ジャーナリスト

ケネディ元アメリカ大統領&トランプ次期大統領 戦争回避の秘策とは

 アメリカが新大統領にトランプ氏を選びだした。かれは選挙戦のさなかに「24時間以内に、戦争を終わらせるみせる」と自信たっぷりに豪語している。戦争当事国のウクライナとロシア、イスラエルとガザに対して、どんな秘策があるのだろうか。

 歴史から学ぶ。そこでケネディ元アメリカ大統領を思いおこした。1962年秋の「キューバ危機」である。米国の裏庭と呼ばれたキューバに、ソ連が核ミサイルの発射台をひそかに建設をはじめたのだ。アメリカ政府や国民は騒然となった。


 ケネディは「ソ連の脅しには断固として屈しない」とソ連船がキューバに近づけないように海上封鎖した。一触即発で、第三次世界大戦か。世界中のほとんどの人が固唾(かたず)をのんだ。ソ連のフルシチョフが基地建設を断念し、屈辱の撤退となった。

 ケネディが優れているのは、軍部やタカ派を抑えきった指導力である。かたや、勝利に酔うことなく、「忍耐つよく平和の道をさぐろう」とひろく内外に呼びかけた点である。

ケネディ大統領.jpgジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy) 大統領公式肖像(1963年7月11日)            
       
 ケネディ大統領の暗殺事件(1963年11月22日)の半年前となる、同年6月10日にアメリカン大学で講演「平和のための戦略」(THE STRATEGY OF PEACE)がおこなわれた。それをひも解いてみた。

「大国どうしのアメリカとソ連は、いちども戦争をしたことがありません」と言われてみると、そうだな、とおもう。ちょっと意外であるけれど。

「第二次世界大戦中に、最も大きな苦難を味わったのはソ連です。2000万人が命を落としました。国土の三分の一、工業地帯の三分の二が荒廃し、多くの住民や農園が焼失し、略奪の被害をうけました」
 大学生のまえで、ケネディはそう語っている。相手の悼みを述べているのだ。

 といわれてみると、列島が焼野原になった日本の犠牲者(軍人・民間人含む)は320万人である。日本軍の侵略によるアジア人の死者数1500万人といわれている。ソ連はひとつの国でそれ以上の死者を出しているのだ。ケネディの口からあらためてソ連の犠牲の大きさを知る。
 
 ケネディの平和論は、ソ連の悲惨な歴史を前提に語られた。
「戦争は人間が作り出したものですから、人間の手で解決できるはずです。人間は、その理性と精神によって、解決不可能に思われた問題をも解決してきました」
 国どうしの対立は永遠に続かないものです。
 
「一方の疑念が、他方の疑念を生み、新しい兵器がそれに対抗する兵器を生み、危険な悪循環に陥ります。
 両国の違いについて盲目であってはならないのです。同時に、両国には共通する利益があり、両国の違いを解消する可能性のある方策があるのです」

 トランプ氏は選挙中にロシアによるウクライナ侵攻について、「私が大統領なら、24時間以内に終わらせる」と述べている。文字通りに解釈すべきではないかもしれないが、すぐに戦争を終わらせたい気持ちは強いのだろう。

 ケネディーの講演のから、ひとつ該当しそうなものを拾ってみた。
「核保有国(ロシア)は、相手国(ウクライナ)に屈辱的な退却か、核戦争かの二者択一を強いるような対決が起きることを避けなければなりません。核の時代に、そのような対決への道筋を採れば、政策の破綻を招き、全世界の死を望むことにほかならないからです」
 ここらはキーポイントになるだろう。

             *

 戦争ははじめるよりも、終わるのがむずかしい。それはかつて日本が経験している。太平洋戦争で1945(昭和20年)春には、南洋諸島からのシーレーンは断ち切られ、生活物資は入らず、日本列島の主要都市は連日の空爆で次つぎと焼野原だ。一億総玉砕が現実か。そう思えるほど国民の命が瀬戸際まで陥ってしまったのだ。

 1945年7月26日に連合国からポツダム宣言(13箇条)がだされた。受託すれば、即時降伏・終戦である。ところが昭和天皇の御前会議で、終戦への覚悟が定まらなかった。
 鈴木貫太郎首相が記者会見で「黙殺」と発言した。
「日本が拒否」とうけとられてしまい翌月には広島・長崎の原爆、ソ連の千島列島の侵攻となった。ちなみに、ドイツはヒットラーの自殺である。そして、第二次世界大戦は終結した。

               * 

 アメリカは民主党が戦争を起こし、共和党が戦争を終わせる。

 ここで注目されるのが、ウクライナのゼレンスキー大統領が、「トランプ氏が重視する『力による平和』はウクライナに真の平和をもたらす。共に(和平を)実行に移すことを期待する」と述べている点である。これはなにを意味するのだろうか。

 トランプ次期大統領がロシア・プーチン大統領から「今後とも核は使わない」と言質をとれれば、ウクライナ国民の恐怖心の一端をはらうことになる。それで状況がうごく。つまり、ロシアがアメリカに核兵器を使用しないと約束すれば、核のパワーバランスがはたらく。ロシヤはもはや約束を破れない。もし破れば、米露の核戦争となってしまう。
「ロシアの核の脅しには断固として屈しない」と貫いてきたゼレンスキー大統領としては、ウクライナ国民の生命・財産を守る一翼がこれで明確に確保できたことになる。だから、いくつか提示される和平案には段階的に歩み寄りができるだろう。
 
 ケネディ元大統領の講演「平和のための戦略」のなかの一節として、こういう。
「たがいに寛容な心をもち、実現可能な平和に目をむける。関係者全員の利益にかなう、具体的な行動と、有効な合意の段階的な積み重ねによる平和です」
 争いを公平に解決する手段が平和である、とケネディはいう。

           *  

 イスラエル・ガザの戦争は紀元前の旧約聖書が起因だから、自然崇拝(神・仏・太陽・富士山・キリスト行事)型の日本人には予測がつかない。
                          (了)

