東京下町の情緒100景(032 泥んこ遊び)
夜半からの雨が昼まえに上がってきた。虹が河川の此岸と対岸を渡す。土手には下町の子どもらの声がもどってきた。
だれもが大きな虹だと見つめる。半円形の鮮明な虹をくぐるように、赤い電車がいつもの鉄橋を渡っていく。
夜半からの雨が昼まえに上がってきた。虹が河川の此岸と対岸を渡す。土手には下町の子どもらの声がもどってきた。
だれもが大きな虹だと見つめる。半円形の鮮明な虹をくぐるように、赤い電車がいつもの鉄橋を渡っていく。
東京の河川は下町に表情を作る。幾重にも蛇行した川筋は、その名も七曲と呼ぶ。竹を折り曲げても、こうまでも折り曲げられないだろう。
護岸道路はすべてジョギング・ロード。朝夕に、ジョガーたちの姿がある。スポーツウエアはさまざまだ。孤独なランナーもいれば、仲間と走るものもいる。 それぞれが自分自身のからだや呼吸と向かい合っている。
あの鉄塔はなんの電波を受信しているのか。それとも中継なのか。電波は見えない。生活のまわりでは情報の渦が巻く。見るもの、聞くもの、大半が電波に乗ってやってくる。文化の進化に疎い下町でも、それは例外ではない。
社の裏手の小さな森では、潅木が燃えている。紅葉の名所でもなければ、有名でもない。名すらも知れられていない狭い広場。大人の足ならば、ものの一分で通り過ぎてしまう。
吹き抜ける秋風が紅く色づいてきた。枯葉が風に乗り、静かに舞い降りる。芝生の上で心地よさそうに横たわる。
徳川時代は、江戸城下の深川界隈が都市の中心だった。川や堀などの水路が発達していた。物資の運搬のみならず、川遊びが流行していた。武士や豪商が川舟で、芸者が弾く三味線、都都逸(どどいつ)などを聴きながら、酒を飲む。風流な遊びの一つだった。
東京湾の沿岸は漁業や海苔の養殖が盛んだった。明治、大正と引き継がれてきた。しかし、昭和の高度成長期になると、漁業は職業としては消えていった。
下町にも科学の進歩が押し寄せてくる。ふたつの新と旧の橋が重なり合あう。角度によっては、複数の斜線が、放射状に織り成す。また、縦、横の直線となる。鉄と鉄がともに造形を語りあっているかのように。
真っ赤に燃えた太陽が沈みかけた。夕日は消えゆくわが身を嫌うように、送電線の鉄塔にしがみついた。夜の気配を察したのだろう、河川のススキが寝床に入る準備をはじめた。穂先を並べて枕の用意をしている。
仲見世は庶民の日常の買い物の場だ。入口から手作りの味の店がならぶ。あえて〈老舗〉と看板を出さずとも、数十年来の伝統ある店舗ばかり。大半が二代目、三代目の店主なのだ。
野菜を路面にならべた八百屋。老夫婦が朝から作った煮物を売る総菜屋。三枚下ろし、二枚下ろしと年季の入った包丁捌きの魚屋。珍味食料品店。こだわりの麺匠。まさしく庶民の味の宝庫だ。
釣り人の談義は面白い。
立ち止まったウオーキングする住民が、何が釣れるのかと聞く。うなぎを狙っていると教える。とたんに、過去の自慢の成果が語られる。
きょうは獲物が何一つない。バケツは空だし、申し訳ていどに水が入れられている。うなぎは利口らしい。