日
江戸時代には、海抜〇メートルからの富士登山がおこなわれていた。現代は五合目から割に楽に登れる。むしろ、富士山は五合目までパスでいき、そこから登るものだと現代人の多くは考えている。体力に自信があり、登山好きな人は富士吉田市の浅間神社から登る。厳密に言えば、そこからでも海抜ゼロではない。
江戸時代の太平洋岸の〇メートルから登る、富士登山道は風化してしまった。倒木とか、雑草とかで、道が消えてしまったのだ。それを100年ぶりに発見したひとがいる。
一昨年、畠堀操八さんが古文書から、江戸時代のルートを解明した。昨年は地元・静岡県ではずいぶん騒がれた。
畠堀さんは富士宮市と手を組み、村山古道を村おこしの一環に、と村山古道の復活を推し進めてきた。かれと地元の『富士山クラブ』が精力的に働きかけ、『村山古道復活記念 富士山完登プロジェクト2006』として実ったのである。それは富士急トラベルが主催者となり、一般から登山者を募集(33000円)をつのり、商業ベースにのせていく、というものだ。
2泊3日で同行取材することに決めた。むろん、それをPJニュースに書く予定である。