 

トランプ氏の次期大統領で、琉球王国(沖縄問題)の再熱か。まさに「歴史は眠らない」

 穂高健一著「歴史は眠らない」の出版と時同じくして、トランプ氏が次期アメリカ大統領に決まった。
 返り咲いたトランプ政権の再来で、この先はなにが起きるかわからない。世界じゅうが戦々恐々とし、トランプ氏の言動が最大の関心事になっている。

 アメリカ大統領の歴代の特徴として「正義」が大好きだ。戦争にしろ、平和にしろ、この正義という大義が大統領の言動の前面にでてくる。
 トランプ氏から、「琉球国の復古問題は未解決だ」と150年来の問題をゆり起こす、発言が飛びだすかもしれない、と私はおもった。そうなれば、まさに「歴史は眠らない」となる。

琉球王国.jpg 
  写真(ネットより)=琉球王国のシンボル「守礼門」

・ 18代米大統領グラントは明治初期に琉球国問題で調停の労をとった。

・ フランクリン・ルーズベルトは太平洋戦争の参入から沖縄戦へ導いた。

・ マッカーサー元帥は戦中・戦後の日本に大きくかかわった。

・ 第37代ニクソンは沖縄返還協定で、有事の核兵器持ち込みの密約をしていた。

・ 次期大統領トランプは、なにが予測できるだろうか。
 
              *  

 ある日、突如として、トランプ政権から、国際条約の「ウィーン条約五十一条」による琉球国の独立をいいだす。明治政府による「琉球処分」は国際法違反である。この条約は150年経とうとも、時効がないのだ。
「琉球人による琉球国の復興、そして琉球政府をつくる」
 そんな歴史問題を持ちだされると、日本政府や国民は予測しておらず、慌てふためく。これでは「危険」な状態である。

 危機と危険は違う。
「危険」とはなにも考えず、たとえば日本政府は自分の都合よく考えて、日米の防衛協力関係からして「沖縄から米軍が手をひく。絶対にありえない」と盲目的に信じて、まったく備えがない。それが「危険」な楽観論である。

 トランプ大統領が、アメリカ国力最優先で、海外駐留コストの大幅削減から、沖縄米軍基地を撤兵する。「政治の世界に絶対はない」という予測はないのだ。
 近いところでは1992年にフィリピンが米軍との地域協定を破棄し、米軍が全面撤退した。その事例すらもある。

               *   

「琉球国は独立させて、琉球の将来は琉球人みずから決めるべきだ」
 三期目のない剛腕なトランプ大統領が「正義で名をのこす」と日本に強烈に迫ってくることも予測もできる。

 おおむね歴代アメリカ大統領のブレーンは、世界じゅうの各国の盲点や強さを研究する。今回は、トランプ氏の側近が、日本研究者から、明治維新政府がまだ未熟なころ独立国・琉球を軍事圧力で日本が強奪し、沖縄県に組み入れている。この「琉球処分」は国際慣習法の違反であり、時効がないから、現代でも明治までさかのぼり、解消できる。その問題をとりあげて大統領に進言する。
 そしてトランプ大統領の「正義の発言」になることも予測できる。

 かたや、日本の政治家や官僚は、学生時代に「琉球処分」という用語しか習っていないし、琉球問題の本質がわかっていない。ただ慌てふためくだけである。
   
 危険に対して「危機」とはなにか。それは過去のできごとから歴史を学び、今後(未来)において想定されるいかなる変化にも対応も能力を備えることである。ここでいう危機とは、琉球問題の真の歴史をしっかり学ぶことである。
 
ペリー琉球.jpg この琉球問題の原点は、1854年にペリー提督が琉球王朝の首里城(イラスト)で、「琉米修好条約」を締結し、アメリカの議会でそれを批准した。琉球国を国家承認したのである。他に、フランスも、オランダも、琉球国を独立国として承認したのだ。

 三カ国が琉球を「国家承認」しているのに、明治維新後の未熟な政府が、米仏蘭との話し合いもせず、「琉球処分」という軍事威圧で、国際慣習法に違反して奪いとったことである。
 この琉球処分が日米中(清)関係で国際問題になり、日清戦争、日中戦争、太平洋戦争、ポツダム宣言まで、直接・間接にずっと尾を引いてきた。
 
 18代米大統領グラントが、清国を訪問したおり、李鴻章(りこうしょう)に要請されて日清間の調停に乗りだした。まずグラント元大統領は日本側の明治天皇・伊藤博文・井上馨と面談したうえで、1880年には琉球諸島の二分割案を提案した。

ーー沖縄本島周辺は日本として、宮古列島、八重山列島は清に渡す。その代償として中国内で欧米なみの通商権を得る。(分島・増約案)。
 
 日本と清国の間で、この分割案が合意に達した。翌1881年には、日清の代表者が石垣島で調印するまでに至った。
 ところが清国の国内からは、グラントの分割ではなく、「日本からの琉球国の完全復興」という世論が盛りあがった。
 調停寸前で、日清間であらためて琉球国の独立問題が協議された。決裂する。歴史がすすみ日清戦争の火種のひとつになってしまった。

 日清戦争で勝利した日本は、伊藤博文・陸奥宗光と李鴻章による下関条約が結ばれた。日本は台湾を植民地にし、遼東半島を割拠し、さらに厖大な戦争賠償金を得だ。
 しかしながら、清国の李鴻章は琉球国問題にたいして妥協せず、下関条約にこの問題は組み込まれず、未解決のままの状態となった。
 
 ここらの歴史は、現代の日本国民は知らないのだから、
「明治天皇がいちどは宮古列島、八重山列島を清国に渡すと承諾した」
 えっ、それは教わっていないぞ。おどろきだというだろう。現政府や関係者が隠しても、歴史的事実は消えないのだ。

              * 

 ところで、アメリカ合衆国と中国は歴史的にはとても仲が良いのだ。ほとんどの日本人にはその認識が欠如している。

 日清戦争のあと「三国干渉」が起こった。それを契機にして欧州列強および日本が広大な中国領を割拠する競争に狂乱した。アメリカはそれをしなかった。

 日露戦争のあとから日米の仲が悪くなり、やがて日中戦争が勃発した。中国軍が貧弱で日本軍の拡大が目覚ましかった。中国は南京が陥落したあと首都を重慶に移した。日本軍は夜間の空爆のみで、陸上軍がさし向けられなかった。
 アメリカのルーズベルトは軍事力のない中国政府に加担し、武器、航空機、弾薬を次づきと支援しつづけた。さらに有能な軍事指導者を送り込み、近代的な軍隊組織づくりが為された。
 こうなると、短期決戦のつもりだった日本は五年におよんでも、日中戦争の決着がつけられず見通しも及ばず、中国と米軍と両面で戦う太平洋戦争に突入した。

カイロ会談.jpeg 太平洋戦争で日本劣勢となると、ルーズベルト大統領の提唱でカイロ会談が開催された。(写真の左から 蒋介石、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相)。三国において、「琉球王朝」の日本の国家強奪は国際法違反である、と共通認識を確認した。

 アメリカ・ルーズベルトは「歴史の不正を糺(ただ)す」という正義感から、日本から武力をもって琉球を切り離す、と中国(蒋介石)に約束した。そのうえで、沖縄戦へと動いた。太平洋・陸海空軍の殆んど55万人の米将兵という、ぼう大な戦力を沖縄へむけたのだ。

 連合国はポツダム宣言(13箇条(その一つがカイロ宣言を含む=沖縄は日本領でない)を降伏条件として日本に突きつけた。
 日本は沖縄を手放すという条件を承知で、ポツダム宣言を受諾した。1945年9月2日に軍艦ミズリー号で、降伏に調印した。ここにおいて琉球(沖縄県)が完全に日本国領土ではなくなった。
 沖縄・首里に琉球政府ができた。日本の施政権は及ばないし、日本憲法の影響を受けにない。「琉球政府が独り立ちできるまで、アメリカが沖縄を統治する」と琉球(沖縄)に星条旗が掲げられたのだ。

 アメリカは、敗戦国の日本はいっとき国際連盟の常任理事国であったが国際連合には加盟させず、中国を戦勝国として国連の常任理事国に推薦したのだ。
 
             *
 
 共産主義を嫌う米国は冷戦下にあっても、ニクソン大統領が、日本の頭越しに米中国交回復を成した。
 こうして長い歴史をみても、米中は相性が良く、仲が良いのだ。

 トランプ次期政権が米中の経済問題の障壁を取りのぞけば、政治的には米中の蜜月時代に突入するかもしれない。「昨日の敵が今日の友」となる。そして、トランプ氏が日中の障害となってきた「琉球処分」を解消することがアジアの安定につながる、と主張する。
 
「アメリカ政府が佐藤栄作元首相との間で、琉球政府の立ち合いもなく、1972(昭和47年)に沖縄を日本に渡したのは合法性がない。当時のアメリカ政府の判断はまちがっていた。琉球国にもどすのが国際法に沿うものだ」
 トランプ大統領ならば、大胆に、自国の過去の歴史修正も厭(いと)わないかもしれない。21世紀の琉球新政府は、基地経済から脱却し、欧米およびアジア各地から優良企業を各諸島に誘致し、みずから国家運営するべきだ。その方が豊かになれる。
 600年も戦争なく自由貿易港だった歴史ある琉球国ならば、こんごの自国防衛においても、琉球人の判断によればよい。それがむしろアジアの平和になる、とトランプ氏ならば主張してくるだろう。

 私たちは学校教育で、正しい琉球処分の知識を教わっていない。ここはいちど危機管理から「歴史は眠らない」を読まれた方がよいとおもう。

【関連情報】
 
 題名「歴史は眠らない」(左クリックでアマゾンに飛びます)

著者:穂高健一

出版社: 未知谷(みちたに)

定価 : 2500円 + 税

戦争は平和都市をつくる

 ふるさとに帰る都度、「平和」という表現をよく聞く。「広島は平和都市」だと行政も、市民も語る。

 いまや、ウクライナ戦争は緊張の度合いを高めている。アメリカ次期大統領選挙で、トランプ氏が勝てば、ウクライナ支援から撤退するという。バイレン大統領も、来年以降の追加支援予算が取れないだろう。

 アメリカ支援がなくなれば、ウクライナは孤立する。フランスは陸上軍を送りだす構えだ。イギリスも与するだろう。
 これは1853年のクリミア戦争とまったくおなじ。ナイチンゲールで有名になった欧州大戦争である。ロシア(ニコライ一世)がオスマン帝国に侵攻した。英仏がクリミア半島一帯に兵を送り込み、オスマン帝国との連盟軍としてロシア軍と戦う大規模な戦争になった。
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「歴史はくりかえす」
 170年経った今、英仏軍がウクライナ領に入り、その先ロシア領まで踏み込めば、プーチン大統領は公約通り、核弾頭ミサイルを撃ち込む。首都・キーウならば大惨事で、核被爆地「キーウは平和都市」となる。
 戦争は人間を凶器にする。「目には目を、歯には歯を」となると、英仏がモスクワに核報復する。モスクワは平和都市を宣言する。
 両国は首都を変えてでも、戦争をつづける。
 さらに被爆したパリ、ロンドンの平和都市が誕生する。NATO軍の28カ国のなかで核兵器をもたない国すら核攻撃のターゲットにさらされる。


 2023年1月現在、核兵器は一万2512発ある。核はおなじ都市に落とさないので、その数だけ平和都市が生まれる。
 思うに、一世紀前の漫画をみれば、高速道路、新幹線、旅客機による旅行など夢の世界だった。いまや違和感なく実現している。漫画とは未来像の先取りだ。SFやアニメなどには「人類滅亡」の素材があふれている。あと一世紀も待たずして人間は過去40万年の歴史を消し、他の生物に地球を譲るのか。

 ところで、毎年八月六日の広島式典では平和をうたう。「原爆投下がアメリカだったと、広島は言わない」と、プーチン大統領が批判したことがある。

 第二次世界大戦から80年が経ち、世界の若者たちはドイツ・ホロコーストも、日本がどこの国と戦ったのかも殆んど知らない。式典主催者がアメリカによる原爆投下だと言わないのは、子々孫々、後世に歴史の本質を隠す行為だ。

 曲げられた歴史はとかく利用されやすい。独裁者となったプーチン大統領が核兵器のボタンを押しても、NATO諸国に予告と警告をくり返してきたロシアだから、広島式典のように投下国の悪名が残らない、と考える。勝てば免罪符だと言い、核兵器の引き金に利用される。

                    「広島ペン2024下 寄稿」

国民の祝日「山の日」・8月11日 第8回大崎上島・神峰山大会

国民の祝日・8月11日「山の日」は、全国大会第9回目は東京大会です。

瀬戸内海の島で、なぜ「山の日」をやるの❓ という疑問からスタートして、もはや恒例となった「第8回大崎上島・神峰山大会」が8月11日に開催されます。

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第1回からのコンセプトは「全国に通用する島になろう」です。東京で活躍する著名なアーチストを招こう。普段はまず現地・広島ではなかなか聴けない一流どころの音楽を聞こう。
 かれらアーチストも、島の良さを知ってもらおう。

 全国大会を目指し、国会議員も来て挨拶してもらおう。(コロナの時をのぞき)。今年もお二人の衆議院議員と県会議員にお声がけしています。

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全国大会もしくは10回までこぎつけられたら。次の目標は決まっています。次世代にバトンタッチし、「瀬戸内海のマルタ島」として世界に名が知れる大崎上島にしてもらう。夢でなく、理想で行動する。これを合言葉にして。

 先日、チラシを日本ペンクラブの会報委員に配って宣伝したら、「なに県にあるの?」といきなり委員長から質問が飛び出した。
 こちらはもはや全国に知れ渡っている気分でした。広島県大崎上島町です。

日時 ・8月11日「山の日」 13:00 ~ 16:00

会場 ・大崎上島開発総合センター大会議室です。

プログラム 来賓あいさつ 
  
      「神峰山」と題した俳句募集の「優秀作品発表」

      和楽器演奏

      講演 穂高健一「江戸城大奥の光と影」(妻女たちの幕末より) 
 、

オッペンハイマーの映画  桑田 冨三子

「オッペンハイマー? 聞いたことあるなア、だれ、その人」
 大きな声が耳に入った。
 わたしは、その時、大勢の人たちといろいろな話題でガヤガヤと歓談していたのだが、(ああ、やっぱり、日本人はこの名前がなんとなく気に懸かるんだ)と気が付いた。

 今年の春、終わりに近い頃になってやっと、日本ではこの「オッペンハイマー」の映画が見られるようになった。他の国では去年からとっくに公開され、結構話題になっていたのに。
「なぜ、日本では公開されないの。米国やフランスでは、みんな、もう見ているよ。」
「日本人は原爆を落とされて可哀そう」
「きっと日本人はこの映画をみたくないと思っているからよ」
「みせたくないのじゃないの?」
「だれが?」
「うーん、アメリカの政治家か」
「日本人は原爆のことを考えたくない。知りたくない。躊躇しているんだと思う」

 外国人たちの話を聞いていたわたしはさっそく、この映画を見に出かけた。

オッペンハイマー.jpg 6月5日のことである。ゴールデンウイークのさなかの街は閑散としていた。いつもより人出は少ないように思われたが、六本木ヒルズの映画街で入場券を購入しようとして驚いた。
 なんと開始の2時間も前なのに全く席がない。満席である。交渉して、なんとか一番端っこの席を手に入れたが、入ってみると、これまたびっくり。座席にいたのは全員、若者だらけで、年寄の姿は見当たらない。でもわたしは、ほっとした。
(若者たちがこんなに、この映画に関心を持っている。)

 映画のストーリー。1926年、イギリスのケンブリッジ大学で実験物 理学を学んでいたロバート・オッペンハイマーは、教授に勧められて、ドイツへ渡り理論物理学を学ぶ。博士号を取得し、故国アメリカへ帰国し、カリフォルニア大学バークレー校で教鞭をとった。同じ大学の精神科医師で共産党員のジーン・タトロックと出逢い恋仲になる。この聡明で奔放なジーンとのロマンスは長続きしない。

(この短い期間がのちにただならぬ影響をおよぼすことになるのだが・・・)オッペンハイマーはその後、植物学者キティ(キャサリン)と気が合い結婚する。
 二人の間には子供も生まれて、幸せな家庭を築いていた。

 時は、ヒットラー率いるナチスがポーランドに侵攻、第2次世界大戦を起こし、その戦況を優位に進めていた。1941年、米国が世界大戦に参戦する。
 ルーズベルト大統領は英国との協力体制で核兵器開発プロジェクト「マンハッタン計画」の実施を承認する。プロジェクトの責任者になったレスリー・グローヴスは、1942年、ドイツの原子爆弾開発の成功が近いと危惧し、オッペンハイマーに原子爆弾開発に関する極秘プロジェクトへの参加を打診。オッペンハイマーは喜んでこの誘いに応じた。

 彼は、まずニューメキシコ州のロスアラモスに研究所を建設し、当時の最高峰頭脳科学者を集め、家族ぐるみで移住をさせた。彼は人々を激励し鼓舞し、あらゆる決定の場に同席し、知的アドバイスを与えた。その存在が「情熱と挑戦への独特な雰囲気」を作り、世界初の核兵器製造につながる科学的発見を連鎖反応のように次々と生み出していった。

 その一方では、競争相手であったナチスは劣勢を極め、1945年に降伏してしまう。

「あとは日本を降伏させるだけ」
 となる。なんと、そのための武器として、原子爆弾の研究は続けられた。1945年7月16日、オッペンハイマーと研究所の科学者たちは、ロスアラモスの南にあるトリニティ実験場に集まった。

 世界初の核実験が行われる。「ガジェット」と名付けられた原子爆弾が、人類の未来を形づくることを、その場にいた人々は理解していた。連鎖反応で地球の大気を発火させれば、地球全体を破壊する可能性はある。緊張の瞬間。この世ではない煌めきと凄まじく轟き渡る爆発音。(この映画の特殊撮影らしい)実験は成功した。オッペンハイマーは喜んだ。でもそれは、ほんの束の間のことであった。

 8月には広島、長崎に実際に原爆が投下され、その惨状を聞いたオッペンハイマーは、深く苦悩するようになる。世界戦争は終わった。
 戦争を終結させた立役者として賞賛されるオッペンハイマーだったが、時代はそのまま冷戦に突入し、アメリカ政府は更なる威力を持つ水爆の開発を推進して行った。そのため、1947年プリンストン高等研究所の所長に抜擢された彼は、さらに原子力委員会のアドバイザーになる。
 だが彼は、この核開発競争がますます加速していくことを懸念する。水爆開発反対の姿勢をとったことで、次第に追い詰められて行く。米のマッカーシ上院議員らが赤狩りを強行。昔の恋人ジーンとの事もあり、彼の人生は大きく変わって行くのだった。映画はここで終わる。

 1954年、オッピーはソ連のスパイ容疑をかけられFBIから「共産主義者」のレッテルを貼られる。アイゼンハワー大統領の時、政府公職追放を受け彼は危険人物と断定された。1961年ジョンF・ケネデが大統領に就任すると側近にはオッピー支持者が多く公的名誉回復の動きが出る。オッピー61歳、喉頭がん。62歳で死去。

 2022年、米エネルギー省のグランホルム長官が、オッペンハイマーを公職から追放した1954年の処分は、「偏見に基づく不公正な手続きだった」として取り消したと発表。彼にスパイ容疑の罪を着せて失格を剥奪したことを、公的に謝罪した。

 わたしがこの映画を見て考えたことを述べる。

➀映画は大きな問題を観客に投げかけるが、その解決を与えていない。

②原爆の破壊力がどれぐらい地球・人間・文明に及ぶのか、それが日本で試されたこと。

③映画は世界中の人々に共通する普遍的な問題を教示している。

 わたしは映画を見に来ている若者が大勢いたことに驚いたが、それは、とても嬉しいことである。日本の若者たちが、こんなに大勢、この未解決難題にどう向き合っていくのか、わたしは、希望を持って見守っていく。

写真 J・ロバート・オッペンハイマー J. Robert Oppenheimer ウィキペディアより

【オピニオン】代議士たちよ、世界に活躍する政治家になれ。悲惨な世界を救え

 21世紀に入り、地球環境の悪化、さらにウクライナ戦争、イスラエル・ガザという戦争が連日報道されている。一般人が砲弾の恐怖にさらされている。瓦礫(がれき)に埋まる子どもらや母親たちが悲惨な叫びをあげている。気の毒すぎる。

 いま、私たち日本人は何をするべきなのか。なにか助け舟を出せられないのか。私たちはなにもできないのか。誰も助けてあげられないのか。
 傍観者になっていないだろうか。助けられる命を見殺しにしているのではないだろうか。そんな自問がある。
 
             ☆  

 テレビ・ラジオのジャーナリストやコメンテータたちは、「自由民主党の黒いお金をめぐって」バッシングしている。SNSの庶民も正義感ぶって首相の低支持率を喜んでいる節がある。

 日本の代議士は世界の悲惨なことに眼をむけず、狭い日本のなかで、黒い金の罪だ・罰だ、と党利・党略の攻守の議論をふりまわす。
 鬼の首を取ることも大切だろうが、過去の汚点を掘り返すのも程度問題だ。首相を自民党総裁に足止めしすぎている。
 G7の大国の首相ともなれば、地球がかかえる環境問題、戦地の人の命を助ける行動に尽力するおおきな役割があるはずだ。            
     
       ☆
         
 地球は狭くなった。戦地まで一日もあれば飛んでいける時代だ。罪のない大勢の市民がきのうも、きょうも血を流し、食料に飢えに苦しんでいる。

ウクライナ戦争.jpg「餓死(がし)で死ぬほど、人間の死で最も痛ましいことはない」といわれている。
 
 野党を含めて国政をあずかる代議士が、ここ1、2年で何人が悲惨なウクライナやガザに入ったというのか。政治家として、日本人として、多くの命を助ける行動にでないのか。

 いまや、世界はこんな日本の政治家に何も期待しないし、ただあざ笑っている。仲介の声もかからない。情けないではないか、おなじ日本人として。与野党ともに『世界に通用する政治家になれ』と叫びたい。

             ☆  

 私たち日本人は太平洋戦争で悲惨な体験をした。出征した父親が戦死して残された子が数百万人いた、満州から飢(う)えで引き揚げてきた子が数十万人もいた、都市の大空襲で両親を亡くした子らが数限りなく大勢いた。
 戦争孤児、あるいは原爆孤児たちはガード下や焼け野原で暮らしていた。物乞いまでして生きてきた。
 敗戦後の飢餓(きが)の日本人に、世界中が食糧支援してくれた(戦争批判はありながらも)。そして生き長らえてきた歴史がある。
 それもまだ7~80年前のことだ。

 政治家は二世、三世になった。だからこそ、勉強してほしい。悲惨な日本の現代史を紐解(ひもと)いてほしい。代が変わっても、恩返しの時ではないか、と政治の本質を理解してほしい。

 国政の代議士ばかりでなく、平和都市宣言(356)の市町村長らにも、これは言える。困ったときには助けてもらい、戦地で困窮している被災者には頬かぶりでは、情けないではないか。
 何のための役所の前の一等地の「平和都市宣言」の立て看板なのか。

             ☆   
 
 年明けて、私は中国新聞から「オピニオン」の執筆依頼がきた。「戦争を止める決意と気迫を」というタイトルにした。
 岸田首相の外交政策に期待するとしながらも、これはひとり首相にかぶせて一任するものではない。
 与党、野党を問わず、全員がもっと世界に活躍する政治家になれ、と𠮟咤する気持ちで執筆した。
 岸田首相の力量不足なれば、与党の政治家が次つぎ支援するべきだ。野党も政権を目指すならば、世界の主だった政治家と連帯する意気込みを国民に見せるべきだ。
 与野党とも、『世界に通用する政治家になれ』と期待したい。

「今を読む」2024年2月27日 中国新聞「オピニオン」.pdf


【国民は選べる】次の衆議院議員選挙で、愛子さんか、悠仁さまか、選ぼう

 愛子内親王殿下(愛子さま)は、4月1日に社会人として日本赤十字社に就職された。多くの庶民はTVの映像に映しだされた、清々しい笑顔とお姿をみて彼女への将来への期待が高い。

 秋篠宮悠仁親王(悠仁さま)は高校生で、皇位継承順位は父・文仁親王に次ぐ第2位である。大学進学先として東大と筑波大が有力視されているようだ。

二重橋.jpg 国民の眼は、どちらが天皇になるのか、とかたずをのんで見守っている。現在の皇室典範では、男系天皇と規程されている。
 ただ、昭和22年には、戦前の大日本帝国憲法とちがい、国民主権で国会において「皇室典範を改定できる」と規程している。

 つまり、庶民が天皇を選べるのだ。これぞ国民主権である。
 将来の天皇は、女系の愛子さまも可能とするのか、いやいや男系の悠仁さまでいこうとするのか。

 戦前まで、明治天皇の治世(明治22年)に「退位禁止(譲位禁止)」と「養子禁止」と「直系男子への皇位継承優先」について定めた旧皇室典範があった。
 国会議員が改定できなかった。

 戦後の日本を占領下におくGHQが、この皇室典範の内容をほぼ踏襲するが、国民の代表(代議士)が国会で改正できるとした。

 
 ・日本国憲法第二条によって、皇位は世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 ・皇室典範第一条
 皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する。


 今年10月には衆議院選挙がおこなわれる。国民が投票で、象徴天皇は女系も可能とするのか否か、と決めてはどうだろう。

 ・改定【皇位は、皇統に属する男系もしくは女系のみがこれを継承する】

 すべての立候補者には、このように皇室典範の改定するのか、現行のままとするか、それを選挙公報に謳(うた)ってもらう。明示していない候補者には、選挙事務所に問い合わせする。
 男女、年齢層を問わず、わかりやすい国政選挙になる。

            *
 
 国民国家の日本において、近年の政党政治はどうもうまく機能していない。スキャンダルが多すぎる。民意が期待通り反映されていない。選挙公報も紙きれ同然だといわれても仕方ない。
国会議事堂.jpg
 大きな政治集団が裏金で金儲けをしている。国民の義務の税金も払わない。母集団の頂点にいる者が、適材適所でなく大臣や役職をとりしきっている。パソコンができない人物がデジタル庁長官になる。公文書の改ざんや焼却する。枚挙にいとまない程の醜悪なる事実を見せつけられている。

 多くの代議士たちは本気で民意を聞かず、頂点にいる人物に迎合している。この構図は、独裁者を生みだす危険性すらある。国家・国民に危機がおよんだときに、真に役立つ政治家なのかと疑わしい。

           ☆
     
 このさい「皇室典範」に絞り込んだ衆議院議員の選挙をおこなってみる。与党か、野党か、などと問わず、国会議員全員が無党派でよい。日本の政治を変えることができる好機になる可能性がある。

『政党政治から個人主義政治』

 国会に選ばれた最上の人物を内閣総理大臣に決めればよい。その首相が憲法にもとづいて適任の人物を大臣に選任する。
 
 夢物語と思われるかもしれないが、政治哲学からいえば、デジタル化で有権者が瞬時に代議士を選べる時代がくる。手間ひまもコストもかからない。都度、有能な人物を選べる。
 大きな事例があるたびに国会・議会を解散し、民意を問う。それが世界の政治の流れになるだろう。

 世界に先駆けて、日本が個人主義政治に変革していく。
 日本には歴史的に民による革命の経験がない。「お上の決めたことに従う」という風土を作ってきた。
 ここから脱却する。政治意識を変える最大のチャンスだ。投票率も期待できる。選挙後の個々人の政治家にも厳しい目がむけられる。

 国家の将来のために、手弁当とまでいわないが、代議士が本気で民意を聞いてくれる政治制度へと踏みだせるだろう。

 民が象徴天皇の皇位をきめる。国民主権を体験することだ。
 
                    写真 = googleフリーより

新聞寄稿 「ペリー来航の真相」

 最近の私は、歴史作家といわれている。もともと純文学の作品を書いてきた。かれこれ十年前になるだろうか、雑誌の編集者から「坂本龍馬を書いてください」と依頼をうけた。
「えっ。歴史上の大物の信長、秀吉、家康、龍馬などは、権威ある歴史作家......、司馬遼太郎、吉川英治、池波正太郎とかが書くジャンルではないですか」
「あなたの筆力だと書けますよ。取材力はあるし」
「無名でも、読んでくれますかね」
 そんな経緯で引きうけた。
 坂本龍馬の通説にはやたら嘘が多いな。
「人間って、こんなことしないよな」
 私が純文学の目でみると、英雄史観には人間離れしたことが多すぎる。現代のように新聞・テレビもないし、情報が瞬時に飛び交っていないし。そもそも、この世にはスーパーマンなどいない。

                  ☆

 私にはジャーナリズム精神と技術がある。自分が納得できるまで裏どりをする。あるときはミステリータッチ(刑事の勘)で臨んだ。ともかく、龍馬の足取りを追う。
 やがて船中八策(せんちゅうはっさく)は本物も、まして偽物もない、とわかった。さらに調べると、大正時代に土佐の政治家兼文筆家のつくり話だとすっぱ抜いた。つまり、龍馬は大政奉還の建白には関わっていなかったのだ。
 それを整理して雑誌で掲載した。これまで返品率が70%だったのが逆転し、返品が限りなくなくなったと喜ばれた。中日新聞(東京新聞)が日曜版で、見開きで大々的に取り上げてくれた。

                 ☆

いろは丸.jpg いろは丸事件でも、「衝突した紀州が悪い、龍馬が正しい」と、それが通説だった。長崎奉行は、龍馬の金塊と最新銃を積んでいたという主張を認めた。そして紀州藩には損害支払いを命じた。

 私は鞆の浦で、潜水調査した京都大学の助教授の存在を知った。取材申し込みをうけてくれた。「ガラクタばかりですよ」とマイクロフィルムを見せてくれた。さらに引き揚げた蒸気窯レンガの実物も触らせてくれた。
「なぜ。京大は鉄砲も金塊もなかったと、それを発表しないのです」
「ヘドロが船体に被さっており、引揚しないと船名が確認できないからです。あとは作家の世界ですよ」
 それも加えて雑誌に掲載した。
 坂本龍馬の批判記事は、おおきな反響を呼んだ。
 
 私が連載で次々と龍馬通説を暴いた。当然ながら、ファンから反論が寄せられる。「そこまで言われるならば、高知の坂本龍馬記念館に行って、船中八策を見せてもらうとよいですよ」とさらりと応えていた。むろん、現物があるわけがない。フィクションなのだから。

 6回の連載がすべてそんな感じだった。最近は教科書から坂本龍馬が消えるという。これまで虚像の世界の人物だから当然だろう。それは龍馬自身が悪いのではない。
「彼はそもそも鉄砲密売人なのだ。歴史学者と歴史作家が明治政府のプロパガンダに乗せられて、いまだに『倒幕の英雄』という偶像を史実のごとく扱っているにすぎないのだ」

                  ☆

 最近の歴史関係書は、歴史を後からの視点で書いている。
 英雄たちが早くに文久時代から「倒幕」を叫んだように展開している。これも大嘘だ。当時の幕府といえば、最大の絶対権力があった。全国津々浦々に、公儀隠密がはりめぐされている。
 幕府の役人に、「倒幕」が一言でも発覚すれば、あるいは嫌疑がかかれば、当人のみならず連座制で一家全員が処刑される。武士は「家」制度の下で、親兄弟に迷惑をかけられない。たとえ脱藩しても、口が裂けても倒幕など言えなかった。脱藩そのものが「斬首」の刑が認められていた。
 学者にしても、歴史作家にしても、十五代将軍徳川慶喜の大政奉還まで「倒幕」を叫んだり、書簡(密書)に綴ったりした人物はいない(隠密に奪われる危険性があるし)とするべきだ。(処刑された吉田松陰すら倒幕は口にしていない)。

  ☆

 それにしても、明治政府の御用学者たちのプロパガンダはひどすぎる。
 学校教科書の歴史も、かなり嘘で染められている。薩長土肥の政権は自分たちを高く見せるために、事実に反して前政権の「徳川時代」を卑下している(プロパガンダ)。
「教科書は正しい。だから真実だ」。日本人はそう信じている。平成・令和の時代になっても、社会科教科書に「鬼面のペリー提督」を載せている。狩野派の絵師などは実写的に正確に書いている絵があるのに、と怒りすら覚えてしまう。
 明治政府が都合よく作った幕末史は嘘が多い。
「歴史は国民の財産だ。そこに嘘があれば、国民を欺(あざむ)きつづけることになる。幕末史の出来事の欺瞞を糺(ただ)さないと、このまま受け継がれていく。私たちの子孫のためにならない」
 このプロパガンダをばらしてやろう、と私は考えた。

ペリー 中川.jpg 幕末史で最も重要な出来事が、「ペリー提督の黒船来航」である。ここから日本史が大きく変わる。
『ペリー艦隊日本遠征記』の著者・Samuel Wells Williams は1812年生まれで宣教師である。この著作がどこまで事実なのか。Williams本人は、ペリーから依頼された、新興国アメリカの高揚感を高めることにも意を用いた物語だと明記している。これはまさに司馬遼太郎氏「竜馬は行く」という同じ創作タッチだ。
 それなのに明治以降の学者がなぜ『ペリー艦隊日本遠征記』(小説タッチ)を史実として扱うのだ、と強い疑問をもった。

 私はアメリカ側の史料(ペリーの書き残した書類、研究書、新聞)を漁った。Williamsの『ペリー艦隊日本遠征記』と照合した。かたや幕府側の交渉録なども精査した。
 ニューヨークからの出発に先立って、ベリーは海軍長官から「武力行使で条約を結ぶと、議会の多数派の民主党から批准されない。決して武力は使うな」と釘を刺されている。アメリカの日本遠征の目的は別にあると、私には類推ができた。
 ペリー提督が二回目の江戸湾来航(1954年)を半年も早めたのは、日本遠征を命じたミラード・フィルモア大統領が失脚して、ジェームズ・ブキャ ナン大統領(民主党)になったからだ。政権交代である。威圧的な砲艦外交の根拠がなくなっているのだ。
 
 私たちが学校で習ってきた社会科教科書に影響されない真実に近い『ペリー来航』を書こうときめた。

 純文学とは小説を通して「人間とは何か、真理の探究」の精神を描くものだ。私はいまなお純文学志向なのだ。

 2019年にまず「安政維新 阿部正弘の生涯」を世に送りだした。つづいて江戸城大奥の上臈・姉小路に注目し、一年間の新聞連載(公明新聞社)「妻女たちの幕末」(298回)を執筆した。それを一冊にして、昨年末(2023年)に南々社から単行本で出版した。

 とくに新聞連載中から気になっていたのが、「学校で習った砲艦外交に間違いない。小説とはいえ創作が過ぎる......」という批判だ。私はひと区切りつくと、ペリー来航の真実をもとめてオランダ・ライデン市のシーボルト記念館を訪ねた。
 それを寄稿文とした。
 2024年2月8日に掲載された。(写真のうえでクリックすると、拡大されます)

ペリー.jpg

終戦記念日にあえて問う。戦争抑止は「兵器廃絶」なのか、政治家の資質なのか

 8月15日は、太平洋戦争の終戦記念日である。日本の主要都市は廃墟になり、もう戦争は止めよう、と国民がみんなして誓った。

 そして大日本帝国憲法が破棄された。あらたに日本国憲法が発布された。前文のなかに、『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し』と謳(うた)う。
 明治・大正・昭和の77年間における10回の海外戦争は、その発議が政治家にあったと断言できる。

 毎年、終戦記念日を前にして広島・長崎の原爆被爆の式典がおこなわれる。各メディアは大々的に取り上げている。
 核兵器廃絶とか、核の抑止力はなくなった、という論議が中心に座っている。これは「兵器」には核物質をつかうな、という戦術面である。

 核以外ならば、どんな兵器でも許されるか、という反問にもつながりかねない。
 これでは広島・長崎の主張は、核廃絶が達成すれば、それでよしとするもの。本質的な戦争禁止への論旨ではない。

「被ばく=平和」その結合が間違っている。広島・長崎のセレモニーは、「戦争をやめよう」という強い論議につながっていない。なぜならば、投下国がアメリカだとひと言もいわないからだ。

 ウクライナ戦争においても、広島・長崎の声が戦争抑止に役立ったとも思えない。政治家の両県知事や市長が行動で示していない。単独でモスクワに乗り込んで、プーチン大統領を諫(いさ)める、という意気込みすら見えてこない。

 きょうこの日、無人の兵器によって、容赦なく民間の住宅地に攻撃されている。ウクライナが核兵器(1240発の核弾頭と、当時世界第三位の核兵器保有)をすべて廃棄すれば、他の武器でロシアから攻められる、という弊害を生んだ。これでは核兵器を失くそうという大国は現れないだろう。
 民の命を思うならば、「無人兵器の製造禁止条約」をさけんだほうが、まだ現実的だ。
 
               *
   
 どうすれば戦争をなくすことができるのか。プーチン大統領の姿勢をみれば、政治家の資質を問うことである。
 これはロシアだけの問題ではない。
 わが国の副首相(元総理)の麻生氏が82歳にして、台湾に訪問し、「日本は戦う覚悟だ」とまるで日本人を代弁しているような発言をする。元首相となれば、老人の戯言だと笑ってすまされないだろう。

台湾出兵 (2).jpg
1874年(明治7年)に、明治政府がはじめて海外に出て行ったのが台湾への軍隊派遣である。この台湾出兵から太平洋戦争へと連鎖した。

            *

 いずれの開戦前も、政治家・官僚など戦場に行かない高年齢の世代が、勇ましく国民に戦争をあおっている。
 その結果として日本やアジアの人たち、軍人・民間人をふくめてとてつもない戦争被害者を出した。
 
 プーチン大統領のウクライナ侵攻と、麻生氏の台湾での行為はさして変わらない。戦争で解決しようとするもの。タバコを吸う人(中国)の前に火薬をおきに行くようなものだ。

 ウクライナ戦争がはじまったとき、ロシアの若者は数百万人も国外に逃避したという。日本人は戦前とちがい、政治家・麻生氏の尻馬にのって武器をもって台湾海峡で戦う若者たちはさして多くないだろう。はたして何割いるのか。よくよく調べて行動するべきである。

 議員・麻生氏は公人としての行動が『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し』と謳(うた)う日本国憲法の根幹に抵触するものだ。

 勇ましい弁が立つ政治家が戦争を起こす。これは歴史が教えることだ。
 
 

、、

「妻女たちの幕末」は,先輩作家の海音寺潮五郎、吉川英治、司馬遼太郎氏にない技があった。

 新聞連載の歴史小説「妻女たちの幕末」が昨年八月一日から、ことし七月末まで一年間つづいた。そして完結した。日曜日をのぞく毎日で、二九八回である。
 新聞社は一般に辛口である。文化部・部長から「後半(ペリー来航から)は、新たな幕末史観を興味深く読めたといった感想も多く聞かれ、小説の狙いは成功だったと感じています」と好評だった。
DSC_0509 福山会 (2).jpg
 ここで、私の執筆の手順を明かしてみたい。まず英雄史観の通説は疑ってみる。私は純文学で世に出てきた作家である。
「人間って、こんなことはやらないな」という疑問をあぶりだす。
 歴史は勝者がつくる。国内の史料はかなりねつ造や隠ぺいがなされている。そこで外国の関連資料から疑問をひも解いてみる。

「ここまでウソをつくか」とあ然とさせられる。

 IT時代でAIがすすむ現代、百六十年前の海外新聞が瞬時に日本語に変換できる。これは先輩たち大作家の海音寺潮五郎、吉川英治、司馬遼太郎氏などにはできなかった芸当だ。かれらは明治の薩長閥の御用学者の術に乗せられている、とわかった。

 面白いほどに、新たな発見があった。国立国会図書館も、デジタルで著作権のおよばない幕末関連の資料は面白いほどに難なく入手できた。
「井伊家史料」などもネットで古本として安く入手できる。先輩諸氏が足で神田古本屋をまわったものだが、雲泥の差になった。次つぎに通説をくつがえす傍証が容易にさせてくれた。

「妻女たちの幕末」は単行本として十月に発行予定。多くの読者が通説の嘘に気づくだろう。

阿部正弘の直系の阿部氏と(福山会にて)

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